第4話 結城真帆のバイト事情
「おはようございます! よろしくお願いします!」
「……おはようございます。出来れば、裏からお願いします」
「はい! えっ、あっ、失礼しました!」
午後6時40分、制服のスカートをゆらしながら元気良く現れた結城(ゆうき)真帆(まほ)さんは、その場でくるくると二回転して裏口へ走った。
木曜日の担当は彼女。部活動が終わった後に直接来ていただけることとなった。
結城(ゆうき)さんは高校一年生で、将来はパティシエを目指しているそうだ。バイトに応募してくださった理由は、この店で食べたケーキに感動し、ぜひ教えを乞いたいからだとか。とても嬉しいけれど、教える力など持ち合わせていないのが心苦しい。
「すみません! 次から気を付けます!」
「……いえ、あまり気になさらず」
躓きながら再入店した結城さんが、大きく頭を下げた。
「ええっと、まずはタイムカードを……」
おっかなびっくり両手を使ってタイムカードを機械に差し込むと、此方に駆け寄る。
「あのっ、まずは何をすればいいですか?」
「……まずは、着替えていただけると」
「はい! えっ、あっ、ごめんなさい!」
慌ただしくその場で二回転して更衣室に走る。だが扉に触れた途端に回れ右して戻ってきた。
「あわわわタイムカードっ、着替えてからでしたっ、ごめんなさい!」
「……いえ、お気になさらず」
「あっ、わわわ! うぅ、店長さん……」
勢いで再び差し込んだタイムカードを途中で引き抜こうとした結果、おかしな場所に時間が刻まれてしまったようだ。
「……直しておくので、とりあえず着替えてください」
「はい…ごめんなさい……」
トンっと更衣室の扉が閉じた後、嵐が過ぎた後のように静かに、いや、更衣室の方から着替えではありえない音が聞こえてくる……大丈夫かな。
そんな心配をしながら待っていると、やがて着替えを終えた結城さんが涙目で現れた。
「えっと、あの、今日も頑張ります!」
「……はい、頑張ってください」
仕事をする前から満身創痍といった感じだが、大丈夫だろうか。
木曜日の午後にお客さんが来たことは無いし、大丈夫かな。いや大丈夫じゃないけど、まあ大丈夫だろう。どういうことだろう。
「今は、お客さん、いませんね」
「……はい、いつも通りです」
「あ、ごめんなさい! そんなつもりじゃなくて、えっとっ、あのっ!」
胸の前で両手を振っている。
「……落ち着いてください」
「私っ、店長さんの事を尊敬してます!」
「……恐縮です」
「ああええっとそうじゃなくてっ、いや違わないんですけど、何が言いたいかというとですねっ!」
早口で言いながら小柄な体でぴょんぴょん回転している。
回るのが癖なのかな。
後ろを向いた時、もともと短い髪をさらに一本にまとめた部分が尻尾のように揺れていて可愛らしい。
「あのっ、お客さんがいない時でいいのでっ、お話を聞かせていただけませんか!?」
「……はい、分かりました」
「やったっ、ありがとうございます!」
グッと両手を握りしめて喜ぶ姿を見ると、此方まで和やかな気持ちになる。
面白い話なんて持っていないけれど、結城さんはガッカリしないだろうか。不安だ。
「それでは、えっと、店長さんは、いつからパティシエになろうと思ったんですか?」
「……いつから、というのは難しいです。気付いたら、お菓子を作っていました」
「生まれる前からということですね! 流石です!」
「……いえ、そこまででは」
「だからあんなに美味しいケーキが作れるんですね! 凄すぎます!」
「……」
尊敬してくれるのは素直に嬉しいけれど、なんというか、他の子とは違った意味で話し辛い……。
次から次へと続く質問に答え続け、気が付けば八時を過ぎていた。
目をきらきらさせた姿を見ていると、本当に好きなのだなと思わされる。
「……結城さんは、どうしてパティシエに?」
「えっ? 私ですか?」
「……すみません、気になったので」
「あっ、えっと、小さい頃から甘いものが好きで、自分で作ってみたらすごく楽しくて……だから店長さんのことっ、すごく尊敬しています!」
「……そう、ですか」
「はい! あんなに美味しいケーキを食べたのは初めてです! もちろん他のも美味しいんですけど、ケーキだけは特別っていうか、世界一です!」
「……恐縮です」
こんな風に褒められることに慣れていないせいか、妙に照れてしまう。
「私も、あんなケーキが作りたいです」
その一言の後、初めて会話が止まった。
沈黙のせいで、一度は収まった妙な感覚がじわじわと浮上してくる。
彼方此方へ目を泳がせていると、やがて結城さんの視線とぶつかった。
「あっ……えへへ」
「……」
「……」
何か言ってくれるかな、と思ったが何も言ってくれなかった。
本当に妙な感覚だ。そわそわするというか、これが気まずいという感覚だろうか。なんだか息苦しい。
「……ケーキ、作りましょうか?」
「はい! えっ、あっ、えっ?」
「……お菓子作りは、見て覚えました。教える事は出来ませんが、見せることなら出来ます」
「い、いいんですか!?」
「……はい」
「ぜひ! あ、でも、お店……」
「……問題ありません」
「でもでも、まだ売り物のケーキも残ってますし、余っちゃいます……」
「……まかない、ということで」
「ほんとですか!? あっ、でもでも仕事中ですし、うぅぅぅ~」
頭を抱えて、くるくる回る。
「ケーキっ、でもお仕事っ、でもでもケーキっ、うぅぅぅぅ」
「……すみません、困らせてしまいましたね」
「はい! えっ、あっ、とんでもないです! やっ、わっ」
急停止して頭を下げると、そのままバランスを崩してしまった。
姿勢を戻そうとして両手をぶんぶん振りながら後ろ向きに倒れこんできた結城さんの肩を受け止める。
「……大丈夫ですか?」
「はい、目が回ってしまいました……」
申し訳なさそうに振り向いた結城さんが、途端に目を丸めた。
後ろに何かあったのかなと思って振り返ると、わりと強い力で身体を押され少しだけバランスを崩す。
「……結城さん?」
「ち、ちち近いです! 近すぎます!」
顔を真っ赤にして大きな声。あれ、怒らせてしまったのかな? 近い……受け止めた後は直ぐに離れるべきだったかな? このまえ矢野さんに目付きが悪いと言われたし、怖がられてしまったのかもしれない。
「やっ、その、びっくりしちゃって、えっと、ごめんなさい!」
驚いたと言っているし、やっぱりそうみたいだ。
「……すみません、気を付けます」
「え? そんなそんな、私の方こそですっ」
二人そろって頭を下げると、互いの頭部が急接近した。しまったと思って顔を上げると、同じく顔を上げた結城さんと目が合う。彼女は「わっ」と声を出しながら後退すると、何かに躓いて転んだ。
「……大丈夫ですか?」
「いてて……あっ、わわわ、ごめんなさい!」
慌てて立ち上がった結城さんが何かを蹴った。見ると、壊れたゴミ箱の破片だった。どうやら倒れた際に潰してしまったようだ。
怪我をしていないかと結城さんを見ると、少し服が乱れている程度で問題は無さそうだった。ただし真っ青に染まった顔を見るに、幾分かショックを受けてしまったようだ。
「……気にしないでください」
「ごめんなさい弁償します!」
「……いえ、結構です」
「ほんとにごめんなさい! わたし、甘いもの大好きでっ、ついつい食べ過ぎちゃって、そのせいでえっと、ごめんなさい!」
参った。まったく気にしていないのだが、結城さんからしたらそうはいかないらしい。
「……では、給料から引いておきます」
「……はい、気を付けます」
彼女の気が収まるよう、とりあえずそう言った。
どうやら納得してくれたみたいだけど、しょんぼりした様子は変わらない。むしろどんどんしょんぼりしていく。
「もう、やだ……」
ついには、涙を流してしまった。
「……あの、本当に気にしないでください」
「でも、ゴミ箱さん、かわいそうです……」
彼女は床に散らばった破片を集め、ごめんなさいと繰り返す。
「私が太ってなければ、こんなことにはならなかったのに……」
痩せていても結果は変わらなかったと思うというか、太っているとは思わないけど……困った、なんて言葉をかければいいのだろう。
「店長さんっ、この子はっ、私がちゃんと供養しますっ……」
「……はい」
妙な迫力に押されて頷くと、結城さんは壊れたゴミ箱を持って裏口へ向かった。店で出た廃品などを処理する場所は裏口にある。
やがて戻ってきた結城さんは、手を洗いながら重たい溜息を吐いた。
「……結城さん」
「はい、なんですか?」
どんよりとした背中に向かって言える事は、生憎ひとつしかない。
「……ケーキ、食べますか?」
「もっと太れってことですか?」
「……いえ、そんなつもりは」
しまった、逆効果だった。
「……ただ、大好きなケーキを食べれば、元気になってくれるかなと」
「……そんなの」
結城さんが此方を向く。
食べ物で機嫌を取ろうとした事を悔いながら、どんな言葉も受け止めようと覚悟した。
だけど驚いたことに、彼女の表情は予想とはまったく違うものだった。
「そんなの、すごく元気になっちゃいます」
その笑顔に、思わず鼓動が高まる。
ケーキや洋菓子を作る時に、いつも考える事がある。
食べた人は、喜んでくれるだろうか。
お店を開いて、そもそも食べてもらえないことも多くなったけれど、それは今でも変わらない。
だけど今日は少し違った。
このケーキで、笑顔になってもらおう。
本日の売り上げ、340円。
赤字だ。大赤字だ。
でも代わりに、とびきり美味しいケーキが作れた。
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