少し時は遡る。

2

時は少し戻り。

魔王軍の襲撃にさらされ大きな傷跡を残したバウンディ国境砦は急ピッチで復旧が進められていた。

未だに被害の全容がわからないほどに物的損害が出ている一方で、人的被害という面において死傷者ゼロという奇跡の結果をもたらした立役者の情報を、砦の責任者がどのように国の中枢に伝えるか頭を悩ませていることなど知らない当人の少女は、本日の分の治療を終えたのちに与えられた一室でぼんやりとしていた。

(…私は、どうしたいのでしょう。兵士さん達の治療をして、泣くほど喜んでくれて。…私も、嬉しいはずです。喜んでくれて、怪我を治すことが出来て、ずっとそれが私にとって嬉しいことだったはずなのです。…どうして、こんなにも)

「ずいぶんな顔をしてるな『聖女様』?」

間近で聞こえた少年の声に思わず飛び退いた少女でしたが、相手が見慣れた旅の仲間だと気付いたためそっと座り直すと恥ずかしさで赤みを帯びた顔のまま相手を睨んだ。

「…慣れた相手とはいえ異性の部屋に入る際にはロックなどをするべきではないでしょうかね?」

「ロックは何回もした。…「聖女様」におかれましては憂いのただ中にいらっしゃってお聞きとりいただけなかったみたいですが。」

抗議をさらりと受け流し、混ぜっ返してくる少年にさらに怒りがこみ上げてきたらしい少女はしかして、未だに片腕片足の完治もしておらず頭に包帯巻いている此度の襲撃に置いて一番の重傷であった目の前の少年にそのまま怒りをぶつけるのは気が引けたのか、睨みを深くしたのみで空いてる席に座るよう促した。

「『聖女様』はやめていただけませんか。私には過ぎた称号です。」

「何を今さら。砦の兵士はみんな呼んでるのに。」

「わかりました、言い直します。他の誰かがそう呼んでてもレオン君やセシル君にはそう呼ばれたくない。お願いなので名前で呼んでください。」

しばし、見つめあいの無言が続く。先に折れたのは少年の方だった。やれやれ、といった風に大きく息をつき降参の意を示すように無事な方の手を上にあげた。

「わかったわかった。からかって悪かったよソフィアちゃん。もうふざけない、約束する。」

「ほんとですかね…」

「うわひどい。単純にソフィアちゃんが部屋にいるって聞いたからお茶のお誘いに来たんだ。襲撃があった日からずっと高度な癒術の行使してるって聞いてるし、気分転換に甘いものでもどうかなって。」

「それは…。素直に嬉しいですが。」

「良かった!実は一緒に持ってきたからここに広げてもらっても?」

「はじめからその気でしたね、レオン君…。」

「そうだけど?」

何を当然なことを、という顔して一度部屋を出ていったレオンはすぐにティーカートを引いて戻ってくる。ふわりと香るチコレとカプリの実の匂いと温かな紅茶の匂いに、ソフィアは無意識に握りしめていたこぶしを緩めた。変わらない態度で接してくれるレオンにソフィアがどれほど助けられているか、それは本人にもわからない。

「ソフィアちゃん、カプリの実のジャムが好きだったよね?昨日届いた支援物資にあったからチコレのおかしにしてもらったんだ。ちなみに砦の希望者全員に配られてるから。」

ソフィアが特別扱いを好まない根っからのシスターであることを知ってるレオンは、彼女の顔が強ばる前に最後の一言を付け加えた。といいつつ、別の町にいるセシルを通して懇意にしている商会に商品を融通してもらい早馬で届けてもらったり、元々の教会での立場から仕事中毒気味で手が空いてしまうと自分の出来ることを探したがる彼女に黙って関係各所に根回しを行い「この時間」を確保したことは、復旧に際してやることが山積みな砦の中で十分特別扱いではあったが、それをソフィアが知ることはない。非難を受けるのは自分だけでいいとレオンは思ってる。

「…神々のお恵みに感謝いたします。」

いつもの祈りを口にして、ソフィアはケーキを1口食べた。ほわりと空気が和らぎきらきらと目を輝かせてさらに1口と食べ進めるソフィアをみるのがレオンの楽しみだったりする。以前魔物の大量発生に伴う撃退の依頼を受けていった村で、その村特産の豆を使ったコフェという苦い飲み物を焼き菓子に浸して、甘いチーズのクリームと一緒に食べるという甘味を食べたときなんか「困ります…でもすごく美味しい…神よ、あなたはなんという試練を私にお与えに成られたのですか…」と感極まってぼろぼろ泣きながら食べる手は止まらないというすごい光景が繰り広げられてた。ソフィア本人としては黒歴史としてしまいこみたい話らしいが、作ってくれた村のお母さんに作り方を聞いて何回か自分で作って食べているらしいことはレオンも、たぶんリリス辺りも知ってる。セシルも、ソフィアに焼き菓子を分けるとリスみたいに少しづつ食べるのがみててかわいいよねとか言ってた気がすると、などとつらつら考えているとソフィアから声がかかる。

「それで、レオン君?」

ソフィアのさらに乗っていたケーキの姿はなく、カップに注がれた紅茶も半分ほど減ってる。

「なにかな」

「話があったのでしょう?『大切な話をする時は相手の好む菓子と紅茶を手土産に』リリスちゃんの手口です。」

「バレバレだったかー」

「わざとやっていてなにを言ってるんでしょうね…。」

「そこもバレバレだったかー。…良かった、もし気づかないほどに追い詰められていたんだとしたら俺は今から言うことを『提案』じゃなくて『確定事項』として伝えなきゃならなかった。」

無理強いはしたくないよね、とこぼしてさめた紅茶を1口飲み込み、舌を滑らかにする。

「ソフィアちゃんは、俺達の旅についてくるとき何て言ったか覚えてる?」

「…もちろんです、忘れられるわけない。」

目は泳ぎ顔を赤くしながらそう答える。ソフィアにとっては5本の指にいれたいくらいの黒歴史だ、仕方ないだろう。

ーー私は、私を貶めた奴らを見返したい!!私にやったことを後悔して怯えてほしいんです!ーー

「ソフィアちゃんは、あの町を出てから本当に変わったよね。よく笑うようになったし、高度な術も扱えるようになった。欠損を修復するリカバリーヒールに、大人数を同時に治すエリアヒール。できなかったリジェネも扱えるようになったしね。」

「出会えた人達や、…みんなのおかげです。」

「うんうん、…だから、ソフィアの旅はここで終わってもいいんじゃない?」

「え?」

「伝説にしか記されてなかった、エリアヒールを使える『聖女様』になったんだもの。どの教会の癒術師よりソフィアが上に扱われるのは間違いない。あの町のシスター達は気が気じゃないよね、いつ報復対象になるかわからないもの。」

ソフィアちゃんの旅の目的は果たしたも同然だよね、とレオンはにこりと笑い紅茶に手を伸ばす。

「わ、わたしなんてまだまだ…」

「さすがソフィアちゃん!まだまだ向上心が旺盛で素晴らしい限り。でもさ、技術の向上は別に旅を続けなくても出来るよ?わざわざ危険と隣り合わせの旅のなかじゃなくて安全なところでしっかりと学べるはず。…だからさ?ソフィアの旅はここで終わってもいいんじゃない?」

まぁ、考えておいてよ?と言い置き、カラカラとティーカートを引いて出ていく。後に残されたのは、仲間から放たれた予想外の言葉に呆然となった少女だけだった。

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