第6話 快刀乱麻の要求事情(前)
土曜日。
開店一時間前。
先週に続いて、事務室に全スタッフが集結している。
「……あの、丸井さん」
「……」
彼女は事務室に入ると、あまりにも自然な動きで腕に密着した。それはもう、コアラのように。
「……その、離れていただけると」
「……」
困ったことに目を合せてくれない。
強引に離れていただくわけにもいかない。
救いを求めて他の人を見ると痛烈な視線が返ってきた。
ようは睨まれている。
四面楚歌である。
「……あの、丸井さん、本当にその、困ります」
「……」
返事をしてくれない。どころかつーんと顔を逸らされているような気さえする。
正直、これかなぁ、というものはある。
名前。
しかしながら、この状況でそれを言うのがよろしくないということは、流石に理解できる。
でも、他に思い当たることなど無いわけで……。
「……華」
「なぁに?」
残像が見えるほど瞬間的な反応だった。
とても目がキラキラしている。
「……その、離れていただけると」
「なぁんで?」
「なぁんで? じゃねぇよ会議はじまんねぇだろうが!」
「そうです離れてください! うらやまわぁあああ違う違うっ! ててて店長さん困ってます!」
矢野さんは華のマネをして頬に当てた手を机に振り下ろし、首を傾けたまま怒鳴った。
それと同時に結城さんが途中ものすごい早口で言った。
だけど華はどこ吹く風。
「あぁらぁ? 負け犬の嫉妬ほど無様な姿はなくってよ?」
「はぁぁ? しっとだぁ? いやいやいやいやありえねぇから!」
「そうです私も真帆って呼ばれたいななんて全然思ってません!」
「おほほほみじめですことっ! 私、てんてんから『結婚しよう』と言っていただけたのよ? どう? うらやましい?」
二人から突き刺さるような視線。
「……言ってません」
「てんてんっ!?」
「おやおやぁ? 大丈夫ですかぁ? 妄想と現実まじっちゃってませんかぁ?」
「黙りなさいエセ金髪女っ! 今のは貴女が睨むからてんてんが怯えてしまっただけなの!」
「えー、みくぅ、にらむなんてぇ、そんなこわいことしてなーい」
「そんなことより早く店長さんから離れてください!」
「……あの、喧嘩しないでください」
「てんてん黙ってて!」
「喋んなバーカ!」
助けを求めてキッカさんに目を向けると、きょとんと首を傾げられた。会話が理解できていないのだろうか。
どうしよう。
考えている間にも喧嘩がエスカレートしていく。
どうしよう。
……そうだ、こうしよう。
「……ご協力いただいた結果、初めての黒字になりました。本当に、なんとお礼を言ったら良いか……」
「そのまま始めるんですか!?」
結城さんが目を丸くして言った。
だって、どうしようもないじゃないですか。
「お礼だなんて、当然の事をしたまでですわ」
音もなく腕から離れ席に着いた華が、まるで初めからそこにいたかのように言った。
何か言いたげな矢野さんがグッと堪えた様子で息を吐くと、結城さんも脱力して腰を下ろした。
「んで、どんくらいの黒字になったの?」
「……キッカさん」
「えっと、にまん、よんせんえん、だよ?」
「基準が分かんねぇんだけど、どうなの?」
「……快挙です」
「うふふ、これが愛の力なのね」
「いやいやみくの力だし。だって? みく? 全部売ったし?」
「私も完売させましたわ」
「はぁ? じゃあ真帆は?」
「えっ? わ、私ですか……?」
「ゆうき、さんは、ぜろ、だよ?」
部屋の温度が下がったような気がした。
「すみませんっ!」
「結城さん、てんてんに迷惑をかけないでくださる?」
「ごめんなさい……」
「いやいや、客が来なかったのは真帆じゃなくてそこのクソ店長のせいだし」
「……申し訳ない」
「ちょっと矢野さん? てんてんのせいにしないでくださる?」
「そうですっ、店長さんのケーキは世界一ですっ」
「はぁ? そこのエセお嬢様はともかく、真帆がそれいう?」
「ごめん、なさい……」
「いやいや謝んなし。つうかこの話やめよ。バイトが売り上げ気にしなきゃいけないとかマジブラック」
なんだか空気が悪いような気がするけど、とりあえず本題に入ろう。
「……というわけで、出来れば来週も、お願いしたいと思います」
「うんっ、二人きりになれる貴重な時間だもんねっ」
「……いえ、そういうのは、仕事なので」
「もうてんてんったら照れちゃってもう!」
「いや公私混同すんなってことだし」
「二人きりの空間で、お客さんが来るかもしれないという状態にも関わらずああああああああああダメ! ダメよてんてんダメ!」
「聞こえてねぇし……」
「……矢野さんは、どうですか?」
「みく? みくはちゃんと金くれるんなら働くよ。だから好きにすればセクハラ店長」
いつもより矢野さんが怖い。今日はそっとしておくことにしよう。
「……結城さんは?」
「はい! えっ、あっ、もちろんやります! もう一度チャンスをください!」
「……いえ、こちらこそ」
正直、結城さんに非は無い。あれは此方のミスだ。
ちゃんとした機会にきちんと謝罪しよう。
「……それでは、来週も同じ時間にお願いします」
華を含め、三人からの了承が得られた。よかった。
「あれおわり? まだ時間あるけど」
矢野さんの目を追って時計を見ると、まだ始まってから十分しか経っていない。
どうしよう。
準備は終わっているし、五十分という時間を無駄にするわけにはいかない。
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