010 下山


「はえー、俺たち、あんなに高い山にいたんだなぁ」


 カズキが後ろを振り向きながら、感慨深そうに言う。

 すでに日は傾きはじめ、夕暮れが色濃くなりはじめている。


 今、カズキとルタはオブリビオンの中腹から数日かけて下山し、すでに山麓さんろくと言っていい地点まで来ていた。


 朝方は巨石が転がる険しい道を進んできたが、今現在は、すでに道はなだらかになりはじめていた。

 中腹までの殺風景とは違い、木々や草花など、命の息吹がそこかしこに感じられた。


 二人の背には、オブリビオンの頂きが、荘厳な姿で佇んでいた。


 カズキは、何不自由ない都会でのんべんだらりと生きていた自分が、あんな場所で生き残れたことをつくづく奇跡だと思った。


「つーかさ、下山したあと行く当てあんの?」


 隣を歩くルタに、カズキは何の気なしに訊ねる。

 視界の斜め下で、ふんわりと金髪の頭頂部が揺れている。


「あるにはあるがのぅ。ただまぁ、まずは無事に下山することが先じゃ。油断するでないぞ」


「さいですか」


 ルタは歩みを止めることなく言う。

 山を下りるとは言っても、行く先がどこなのか、カズキには見当すらつかなかった。


 なにがどうあれ、ルタと行動を共にすることに変わりはない。


 カズキは深く考えるのをやめ、山の澄んだ空気を深呼吸しながら歩いた。


「うぬが現れなければ、もっと早くに人里に下りている予定だったのじゃがのぅ」


 カズキが思考を放棄していると、ルタが苦笑するように言った。


「え? そうだったのか?」


「うぬが捨てられた日が、わしの千歳の誕生日だったと言うたじゃろうが。

 ドラゴン族は千歳が成人であり、わしは成人を境に、下山するつもりだったのじゃ」


「え、じゃあ俺のせいで今日になったってこと? なんかごめん」


 カズキはなんとなく、ルタの言わんとすることを理解し、謝る。


「いや、責めているわけではないのじゃ。

 むしろ今現在のわしの状況を鑑みれば、うぬのような者がおる方が、人里においては安全じゃろうて」


「どういうことだよ?」


「簡単に言えば、今の姿のわしだけでは、人里では安心して暮らしていけぬじゃろうし、厄介ごとを一人で切り抜けることもできんじゃろう、という意味じゃ。まぁ、あまりひとところに長居する気もないが」


 ルタは少しだけ、悔しそうな色を含ませて続ける。


「話しておらんかったがの、わしのこの姿は本来のものではない。

 わしの本当の姿は、うぬの言うところの姿なのじゃ。

 王者の威厳たる鋭い角、全てを食い破るアギトと牙、天空を翔る巨翼に、海を割く長大な尾――わしをただの子供だと思っておるうぬに、今すぐ見せて驚かしてやりたいぐらいじゃ」


「た、ただの子供とは思ってねーよ。すげー感謝してるし」


 確かにカズキは、ルタのことを本気でドラゴンだと信じているわけではなかった。


 しかし、豊富な知識や的を射た物言い、さらには、どこか達観したように物語られる人生哲学など、そういったものを垣間見せるルタが、只者ではないということだけは感じ取っていた。


 まさか、本当に千年生きているのでは……?


 そんな気持ちも少なからず、カズキは抱いているぐらいだった。


 本当に子供のように無邪気だと感じたのは、チョコバーを食べていたときだけだ。


 ゆえに、カズキのルタに対する態度は馴れ馴れしいものではあったが、畏怖や尊敬に近い感情と、さらには、やはり大きな感謝の気持ちが色濃く存在していた。


「そうか……。

 わしとて、人間の子供という貧弱な状態でいたくはないのじゃがのう……。

 いかんせん、自力では解けぬ封印を施されているのじゃて。

 しかもその封印は、わしが成人するまであの山に縛り付けておくという、厄介極まりない呪いまで付与されておったのでの」


 ルタは続ける。

 滲む悔しさは、色濃い。

 歩みは止めない。


「封印……?」


「そうじゃ。以前、うぬはわしが魂装カルマができるかどうか、聞いたな?」


「ああ」


 そのときはなんとなく答えを濁されたっけ――カズキは会話のときに感じた引っ掛かりを、思い出した。


「あの問いに正確に答えるならば、“以前はできていた”ということになるな。

 この姿になる前は、わしも魂装を使いこなしていたのじゃ」


 ルタの言い方で、カズキは一つの事実を察する。


『以前はできていた』ということは『今はできない』ということに他ならない。


「同族が滅ぼされ、わしだけが山に放逐されたばかりの頃は、なんとしても、わしがこの手で人間すべてを根絶やしにしてやるのじゃと思っておったが……。

 どんな方法を試みても、やはり封印を解くことはできず終いでの。

 力も失い、山から出ることも叶わず、沸き立つような人間への復讐心も徐々に薄れていき……気が付けば、ただ生きているだけの屍のようになっておった」


「…………」


 ルタの心中は察して余りある。


 カズキは黙って、前を見たまま何度か頷いた。

 二人とも、歩みを止めることだけはしなかった。


「じゃがの……ああしてうぬと出会い、うぬの迸るような怒りに触れ、少しじゃがわしの中にも、再び燃え立つものがあったのじゃ。そしてそれが、成人するタイミングと事を同じくした。わしはなにかを感じずには、おれなんだ。

 しかもな、山に縛り付けられていたわしの魂力チャクラが、動き出そうとたかぶっているのがわかるのじゃ。試したわけではないがの」


 努めて明るく声を出したルタに合わせて、カズキも微笑を返した。


「一応な、こんな身体のままでも一矢報いてやろうと思っての。戦闘スキルは日々鍛錬を続けてはいるのじゃが……いかんせん、手練れの魂装遣カルマつかいが相手では、返り討ちにされるのは目に見えておる。しかしそんなとき――」


「――俺の出番ってわけだな?」


 カズキは先の台詞を奪うように、大きめの声で言い放つ。


 その通りじゃ、と言ったあと、ルタは少しだけ早歩きになる。


 カズキにとってはそれが、なんだか照れ隠しのように思えた。


「よって、うぬのようなボディガードがいる方が好都合じゃという訳じゃな。

 鍛えてやった分、色々と働いてもらうぞ」


「……おう、任せてくれよ」


「うむ」


 ルタの人使いはきっと荒いだろうが、カズキとしては感謝してもしきれない恩がある。

 その恩を、一つ一つの行動で返していけるのなら、それは願ってもないことだった。


 自分が、ルタを人間から守る――カズキは、強く心に言い聞かせた。


「さて、間もなく日没じゃ。そろそろ寝床を確保せねばの……ん?」


 と。


 木々が少し切り拓かれた場所に、こじんまりとした木製の家が建っていた。

 どうやら、山のふもとを生活圏とする人間がいるようだ。


 カズキとルタの歩みが止まり、建物の玄関に視線が注がれると、それを見越していたかのように、扉がゆっくりと開いた。


 一気に、警戒心が跳ね上がる。

 

 が――外に出てきた人物は、カズキたちの顔を見るなり微笑み、深々と頭を下げた。


「……どういうこと? ルタの知り合い?」


「わからぬ……が、悪しき魂力は感じぬ」


 二人は警戒心を若干緩め、互いに顔を見合わせる。


 玄関に立つ人物は、いかにもこちらを知っているという顔だ。

 カズキは魂装のための魂力を右手首に流し込みつつ、顔が見える距離まで近づいてみる。


 立っていたのは、腰の曲がった老人だった。


「お待ちしておりました。ドラゴン族の王、ルタリスア・I・アイシュワイア様。そして――カズキ・トウワ様」


「え……どうして俺のことまで知ってんの?」


 カズキははじめて名を呼ばれ、思わず聞き返してしまう。


 老人の声は見た目に似合わず、やけにはっきりとしており覇気があった。


 この世界でカズキは、ルタ以外に名前を教えた覚えはない。

 ジプロニカの人間たちも、誰一人カズキの名前に興味など示さなかった。


 ちなみに教えたルタにも、名前で呼ばれたことはない。

 うぬなどうぬで良いのじゃ、と一蹴された。


「そうか……貴様、『星の声を聞くたみ』か」


「星の声を聞く民?」


 聞き慣れない単語に、カズキは眉根を寄せた。


「我々のような存在をご存知とは。さすが、叡智えいちを極めし古代種の王でございます」


「ぬふふ、もっと褒めい」


 滔々とうとうとやり取りを交わすルタと老人。


 置いてけぼりのカズキは、老人とルタの顔を交互に見やり、首を傾げるしかできなかった。


「お二人を立たせたまま、外でお話を進めるわけにはまいりません。ぜひ我が家へお入りくださいませ。料理もご用意しておりますので」


「ふむ、それは素晴らしい。ちょうど、今夜の宿も決めねばと思案していたところじゃ」


「それはそれは、ぜひご奉仕させていただければと存じます。それでは、こちらへどうぞ」


 老人に導かれるまま、ルタは小さな身体に大きな態度で、ズカズカと進んでいく。


「お、おい。人間だぞ? 信用していいのか」


 ルタほど傲岸ごうがんにも不用心にもなれないカズキは、確認の声を上げる。


「心配ない。彼らの価値観においては、種の垣根など存在せぬ。

 魂力のあるべき姿を、限りなく理想に近い形で体現している者たちじゃ」


「魂力の……あるべき、姿…………?」


 ルタの言葉を聞いても、カズキは半信半疑だった。


「さて、一日歩き通しで疲れたしの。お言葉に甘えるとしようかの」


 謎めいた雰囲気を醸し出す老人の背を追い、ルタが欠伸あくびしながら家へと入っていく。


 久方ぶりの人間に警戒心を解けないカズキだったが、選択肢はなく、渋々、ルタの背に続いた。



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