第9話 金髪少女の姉妹事情

 午後五時くらい。

 駅から自転車で十分くらい。

 本屋とスーパー、いくつかのコンビニを越えた所にそこそこ大きな池がある。

 これが目印。

 池横保育園とかいう安易な命名をされた施設が、みくの目的地。


 すっかり効き目の弱くなったブレーキを握りしめながら、門の前にポンと立つ。

 すると直ぐに元気な声に迎えられた。

 迎えに来たのはみくだっつぅの。


「お姉ちゃーん!」

「ん、お待たせ」


 妹の未香(みか)は今年で六歳になる。今は五歳。

 手を振りながら走るので転ばないか心配になるけど、最近はわりと大丈夫っぽい。

 未香の向こうで若い保育士の人が会釈した。みくも軽く会釈しとく。


「みかねっ、今日は友達とどろだんご作ったんだよっ」

「そーか、ちゃんと手洗ったか?」

「あったりまえじゃん。みかえらいもん」

「そーかそーか」


 気を付けているつもりだけど、喋り方がみくに似てきているような気がする。

 嬉しいような悲しいような、なんか微妙。


「お姉ちゃん! いつもありがとねっ」

「おー、気にすんな」

「えへへぇ」


 何が楽しいのかニッコニコ笑っている。


「なんかいいことあった?」


 良くぞ聞いてくれましたとばかりに目が輝く。

 みくマジ空気読めてる。


「今日はね、お姉ちゃんにより大きな敬意を表す語彙を身に付けました」

「おー、なになに?」

「ふふん、いくよ?」

「……」

「いくよぉ?」

「おー、こいこい」


 すぅーっと息を吸っている。


 未香は本が好き。

 その影響か、舌足らずで幼い声のまま、たまに大人みたいな言葉遣いをするから戸惑う。

 でもみくは大人の対応をする。だって本当の大人だし。


「お姉さま!」

「ないわ」

「えっ!?」


 ダメなものはハッキリだめという。これ良い教育者の鉄則。


 左手に自転車、右手に小さな手を持って道路の右側を歩く。

 こういう地味なとこで交通ルールを教えるみくマジ教育者の鑑。


「うぅぅ、よろこぶとおもったのになぁ……」


 「お」と「さま」で過剰敬語になっちゃったのが悪かったのかなぁ、とか呟いてる。そういう問題じゃない。てかそれ違う。

 とりあえず溜息ひとつ。


「いや、やっぱりあるわ。あるある。いいんじゃね?」

「ほんとっ?」

「おー、あるある」

「やったぁ! じゃあ今日からお姉ちゃんはお姉さまだね!」

「わーい」


 このちび泣き落としとか、みくより女の武器使いこなしてやがる。マジ将来有望。


「お姉さま!」

「おー」

「お姉さま?」

「なんだよ」

「お姉さま……」

「どれでもいいよ」

「ダメ! ちゃんと選んで!」


 呼び方。マジどうでもいい。


「普通でいいよ普通で」

「やっ! そもそもお姉さまとか言ってる時点でふつうじゃないもん!」

「じゃやめとけよ」

「やっ!」

「つうか、その時のテンションで呼び方かわるっしょ」

「そーだけど、きじゅんがほしいのっ!」

「じゃーお姉さま! でいいよ、一番みかっぽい」

「わかった!」


 やだやだ。

 この若さ分けてほしいとか思ってるみくマジおばさん。まだ十代だっつの。


「ねぇお姉さま」

「んー?」

「前から気になってたこと、あるの」

「なに?」

「聞いてもいい?」

「おー、いいよ」

「あのね……」


 珍しく遠慮してる。なんだろ。


「みかたちって、もしかして、血が繋がってない?」

「……どした、昼ドラでも見た?」

「ううん」

「じゃあ変な本でも読んだ?」

「ううん、あのね」

「おー、何があった?」

「みかとお姉さま、かみのけの色が違うの」


 手を繋いだままで人差し指をピっと伸ばし、ペチっと叩く。これくらいなら痛くないはず。


「これは染めてんの」

「そめる?」

「そ、もともと黒かったのを、金色にしたの」

「じゃあ元はみかとおんなじ?」

「たりめぇじゃん」

「ほんとにっ?」

「おう」

「ほんとにほんとにっ?」

「そんなに疑うと、もう迎えに来ねぇぞ」

「やっ!」

「みかはみくの妹、これ絶対。わかった?」

「わかった!」


 よしよしと頭を撫でてやると、えへへと笑った。

 まったく、何を言い出すかと思えば……。


「あれ? お姉さま、どうして金色にしたの?」

「内緒」

「えー! ずーるーいー」

「うるせぇ、おいてくぞ」

「あー分かった! お姉さま失恋したんでしょ!」

「はぁ?」

「女の人は失恋すると髪を染めるって本に書いてあった」

「そいつの書いた本は二度と読むな。分かった?」

「やっ!」


 次みかの部屋に入ったら徹底的に検閲しよう。姉権力最強。


「とにかく帰るぞ。みくこのあとバイトあるから」

「ばいと?」

「お仕事」

「おー! 流石お姉さま!」

「分かってねぇだろ」

「目指せ職場結婚だね!」

「どこで覚えた!?」

「本に書いてあった!」


 十年早いっつの。つうか何でそんな本ばっか読んでんだよ大丈夫かよ。


「お姉さま! 前の恋は、相手が悪かったんだよ。そんなダメな男は忘れて、新たな恋を探しましょう、そうしよう! おー!」


 一人でぴょこぴょこ盛り上がっている。

 みくは何だか頭痛くなってきた。


「お姉さま、好きな人いないの?」


 五歳がする話題じゃねぇし……うし、ここは姉の力を教えてやる。


「そういうみかちゃんは、好きな人とかいないのぉ?」

「お姉さま!」

「おい」

「みかお姉さまと結婚する!」

「いや無理だから。男子の話だよ。気になってる子とかいないのかにゃぁ?」

「いるわけないじゃん。まわりの男の子ガキばっかなんだもん」

「とかいってぇ、ほんとは気になってる子がいるんじゃないのぉ?」

「あのねお姉さま。たとえばお姉さまが保育士さんだとして、預かった幼児と恋に落ちると思う? みかの恋愛事情はそんな感じ」

「そ、そうですか……」


 やべぇわ思わず敬語だわ。


「だからお姉さまの話を聞かせて! お姉さまなら、きっと周りには素敵な男性がいっぱいいるんでしょっ?」


 うわ眩しい、そんな輝いた目で見ないで。


 だいたい周りの男って……大学にはロクなのいねぇっつうか、そもそも接点ねぇし、高校以下のヤツとは卒業と同時に縁が切れたレベルだし……あとは……。


「ああ! お姉さまいま恋してる顔になった!」

「は、はぁ? なってねぇし」

「なったもん! えっ、だれだれ? どんな人? 教えて教えてっ」

「だから、ちげぇって」

「キャーっ! お姉さまが赤くなってるぅ!」

「なってねぇし!」

「もー、照れてないで教えてよー」

「だからいねぇっつの……ああもうっ、おいてくぞ!」

「あー! 待ってよお姉さま!」


 たくっ、マセガキめ……。

 マジで、ありえないっつの。

 あんなやつ……ただのヘタレだし。


「……なにニヤニヤしてんだよ」

「えへへぇ、だってぇ」

「……なんだよ」

「お姉さまのカワイイところが見られちゃったんだもんっ」

「……まったく」


 あーあ、姉としての威厳がぼろぼろですよ。

 あのクソ店長、今度八つ当たりしてやるから覚えとけよ。

 今度ってか、この後すぐ。


「えへへぇ、今日はいい夢見られそうっ!」

「あっそ」

「うん! あ、そういえばね、おばあちゃんがたまには顔をだせーって言ってたよ?」

「あー、そのうち行くって言っといて」

「わかった。大学が忙しいからムリポって伝えとく」

「いや直ぐ行くわ。みかの読書事情が心配過ぎる」

「えー? 健全な本しか読んでないよー?」

「そーかよ」


 ぴょんぴょんスキップする妹が転ばないように、しっかり手を握る。

 せめて、この小さな手が、みくと同じくらいになるまでは立派なお姉ちゃんでいようと思っていたのに、早くも立場が危うい。

 まったく、適当に彼氏を作って恋愛の経験しとけばよかった。

 

 ……恋愛、か。


「ん? お姉さま! また何かかわいいこと言った?」

「お小遣い減らす」

「あーずるい! それはずるい!」


 あーあ、育て方間違えたかなー。

 たく、こんなんでどうやって教師になるんだっつの。

 あいつ、マジ、てきとーなこと言いやがって……。


「なぁみか」

「ん? なぁに?」

「みく、教師に向いてると思う?」

「もちろん! お姉さまが先生だったら、みかは一日百時間学校にいる!」

「よーし、みくが教師になったらまずは常識を教えてやる」

「えへへぇ、楽しみっ」


 ほんと、五歳児と同レベルなこと言いやがって……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る