第3話 夢見る乙女の王子様事情

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」


 午後七時三十分。

 水曜日の担当となったのは丸井(まるい)華(はな)さん。

 七時から働く予定だった彼女は、十分前にはタイムカードを押した。

 それから店内に客の姿が無いと見るや、自主的に外へ出て客引きを行った。 


 先週は閑散としていた店内が、今は遠目に見て営業中と分かる程度には繁盛している。決して他人事ではないのだけど、自分は素直に感心していた。


「アイスコーヒーをおひとつですね。承りました」


 丸井さんは一人の男性客から注文を受けると、一歩下がって会釈した。

 頭を上げた後、お客さんの目を見て微笑む。

 それから振り返って、レジの裏に向かった。

 ぼーっとレジで丸井さんの接客を見ていた自分は、慌ててグラスを取り出す。

 それから直ぐに氷を入れ、彼女に渡した。

 

「ありがとうございます」

「……いえ」 


 レジの裏には安価な長机があって、その上にコーヒポットやストロー等が並んでいる。机に隣には冷蔵庫と製氷機があり、氷やグラス、その他の飲料もここにある。

 

 彼女がアイスコーヒーを入れる間、店内には静寂が訪れた。

 目にかかった前髪を耳に掛け、アイスコーヒを注ぐ。

 ただそれだけの姿に誰もが目を奪われた。

 それは彼女の容姿もさることながら、何処かの御令嬢のように上品な所作によるものだろう。


「お待たせいたしました」

「……どうも」


 彼女が品を届け、その席を離れると直ぐに次のお客さんが声をかけた。


「僕も彼と同じのを頼むよ」

「承りました」

「それにしても、君、いいね」

「恐れ入ります」

「大学生?」

「いえ、高校生です」


 その言葉を聞いて、男性客は驚いたような顔をした。

 自分も同じ思いで、彼女ほど立派な若者そうはいないと思う。

 だからこそ、定期的に見せられる奇行が怖い。

 こうして立派な接客をしている姿を見ていても、いつ暴走するのかと不安だ。


「今度、二人でお茶しない?」

「お茶でしたら、当店のグリーンティーがとっても美味しいですよ。お入れしましょうか?」

「ははは、こりゃ手厳しい。それじゃあ、おひとつ頂けるかな?」

「ありがとうございます」


 本当に、こんな子がどうしてあんな――


 そんなこんなで時間が過ぎ、徐々に商品が減り、ついに。


「……完売、しました」


 驚いた。用意した量が少ないとはいえ、二日続けて……。

 ふと、矢野さんに言われた言葉を――営業努力しろし――思い出す。なるほど、これが。反省せねば。

 品切れの旨を丸井さんが丁寧に伝えていき、やがて店内からお客さんの姿がなくなった。


「……ありがとうございます」


 心からお礼を言うと、だけど丸井さんは不思議そうな表情で振り返り、少しの間のあと微笑んだ。


「てんてんの作る商品があってこそです。完売、おめでとうございます」

「……恐縮です」

「さて、まだ閉店時間まで幾分かありますが、如何なさいましょう?」


 とても高校生とは思えない言葉遣いにたじろいでいると、ちょうど来客があった。


「申し訳ありません。完売につき、本日の営業は終了しました」


 若いスーツの男性客に向かって、迅速に頭を下げる。少しだけ呆気にとられた後、慌てて頭を下げた。


「えー? 完売? うっそだー」


 落胆した声を聞くと、もう少し用意しておけばよかったと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。次は気を付けよう。


「あの、お客様?」


 どうしたのだろう。

 お客さんは、真っすぐ丸井さんに近付き、彼女の顔をじーっと見ている。


「いやいや、まだ商品残ってんじゃん」

「……申し訳ございません。此方は非売品でして」

「うんうん。そうだよね、愛はお金じゃ買えないもんね」


 見るからに困ったような声だけど、笑顔は崩さない。プロだ。

 いやいや、関心している場合じゃない。


「……あの、お客様」

「あ、じゃあさ、まずは名前教えてよ」

「……あの」

「ねぇ名前は? な、ま、え」


 仕方なく、肩を掴む。すると流石に無視できなくなったのか振り向いてくれた。もの凄く怖い目。


「……申し訳ありません。お引き取り願います」


 なんとか目を逸らさず、ゆっくりと言った。脚の震えとか伝わっていないだろうか、不安だ。

 彼は怖い目を続け、何度か口を開閉すると、やがて目を逸らして、無言のまま店から出て行った。

 ……怒らせてしまっただろうか。

 しかし、あの場合はどうするのが正解なのだろう。



 ――と、彼が真剣に悩んでいる横で、丸井華も悩んでいた。


 え、どういうこと?

 彼氏を募集していたんじゃないの?

 でも、私のこと、また助けてくれた……なんで?

 人を助ける時って、見返りを求める時でしょ?

 つまり……どういうこと? てんてんは私に何を求めているの?

 

 ドクンっ


 え、やだ、そんな、どうして?

 彼はアブノーマル。あの土曜日の会議で、私は遠回しにフラれた。

 だから、さっきはきっと別の……だけど、別の目的ってなに?

 そんなの――思いつかないよ。

 ……キャーっ! うそてんてん私のことっ……キャーっ!

 やだ、ダメよそんなの!

 私はまだ十七歳なんだからっ!

 あれ? 結婚できる!?

 って、まさか……さっきから真剣な表情で何かを考えて……なんて、真摯な眼差し。素敵。

 見惚れている場合じゃありません!

 そんなまさかっ、私、求婚されてしまうの?

 いやでも状況を考えると……口付けを、されてしまうかも。

 そんなっ、そんなのダメ!

 に、逃げなきゃ……えっと、えっと――



「……丸井さん? どうかしましたか?」

「ひゃぁい!」


 いけない、驚かせてしまったようだ。

 なにやら動揺した様子だけど……いや、考えるまでもない。平気そうに見えて、きっと内心では怖かったのだろう。


「……すみません。次は、事前に防げるよう努力します」

「え? ……あ、ああ、いえいえいえ……」


 とは言っても、事前に防ぐなんて可能なのだろうか。

 さっきみたいに性質の悪い人もいるが、そうではなく、コミュニケーションの一部として、冗談めかして言う人もいる。それを見極め、事前に防ぐとなると……。



 ――と、再び彼が真剣に悩んでいる横で、丸井華も悩んでいた。


 どういうことですの?

 私を狙っているのなら、もっとストレートに来るはず。

 だって今は二人きり……ふたり、きり?

 ぶんぶん!

 大丈夫よ大丈夫。いざとなれば逃げられます。

 それに、えっと……そうです。彼はきっと、私の事を気遣ったに違いありません。

 私が狼狽した様子だったから、気を使ったに違いありません。

 ……なんて、紳士的。

 ぶるぶる!

 何をうっとりしているの丸井華!

 冷静に考えて! てんてんは彼氏を……っ! そうか!

 さっきのっ、元カレだ!

 うんそうだよ間違いない。

 だから、あの会議で新しい彼氏を探そうとしていたのね。これでスッキリしました。

 そうですよ。さっきの迷惑な男も、ヤケにあっさり帰りましたし、それに、あんな迷惑な人がそうそういるとも思えません。きっと元カレであるてんてんにちょっかいをかけに来たに違いありません。


 つまり、このあと……


「おまえさ、最近いろんな女を連れ込んでるようじゃねぇか」

「……違います」

「(壁ドン)じゃあアレはなんなんだよ」

「……ただの、バイトです」

「(股ドン)噂じゃおまえ、彼氏募集しようとしてたらしいじゃねぇか」

「……ど、どこでそれを、っ!」

「本当だったのかよ……」

「……だ、だけど貴方だって! 僕の前で、よりにもよって女の人を口説くなんて!」

「おいおい、逆ギレか?」


 修羅場ァ!

 しゅ・ら・ば・キター!

 キャーっ!

 この後は、当然こうなるよね……。


「……うるさい!」

「うるさいのは、お前の口だ……」


 だ、だめ! ダメダメそんなのダメダメぇ!

 ……あれ?

 なんだろ、胸が痛い……?


「……なに、するんですかっ」

「俺と同じ気持ち、教えてやっただけだよ」


 同じ気持ち……まさか、嫉妬?

 私が? 嫉妬してる?


 瞬間、思い出されるのは少し前の光景。

 てんてんの真剣な眼差し。

 普段の姿からは想像も出来ない、獰猛な獣のような目付き。

 そして、囁かれる甘い言葉。


「結婚しよう」


 ……っ!?

 うそ、私、もしかして――



「……丸井さん? 大丈夫ですか?」


 どうしたのだろう。先程から何度か声をかけているのだが返事が無い。それに、顔色が悪いような気がする。


 ふいに、彼女は顔を上げた。


「……だめ」

「……と、言いますと?」

「彼氏なんてっ、そんなのおかしいよ!」


 ……先程の事だろうか? まさか、男性恐怖症のような症状を……。


「てんてん! ちゃんと女の人を好きになるべきだよ!」

「……自分の話、ですか?」

「そうだよ! だっておかしいよ! 男同士なんて!」

「……ええ、自分もそう思います」

「てんてんはっ! ちゃんと女の人を好きにならないとダメなの!」


 よく分からないが、酷い誤解をされているようだ。確かに、自分の働く店の店長が同性愛者というのは嫌だ。自分もそう思う。

 なぜそんな誤解をされたのか分からないが、一応きちんと否定しておこう。


「自分は、女の人の方が好きです」


 あれ、とても驚いたような表情をされてしまった。どこかおかしかっただろうか?

 うーん……やっぱり会話は苦手だ。



 ――と、またしても彼が真剣に悩んでいる横で、丸井華は混乱していた。


 キャーっ!

 私ったらなに言ってるのよもぅ!

 あんなの告白も同然じゃない!

 でも! でもでも! てんてん、女の人の方が好きって……それってつまり……。

 キャーっ!

 どうしよどうしよ!? もうわけわかんないよぉ!

 うぅぅ、すごくドキドキして……苦しい。こんな気持ち初めて……。

 はぁ、はぁ……てんてんが、目の前にいる。

 てんてんが、私を見てる。

 ち、近付いてみようかな。どうなるかな。抱きしめられちゃうかなぁ!?

 キャーっ!

 だめ! だめよてんてんまだ早いよ!

 うぅぅぅぅ、今日はもうダメだ。このままてんてんと二人きりでいたらおかしくなっちゃう……。


 ……え? 二人きり?


 そ、そうだ。私、いまてんてんと二人きりだ。

 

 ど、どぅしよぉぉぉ――



「……あの、丸井さん?」

「ひゃぁぁい!?」


 両手で顔を隠したり、首をブンブン振ったり、目と口をわなわなさせたり……流石に不安になって声をかけると、飛び退きながら返事をした。そんなに驚かせてしまっただろうか。


「……その、なんだか混乱させてしまったようで、申し訳ありません」

「ぃ、ぃぇぃぇ」

「……ところで、丸井さんのおかげで、無事に完売しました。本当にありがとうございます。それで、この後ですが……丸井さん?」

「ぁ、ぁぃ……このあと、ですか?」


 やはり様子がおかしい……まぁ、時々あることなので、気にしないでおこう。


「……はい、まだ少し時間があります」

「そ、そうですねっ」

「……せっかくですので、時間まで掃除をしましょう」

「掃除っ!? お掃除ですか!?」


 そんなに驚くことだろうか?

 このあと掃除道具を渡すと、彼女はプシューと空気が抜けるように落ち着きを取り戻し、黙々と閉店時間まで掃除を続けた。

 

「……それでは、時間です。丸井さん、お疲れ様でした」

「……」


 返事が無い。あれ、もしかせて怒らせてしまったのだろうか。掃除嫌いなのかな。


「てんてん」

「……はい」

「丸井じゃない」

「……しかし、履歴書には」

「華って呼んで。下の名前」

「……なぜ?」

「いいから! 呼びなさい!」

「……分かりました。華さん」

「ち、違うっ! 呼び捨て!」

「……華」

「っ!? お、お疲れ様でしたぁ!」


 無駄にキレ良く一礼したのち、回れ右して更衣室まで走った。

 開いた扉が閉まる前に荷物を持って飛び出ると、そのまま帰ってしまった。

 ……それなりに奇抜な制服だと思うのだが、大丈夫だろうか。家まで徒歩七分らしいから、大丈夫かな。

 ……いや、家まで送るべきだったか?

 ……次は気を付けよう。


 さておき、この日から華と下の名前で呼ぶ事になった。

 何か意味があるのだろうか。

 仲良くなった友達に愛称を付けるという知識はあるが……愛称?

 そういえば、彼女はてんてんという愛称を使っている。

 ああ、そうか。一方は愛称で、一方が名字というのは確かに変だ。

 なるほど。そういうことなら、こちらも誠意をもって華と呼ぶしかない。

 なんだ、考えれば分かるじゃないか。

 丸井さん、いや華は、思ったよりも接しやすい子だったみたいだ。

 



 洋菓子店スタリナ、本日の売り上げは24,200円。

 昨日より少ないのは日持ちの良い商品を多く用意できなかったからだ。

 とにもかくにも二日続けて黒字である。

 彼女達のおかげで、驚くほど好調だ。

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