011 星の声を聞く民


 小屋に入ったカズキは、テーブルを挟んで老人と向かい合っていた。

 隣では、提供された食事にルタががっついている。


 すでに日は落ち、辺りは夜の闇に包まれていたが、室内では、たくさんの蝋燭ろうそくに火が灯され、明るさが確保されていた。


 ここ最近山で生活していたカズキにとって、人工のあかりや温もりの中に身を置くのは久しぶりだった。


「うむ……うむ……!」


 テーブルに所狭しと置かれた数々の料理に、ルタは一心不乱に手を伸ばしている。


 塩漬けにされた鹿肉、蒸かしたイモ、具沢山のスープ、フルーツの串切り――飲み込むことすら煩わしいと言った様子で、次々にその小さい口に放り込んでいた。


 カズキは、ジト目でその様子を見ている。


「お口に合いませんでしたか?」


「あ、いえ。そういうわけでは……」


 老人が、微笑みをたたえてたずねてくる。


 彼は人当たりの良い笑顔で料理を勧め続けてくれていたが、どうしてもカズキは警戒心を完全に解くことができず、あまり食欲がわかずにいた。


 それに比べて、ルタの順応ぶりたるや、である。


「いやー、こんなに豪勢な食事を摂ったのは実に六百年以上ぶりじゃ」


「ご満足いただけたようでなによりでございます」


 カズキが懊悩おうのうしているうちに、ルタは並んだ食事のほぼすべてをたいらげてしまった。

 大きく出たお腹をさすりながら、顔をほころばせている。


 うん、おっさん臭い。


「さて、それじゃ色々話すとするかの」


 ようやく本題、と言わんばかりに、ルタはテーブルに頬杖をついた。

 その仕草を見てカズキは、居住まいを正した。


「まずは星の声を聞くたみがどういった者たちなのか、信頼に足るのか。それを教えてやろうかの」


 ルタはカズキの顔を見て、わざとらしくニヤける。


 どうやら、カズキが目の前の老人を信用しきれず、メシをろくに食えなかったことを面白がっているようだった。

 もしかしたら、豪勢な食事を独り占めするためにここまで話さないでいた、という線すらあるな、とカズキは思った。


 なんにせよ図星を突かれた形だったので、カズキは黙って頭を掻いた。


「『星の声を聞く民』というのは、自然界に溢れる魂力チャクラを星の声と考え、それが内包する様々な意識や言葉を読み、理解することで、世界の今や正しい在り様を伝え歩く、流浪るろうの民のことを指す」


「……遊牧民、みたいなもん?」


「まぁ、うぬの知識ではそれが一番近いのかのう。牧畜はあまりせぬがな。

 彼らは代々、生物から発せられる魂力の状態や調子、それを通して語られる意志や機嫌、考えなどを読む力を備えておるのじゃ」


「へぇ。魂力を読めれば、そんなこともできるようになるのか」


「うむ。極端な言い方をすれば、魂力を読めるようになれば、相手が今どんな気分で、なにを考えているのか、ある程度はわかるようになるということじゃな」


「もうそれ一種のテレパシーだな……」


 説明を聞き、カズキは息を飲んだ。


 ルタがよく魂力の流れが見えているかのように話していたのは、この力を応用していたからなのだろう。


「それについては私めから、補足説明をさせていただければと存じます」


 老人が柔らかく微笑みながら、会話に加わってくる。


「自然の意志というのは、我々の言い方をするならば『星の導き』と呼ばれるものでございます。自然界の様々なものから溢れる魂力は、様々なことを私たちに教えてくれるのです。

 人の発する魂力に、その者の意志や感情、精神性が現れるのと同じで、大自然の魂力にも、自然界の変化や状態が、如実に現れるのです。それを読み解くことで我々は、太古の昔、大きな災害から幾度となく身を守ることができたのです。

 それゆえ星の声を聞く民は、自然界の魂力を読み、生きとし生ける者たちに伝え歩くことを生業なりわいとするようになったのです」


 老人はゆっくり、だが一音一音がはっきりと聞こえるように滑舌よく話すと、一息ついて手元の飲み物を一口なめた。


「わしも、山奥にいながら人間界の情勢を詳しく知ることができたのは、この『自然界の魂力を読む』能力と、山の生き物たちのおかげじゃ。

 あやつらは言語を扱えないが、当然魂力はあるからの。狩りにやってきた人間らから魂力を介して学んだのか、様々なことを教えてもらったよ」


「そ、そんなことまでできんのか……」


 ルタは穏やかにそう話したが、カズキはわずかな戸惑いを感じる。


 もし、ルタに自分の考えや思考など、すべてがお見通しだったら……ちょっと恥ずかしいぞ。


 少しだけ、カズキの心内がかき乱された。


「ルタリスア・I・アイシュワイア様の仰るとおり、魂力を介して自然界と対話する力を習得することで、言うなれば未来予知や真理の追究といったことが可能になります。

 私めが、お二人がここにいらっしゃることを前もって知ることができたのも、この力によるものでございます」


「はえ~」


 納得と感心から、思わず声が出るカズキ。

 抱いていた警戒心は、気が付けば雲散霧消うんさんむしょうしていた。


「こやつらのような星の声を聞く民は、人間だけでなく、亜人や魔族にもおる。そうじゃな? 種を問わず、星の導きとやらを伝える旅をしているのじゃろう?」


「ええ。それが種の本来あるべき姿ですから」


 ルタの問いかけに、老人は穏やかに答える。


「……俺も魂力を読む力って、身に着けることができるのか?」


 カズキは話を変えるように、老人に問う。


「訓練を積むことで、誰でも読むことができるようになるとは言われています。

 ただ、我々のように、人生すべてを星の声を読むことに捧げている者でない限り、魂力の声は遠く小さくなっていくとされています。

 自然の静寂せいじゃくではなく、文明の喧騒けんそうに身を浸してしまえば、星の声は聞こえなくなる……」


「郷に入りては郷に従えとも言うしの。文明の中に暮らせばおのずと、自然の声は遠ざかっていってしまうものなのじゃろうて」


「そういうことでございますね」


「…………」


 ルタと老人の、どこか浮世離れした会話に、カズキはついていけず黙った。


「わしの場合は、山にいたというのが大きいのう。まぁ、さすがに星の声を聞く民ほどに洗練された未来予知はできぬがな。それでも、習得までに三十年程度はかかった記憶があるのう」


「さ、三十年!?」


「まぁ、わしの場合三十年など、うぬらで言えば数日のような感覚じゃがな。ただ、うぬのような魂力に愛された者ならば、十年かそこら、あるいはもっと短い時間で習得できるやもしれぬぞ」


「短くて十年か……」


 カズキはその年数に絶望する。


 ルタが『魂力に愛された者』と、カズキをめずらしく褒めたにもかかわらず、それも耳に入ってこない。


「ところで、貴様はなぜわしら二人を招いたのじゃ?」


 老人に顔を向けたルタが、眉間に皺を寄せてたずねる。


「私の役目は、お二人の下山の労をねぎらい、旅支度を整え、次の目的へと導くことにございます。それが私に聞こえた“星の導き”でしたから」


「ふむ……ならば聞こう。わしらが最初に目指すべき場所を」


 柔和ながらも強い決意のこもった老人の瞳を見つめていたルタが、なにかを感じ取るように頷いた。


 隣で様子を見ていたカズキも、老人の覚悟を感じさせる眼差しに、ただただ恐縮する。


「まず、お二人の最初の目的地となるのは――亜人の国、フェノンフェーンでございます」


 亜人の国、フェノンフェーン。


 カズキは当然聞いたこともない地名だったが、まだ見ぬ土地、世界への期待感で、胸が高鳴った。


「うむ、わしも向かうならばあそこじゃろうと思っておった。あの土地には確か、幻獣伝説が語り継がれておったからな」


「幻獣伝説……あぁ、それで、ルタの仲間がいるかもってことか」


 カズキは言い、二人の顔を交互に見やる。


「ええ。それに加え、お二人の協力者も現れるであろうと、“星の導き”には出ておりました。

 あそこに行くためには、ジプロニカの貴族領であるハンズロストックを経由して行く必要があります。そして、関所を通過するには通行手形がいる。これが、それにございます」


 老人は、床に置いてあった麻袋から木製の板を取り出し、テーブルに置いた。

 見ると、なにやら文字が書かれ、大仰な判が押されていた。


「うむ、恩に着る」


「次は身支度でございますね」


 言うと、老人は立ち上がって、家の壁に掛けてあった袋などを取り、テーブルに並べていく。


「カズキ様には、こちらのブリオーを。これをベルトで止めて着るのが、一般的な服装にございます。寒い場合などは、こちらのマントをお使いくださいませ」


「ありがとうございます」


 カズキは好奇心旺盛に、受け取った衣服にすぐ袖を通してみた。


 ブリオーと呼称された大きくゆとりのある紺色の長衣ちょういを、腰の辺りでベルトで止める。

 膝下まである布がきゅっとウエストですぼまったような格好となり、西洋風の雰囲気が強く醸し出された。


「おぉ、なんか騎士っぽい!」


「これに加え、こちらを」


 差し出されたのは、革製の二股手袋だった。

 親指とそれ以外の指、という風に別れるタイプのものだ。


「『魂装カルマの右手』を人肌に化かすより、形だけ維持してこれをはめておく方がなにかと便利であろうと思いまして」


「なんか……本当に、ありがとうございます」


 自分でも考えていなかったことへの気遣いをされて、カズキは一瞬言葉を失う。


「次にルタ様ですが、そのままの格好では目立ってしまいます。

 金髪や銀髪は、古来から古代種の特徴とされてきました。その髪は特に、お隠しになられる方がいいでしょう。こちらをお使いください」


 言ってルタに手渡されたのは、ゆとりあるフード付きの、漆黒のローブだった。


 ルタは一度それをじっくり眺めたあと、流れる動作で袖を通した。 


「人の世では近年、長らく奴隷として扱ってきた亜人との和平条約が結ばれましたが、人間の中には、未だ人間以外を奴隷にすべきと考える差別感情が根強い。

 特に、ドラゴンと同じく滅んだとされるエルフは、容姿も美しく、生かして奴隷にしておくべきだったと嘆いている輩も多いと聞き及んでおります。

 ゆえに、ルタ様はそのお姿である限り、できるだけ目立たぬよう行動していただく方が安全かと存じます」


「確かに、エルフ族と思われでもしたら、厄介なことになるな。ならば仕方ない。あまりこのフードは取らぬよう心がけよう」


 言ってルタは、ローブのフードを目深にかぶる。


「私めで、比較的安全なルートを記した地図をご用意させていただきました。それに則って移動していただければ、できる限り人との接触は避けられるかと。

 ただ、どうしても人との接触を避けられない場合もございます。その際は、できる限り目立たぬようお心がけくださいませ」


「ふむ。なにからなにまで、恩に着る」


「いえ、これが私の星の声を聞く民としての、ですから」


 そう言いながら老人は、二人のためにと保存の利く食物や道具類をまとめたり、荷物を大小に分けて持ちやすいようにしてくれたりと、うやうやしいほど世話を焼いてくれた。


 どこか慈愛のようなものすら感じさせる老人の態度に、カズキは最初の警戒心を申し訳なく思いはじめていた。


「さて、もう遅い。今宵はゆっくりと、お休みになってくださいませ。寝床は離れに用意してありますので、私には気兼ねなくお休みください」


「ありがとうございます」


「私の方こそ、この程度しか準備することができず……申し訳ありません」


「い、いえ! そんな! 十分すぎますよ!」


「ありがとうございます。私めにはもったいないお言葉にございます」


 そんなやり取りを交わし、再びカズキは頭を下げ、ルタと共に離れへと向かった。


 寝具は、わらを木組みに敷き詰めただけの質素極まりないものだったが、岩肌の上に熊の毛皮で寝ていたカズキにとっては、それすら極上の寝心地に感じられた。


 カズキは一瞬で、眠りに落ちていった。




    †    †    †    †




 澄んだ空気が流れる早朝。

 カズキとルタはすでに身支度を済ませ、玄関先で老人に見送られていた。


「道中、お気を付けて」


「うむ。貴様も長生きするのじゃぞ」


「色々と助かりました。ありがとうございます」


 カズキは、老人に深く頭を下げた。ルタは腕を組んだままだったが、老人へ言葉をかけていた。

 背を向けて、一歩を踏み出す。


 老人は二人を、入り口の扉に立ってずっと見送ってくれた。


 カズキは歩きながら何度も、革製の手袋を握り込んだ。

 魂装している右手にも、しっくり馴染む。


「いい人だったな」


 カズキは歩きながら、誰にともなく呟く。


「いいも悪いもない。星がわしらを導けとあやつに語り掛けたのじゃ。それを守るのが、彼ら星の声を聞く民の定めなのじゃ」


 ルタは前を向いたまま、特に気に留めることもなく言う。


「そういうもんなのか」


 言ったあと、カズキはふと気になり、後ろを振り向いた。

 老人はすでに家の中に入ったのか、視界にはぽつんと小さな家が建っているだけだった。




    †    †    †    †




 カズキとルタの背中を見送った後。


「――星の導きがあらんことを」


 老人は祈りを捧げるように、目を閉じ手を組むと、細々と呟いた。

 そして、一人小さく微笑んだ。

 

 その顔はまるで、すべての天命を全うしたような満ち足りた顔だった。

 老人は次の瞬間――光の粒子となって、大気中に消えていった。


 その数秒後、カズキが一度だけ振り向いたが、彼が老人の行く末を知ることは、決してなかった。



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