第2話 音楽の無い世界へようこそ

 用意されたのは、まるで王様が座るのかと思うくらい大きな椅子だった。


「ミナトさん、ここにどうぞ!」


 自分と不釣り合いな椅子にちょこんと腰かけて、彼らから話を聞く体制をとる。


 俺たちはまず、互いの名前を交換する簡単な挨拶から話を始めることにした。

 聞けば俺を異世界に召喚した二人は、俺と同じ20歳らしい。


「私はレナ・キーディスと言います。ミナトさん、よろしくお願いします。……えへへ」

「俺の名前はチャド・ボーナム!よろしくな、ミナト!」


 照れくさそうに自己紹介をする、声の綺麗な金髪の美少女レナ。

 快活かつ豪快、そしてなによりフランクな赤髪の男チャド。


 彼らの話す異世界の話は、俺が想像してたものとは少しだけ違っていた。


「ここはアレンディル王国の首都フロリア。私たちは王の元で知の探究を生業にしている王宮学者なんです」

「王宮……学者?」


 二人とも軽装で高級そうなローブを羽織っているし……

 なんとなく外で仕事するような人じゃないとは思ってた。


 しかし異世界に来たら最初に出会うのって、だいたい神様とか、古き良きRPGなら王様とか相場は決まっている。


 学者か。

 ……学者?


 ふとチャドを見ると、チャドは眉を少し上げて俺の心の声に返答した。


「なんだよミナト、俺は学者に見えないってか?」

「え……いや」

「ちゃんと学者だって。たしかにレナとは専門が違うけど……。俺の専門は異文化とか考古学とか……そっち方面だし」


 考古学者……。

 確かに洋画とかで唯一肉体系をイメージする学者だ。


「ちなみにレナは魔法学者な。しかも一番わけわからん重力魔法の研究者」


 レナはそう言われると、少し不服そうに眉をひそめる。

 不謹慎だが、いちいち表情がかわいい。


「わけわからなくありませんッ!面白いんですよ!」


 それにしても魔法か……。やっぱりあるよな、異世界だもの。

 少しだけワクワクしている自分に気づく。


 レナは話を本筋に戻そうと、順序だてて俺を召喚した理由を話し始めた。


「私たちの世界は、およそ100年間続いた“とある厄災"を乗り越え、ようやく復興を果たしつつあります」

「厄災……?」

「はい。世界中が少しづつ寒冷化していく厄災です。まるで世界の命が少しづつ弱っていくような……私たちはそれを”終焉の冬霜(とうそう)”と呼んでいました」


 氷河期……みたいなものか?

 この国だけじゃなく、世界中でってことか。


「しかし10年前、ある日を境に突然その寒冷化が終わり、世界中が復興の道を歩み始めました。我がアレンディル王国も、厄災によって失われた文化や歴史の新しい礎を築くため、あらゆる分野の研究に力を注ぐようになったのです」


 なるほど……ようやく話が見えてきた。

 レナはだんだんの解説に熱が入ってきたようで、徐々に俺に顔が近づいてくる。


「その一つが異世界研究ッ!別の世界からの知識を得ることで、国のさらなる発展を助力し、果ては現存するあらゆる問題の解決策を見出そうという、とても重要な研究なのですッ!!」


 最終的には息があたるような距離にまで顔を近づけたところで……

 レナはのけぞる俺を見て自分を取り戻した。

 そして照れくさそうに髪を直し、元の位置に戻る。


 壁に寄りかかって話を聞いていたチャドが呆れたように話に入る。


「ごめんなミナト、そいつ勉強しかやってこなかったせいで……その……なんていうか、少しやばい」

「や、やばいってのは失礼ですっ!」

「……まぁそれで、俺たちは交流できる異世界人の召喚をずっと研究してきのさ。元の世界に影響を与えないように死が確定した健康的なヤツで、なおかつ俺たちに新しい知識を与えてくれる存在」


 死が確定……。

 こっちの世界に迷惑をかけないようにってことか。


 話を聞く限りかなり重要そうな研究だけど、この部屋は随分狭いし暗い。

 頭の中が疑問で一杯だったせいか、新しい疑問が頭に入りきらず、まるで口から洩れ出すように俺は質問していた。


「……でも、それだけ期待されてる研究なのに、ずいぶんこじんまりした部屋でやってるんだね」


 そう言うと、今度は二人で顔を見合わせ、気まずそうに笑う。

 そしてレナがしょぼんと答えた。


「実は……私たちの研究班はもう3年近く全く成果を挙げられていなくて……えへへ……どんどん縮小されてしまいまして……」


 快活そうなチャドも見るからに肩を落とす。


「20人いた学者も気づいたら2人になっちまって……研究費は自分たちの給料以下にまで減っちまうし……次の研究発表会で成果を挙げられなかったら完全に無くなるところだったんだ」


 二人の元気が明らかに無くなってしまったので、人見知りの俺もさすがに気を遣う。


「で……でも、俺を召喚できたってことは、一応成功したんでしょ……?」

「そうなんですッ!!」


 すると元気を取り戻したのか、今度は二人で顔を近づけ俺に問いかける。


「それで本題なんですがッ!ミナトさんの持っている異世界の知識や技術を私たちに教えてほしいのです!」

「ミナトは何が専門なんだ!?農業の知識とかすごいありがたいんだが……ッ!ぶっそうだが武器とか兵器とか魔法でもいいぞ!」


 自分たちに無い知識や技術を俺に求めている。

 二人の焦っているような表情とすがるような問いで、俺に期待されているものがわかってきた。


 しかし……

 その期待を理解するほど、俺は自分と言う人間の空っぽさに向き合うことになった。


 だって、何もないんだ。

 学校にも行ってなかったし、社会に出たこともない。


 ただ部屋で、爺ちゃんと音楽の話をしながらギターを弾いていただけだ。

 膨大な時間を役に立たない音楽という逃げ道に消費してきた。


 その音楽ですら、プロギタリストだった爺ちゃんの影響。

 自分で探究したことはない……俺には、自分がない。


「……ごめん」


 弱々しい声でそう言う。

 しかし、二人のキラキラする期待のまなざしは光を失わなかった。


「じゃ、じゃあさ、ミナトが持ってきたあの木製細工はなんだ!?見たことねぇぞあんなの!」


 空っぽの自分に落胆する俺に、チャドがそう言った。

 チャドは壁に掛けてある爺ちゃんの形見、77年製ヘルマン・ハウザー2世を指さしている。


「ハウザー2世……のこと?」


 何もかも違うこの世界で、爺ちゃんのハウザー2世は何も変わらずそこにいた。

 爺ちゃんの部屋に立てかけてあったあの時の姿のまま。


「ハウザー2世!?人みてぇな名前だなッ!」

「作った人の名前なんだよ。……あれはギターだよ、クラシックギター」

「ぎ……ぎたー……なんかこう…あれだな!平べったい名前だなッ!」


 ちょっと何言ってるかわからなかったけど、二人が凄く興味深々なのはわかった。

 ……というか、ギター知らないのかこの二人。


(この世界にはギターが無いのか)


 RPGとかに出てくる吟遊詩人は、小さいリュートギターとか持ってるイメージあるけど。


「ちょっと、ちょっとだけ触ってみていいか!?」

「え……うん」


 そういうと、チャドがハウザー2世に近づいて恐る恐るつつく。

 レナも我慢できず、チャドの後ろから覗くように隅々を観察しはじめた。


 なんとなく、ハウザー2世が不機嫌そうな気がする。


「見ろよレナ、薄っぺらい板がこんなに綺麗に湾曲してるぜ!……あとこの穴なんだ!?」

「それよりもこの部品見てください……小さいのに凄い丁寧な作りで装飾まで……なんだか可愛い……」


 爺ちゃんがいつも言っていたな。

 ハウザーのギターは、見た目も音もとても美しいって。


 作者のヘルマン・ハウザー2世は、最も偉大なギタークラフターと言われたヘルマン・ハウザー1世の息子だ。

 1世は50年代に死去してしまっていて、現存しているハウザーギターのほとんどは2世の作品。


 彼と同じ名前をつけられたギターはどれも力強く引き締まった音色で、それでいて重厚な芯を持ってる。

 何より、見た目が美しい。


 そういう感覚ってのは、どの世界でも共通なんだな。


 つつかれて不機嫌そうなハウザー2世を見ながらそんなことを考えていると、チャドが振り返り聞いてきた。


「なぁミナト、これ、何するものなんだ!?」

「何って楽器だよ……弦楽器」

「ガッキってなんだ……?今度は堅そうな名前だな」


 ガッキ……ってなんだ?

 ……ん?


「え?いまなんて…?」

「だから……ガッキってなんだ?」


 え……?


 今、「楽器ってなんだ?」って聞かれたのか?

 楽器って……あれ?こっちの世界じゃ違う言葉で言うのか?


 たしかに、普通に会話が出来ているけど……

 固有名詞が違うってことはあり得るか。


「楽器は、ほら、音を出すものだよ……こっちの世界にもあるでしょ?」

「音!?……それだけ?こんなたいそうな形してるのにか?」

「いや……演奏に使うんだよ。音楽に使うんだ」


 いや……うそでしょ。

 言葉じゃなくて……本当に楽器を知らないのか?


 だって、楽器を知らないってことはつまり……


「……オンガクってなんだ?」

「……」

「……ん?」


 この世界には、音楽が存在しない。

 俺にとってそれは結構な衝撃だった。


「……まじ……で?」


 元の世界では、言葉より先に音楽が生まれた国もある。

 何より俺にとっての全てと言っていいそれが、全く存在しないなんて信じられなかった。


 そして、俺は突然向き合うことになる。

 音楽を知らない人に、言葉で音楽を説明することの異常な難解さに。


「音楽ってのは……えっとつまり、音を出して組み合わせて……メロディ…えっと……つまり音を楽しむために色々工夫するんだけど」


 しかしチャドの反応は……


「……ふーん」


 という、ひどく淡泊なものだった。

 音楽を知っている人なら「じゃあ弾いて見せてよ」と言うだろう。


 それを言わないのは、楽器というものの先にある音楽、そしてそれを聴いた時の自分の感情を想像できていないからだろう。

 全貌をなんとなく理解したところで、自分たちの想像の中でそれを完結させてしまい、興味すら抱かない。


 しまいにはこんなことを言う始末。


「ミナトの世界では、オンガクで何をするんだ?」


 音楽というものが、それだけで完結した価値があることすらわかってない。

 いや、この世界の誰一人理解できない感覚なのだろう。


 ちなみに、自分から「演奏してみせようか?」と提案しないのには理由があった。

 ずっとギターを見ていたレナが、今まさにその理由を俺に言う。


「ミナトさん、この糸が一本切れちゃってますけど……平気なんですか?」


 そう……。

 弦が一本切れていたんだ。2番目に細い第2弦。


 演奏できないわけではない。

 しかしなんだかこれは、ハウザー2世からの『やりたくねーよ』というメッセージにも思えて。

 俺は自分から演奏するという提案を飲み込んだ。


 切れてうなだれた弦を見て何も言えなくなった俺に、レナがあの綺麗な声で優しく語りかける。


「ミナトさん…時間はあります。焦らず、ゆっくり異世界のことを教えてくださいね」


 チャドもそれを聞くと、ニイッと歯を出して笑う。


「研究発表会も3日後だしな。こっちの世界での生活は俺らが保証するから安心しろよ!どーせ死ぬところだったんだし、いいだろ?」


 まぁ……うん、確かに。

 どーせ異世界。楽しんだ方がいい。


 音楽がないことは確かにショックではあったけど……

 自殺するほどの俺の絶望は、気づけば異世界への好奇心に変わってた。


 異世界転移か。


 魔法とか技能(スキル)とか、アニメみたいに俺にも使えるのだろうか。

 そう考えるだけで、俺の心が今までにないくらい高揚しているのがわかった。



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