第10話 夢見る乙女の作家事情(前)


 夜の街。

 喧騒に支配された昼間とは一転して、微かな足音すら聞こえる時間になった。

 もしかしたら私の鼓動が彼に聞こえているかもしれない。

 そう考えると胸の奥から何かが湧き上がってくる。

 それが喉に詰まって、どんどん息が苦しくなっていく。

 ひたすら前を見ていた。

 目を合わせられなかった。


「……どうかした?」


 彼が心配そうに言った。

 私の緊張が伝わっちゃったのかな。


「ううん、なんでもない」


 少し声が高くなったけど、なんとか裏返らなくてよかった。

 それから声を出したおかげで、ちょっとだけ緊張が解れた。

 今なら、上手く話せるかもしれない。

 彼に気付かれないよう息を整える。


「あのっ――ごめんなさい、どうしたの?」

「……こっちこそごめん。なんだった?」

「ううん、なんでもない」


 ああもう私のバカっ! タイミング悪すぎだよっ!

 って、ダメ! ここで黙ったら、またっ。


「何を言おうとしたの?」

「……大したことじゃないんだけど、そうだな…もう、一年も経つんだなって」

「……そうだね」


 あれからもうそんなに経つんだ。


「……いろんなことが、あったな」

「うん、そうだね」


 本当に、いろいろな事があった。

 たとえば――


 ………………ボツ。

 

「あああああもうダメ! 進まないいいぃぃぃ!」


 ばんばんキーボードを叩くと:え:あr::えお:b:文字化けしたみたいになった。

 Ctrl+Zで元に戻して、うーんと腕を組む。

 

 考えてみたら、てんてんとの思い出が全然ない。

 起も承も転も飛ばして結から始まった感じ。だっていきなり修羅場でプロポーズだったんだもん。キャーっ!

 しかも結から始まるってなんだかいやらしっあああああダメ! ノーマルで健全な話にするんだからっ!


 と意気込んで数時間経つけれど、まったく話が進まない。

 

 スタンダードに運命の出会いから始めてみたら、なんだか主人公がてんてんにならなくてボツ。

 だからと突然の修羅場から始まる方向性にしたら、なんだか出落ちみたいになってボツ。

 ならばと回想から始めたら、回想が浮かばず今に至る。


「今さらだけど、てんてんの事あんまり知らない……」


 好きなものはなんだろ……私だよね。

 好きな食べ物は? ……私かな。

 好きな女性のタイプは? ……私でしょ。

 やだもう!


「相思相愛っ! キャーっ!」


 じたばた。

 はぁ。

 さっきから同じことの繰り返し。


「ねぇ、どうすればいいと思う?」


 抱きしめた枕に貼った顔写真は返事をしない。

 そっか、自分で考えなさいってことか。

 うーん、てんてんへの愛の言葉ならどんどん浮かんでくるのになぁ。

 あそっか! まずは詩を書いてみよう!

 そこからストーリーの大筋を決めて、細かい所を肉付けして……うんっ、そうしよう。


 詩かぁ、よぅし、てんてんへの好きを沢山詰め込んじゃうぞ!


 恋が始まったのは甘いお菓子の匂いがする場所

 弱気な彼が私の為に狼を追い払う

 そして真っ直ぐな目で言ったよ結婚しよう

 その言葉が私の心を掴んで離さない

 会えると嬉しい

 会えない時は寂しい

 だけどぽっかり空いた胸の隙間にいつも彼がいる

 こんな気持ち初めてなの

 高鳴るこの想いときめき止められない

 画面に綴る愛の言葉があの人に届いたらいいな

 

 うん、こんな感じかな。


 これを土台に……

 ええっと、まずは接続詞を消して……

 それからリズムと抑揚を付けて……

 あ、ここはこうしちゃおう……


 よしっ、出来た!

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