第16話 結城真帆の刻苦事情(4)

「では、説明してもらおうか」

「……申し訳ございません。何が、なんだか」

「結城真帆の父親である私が、憤怒を携え説明を求めた。これ以上の情報が必要なのかね?」


 土曜日の夜。

 営業を終え、閉店作業を終え、他の皆様が帰宅してから数分後。

 店の出入り口で此方を見ながらコンコン扉を叩く男性がいたため、ビクビク怯えながら「どちら様ですか、どのようなご用件でしょうか」と紙に書いて見せたところ「結城真帆の父親である」と書かれたケータイ画面を見せられたので、急いで扉を開いた。

 すると挨拶をする間も無く、鬼のような目をした彼が無言のまま発する圧力で店の隅まで追いやられた。

 ものすごく怒っているようだけど心当たりが無い。

 でもそれを言ったら殴られるかもしれない雰囲気で、怖くて何も言えない。

 無音の時が続く。

 やがて痺れを切らしたのか、カァッと目を見開いて声を出した。


「貴様は、その、なんだ……真帆に金を払い、あれこれさせているそうじゃないか」


 アルバイトの事だろうか……?


「……あれこれ、というのは?」

「その、なんだ……俗に言う、後片付けをやらせたそうじゃないか」

 

 俗に言う後片付けとは何だろう。一般的にも後片付けではないのだろうか……。

 さておき、どうやらアルバイトで間違いなさそうだ。

 それに、これほど怒っているからには特別な理由があるに違いない。


「……何か、問題が?」

「なんだと?」

「……特別ハードな事は頼んでいません」

「ソフトなプレイなら問題ないとでも?」


 プレイ……? 先程から馴染みのない表現が多い。日本から離れていた時間が長いせいだろうか。

 プレイ、和製英語? ……仕事をすること?

 

 何かを考えているのが顔に出てしまったのか、彼の中央に寄った眉毛がピクリと震えた。


「君に、罪の意識は無いのかね?」


 罪の意識……? 法律は厳守しているし、真帆さんの生徒手帳を見る限り校則でも問題ないはず……。


「……すみません、仰っていることが、よく分かりません」

「ふざけるなよ……」


 顔中の筋肉が痙攣している。

 いけない、本気で怒らせてしまったらしい。

 全身がビリビリと緊張するのが分かる。逃げ出したい。

 その思いからか、口が勝手に言い訳をする。


「……ルールは、厳守しています。それに結城さん、いえ、娘さんの嫌がる事はさせてはいません」

「ほう、つまり何だね? 合意のうえ、とでも言うのかね?」


 合意も何も、そもそも結城さんが自由意志でバイトに応募してくださったのだ。


「……はい」

「嘘を吐くなッッ!!」


 びっくりした。すごく大きな声だった。

 怖くてコクコク頷くことしか出来ない。

 ついに胸倉を掴まれ、小さく悲鳴を上げてしまう。


「真帆が、真帆が望んでそんなことをするわけがない! 貴様ァ! あの子に何をしたァ!」

「……なに、も、して、ません」

「いい加減にしろォ!」

「それはこっちのセリフだよ!」

「なんだとォ!?」


 とんでもない幻聴が聞こえたと思ったら、どうやら彼にも聞こえていたようだ。

 今の幻聴には聞き覚えがある。

 それは彼も同じなのか、胸倉を掴む手から力が抜けた。

 振り返る。

 目を向ける。

 店の出入り口に、息を切らせた結城さんの姿があった。


「ま、真帆……」

「なにしてるの?」

「いや、私は、おまえの為に……」

「なにそれ、これの何処が私のためなの?」

「こんなこと、続けさせるわけにはいかない」

「こんなことってなに。これは、私がやりたくてやっていること。パパに口出しされたくない」


 口調こそ静かなものの確実に怒りが伝わってくる。

 怒りの矛先は違えど、胸倉を掴まれた時よりも大きな恐怖を感じてしまう。

 普段の結城さんからはとても想像できない。

 口なんて、出せるわけがない。


「やっぱりこうなった……だからパパに言いたくなかったんだよ」

「どういうことだ」

「どういうことじゃないよ。いっつも邪魔する。私がやりたいこと、なんにもやらせてくれない」

「普通の事なら、真っ当なことなら文句は言わない。だがこれを認めるわけにはいかない」

「なんで? なにもおかしくないでしょ」

「それは本気で言っているのか……?」

「あたりまえだよ!!」


 一喝。

 ガックリと膝を落とした彼は、目に涙を浮かべていた。


「……私が悪いのか? いままで、真帆に好きな事をやらせてやらなかった、私のせいなのか……?」


 その姿を見て、結城さんが一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべた。


「私、本気なの。だから邪魔しないで」

「……許してくれ。謝る。他の事なら、もう邪魔しない。門限だって無くしてやろう。だから、考え直してくれ……っ」

「やだ」

「少しは私の気持ちも考えてくれ。もしも母さんが同じことをしていたら、お前は嫌じゃないのか?」

「嫌なわけない。嬉しいくらいだよ」


 絶句。結城さんがきっぱりと言い切ると、彼はガックリ肩を落とした。


「ごめんなさい店長さん。父が、ご迷惑をお掛けしました」

「……いえ、此方こそ」


 まったく理解が追いつかない。

 いったい何が起きているのだろう。


「パパ、ちょっと過保護っていうか、でもでも悪い人じゃないんです。だから、あの、悪く思わないであげてください」

「……はい」


 過保護、なるほど。

 聞こえてきた話を踏まえて……いや、納得できない。

 どこかズレているような気がする。

 彼は他の事なら良いと繰り返していた。

 これは、そんなに悪い事だろうか?


「……真帆、お前は、この男をどう思っているんだ?」

「店長さんの事は尊敬してる。私も店長さんみたいになりたいって思ってる」

「……なるほど、信用しているのだな」

「そうだよ」

「そうか……ならば」


 立ち上がる。


「私にも信用させてくれ! 貴様を信じさせてくれ!」


 真剣な目だった。

 娘を思う愛情が痛いほど伝わってきた。

 応えたいと思う。

 ずっと続く違和感がある。

 だから、同じくらい真剣な言葉を返そうと思う。


「きっと、誤解があります」

「誤解だと?」

「はい。お父さんが危惧するようなこと、真帆さんに害が及ぶようなことは、なにひとつありません」

「本当なのだろうな?」

「はい」


 彼の瞳に映る自分を睨んだ。

 もっと、もっと誠実な目をするんだ。

 信用してもらえるように。

 安心してもらえるように。


「……ふっ、誤解、か」


 やがて、安堵したように息を吐いた。

 伝わったのだろうか。


「どうやら、貴様の言う通りだったらしい。良い目をしている」


 それだけ言ったあと、何かを考えるような間があって、けれど何も言わずに振り返った。


「真帆、許してくれ」

「……私も言い過ぎた。ごめん」


 その背中が語る。


「店長殿、先程の非礼を詫びる。少しは信じてやろう。だが」


 いったん言葉を切り、


「貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはない」

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