第2話 金髪少女の恋愛事情

 土日に行ったミーティングで、先週売上が零円だった月曜日を定休日として、火曜から金曜は皆さんに交替で働いて頂くことになった。

 しかし皆さん学生以下なので、キッカさんを除く三人が来るのは午後からだ。

 今日は火曜日。

 担当は矢野(やの)未来(みく)さんで、午後六時から閉店の午後十時まで働いて頂く予定となっている。


「ちーっす」


 レジで入口を見ていると、裏口から声が聞こえた。

 お客さんがいないのを確認してから店の奥に入ると、ちょうど矢野さんが更衣室の扉を開けたところだった。


「……おはようございます」


 欠伸を噛み殺しながら挨拶をすると、矢野さんは「ん」と言いながら一瞥だけして、更衣室の扉を閉めた。

 レジに戻って再び外を見ていると、十分くらいしてタイムカードを切る音が聞こえた。時刻は5時58分、ほぼ時間ピッタリだ。


「うわ、マジでガラガラじゃん」


 横に並んだ矢野さんが首の辺りにある髪をクルクルしながら呆れたように言う。


「で、今日の売り上げは?」

「……今のところ、840円です」

「内訳は?」

「……お昼にやってきたスーツの男性、二名様が、それぞれコーヒーと、パンを」

「マジ? てかもっとハキハキ喋れよ」

「……すみません」

「謝んなし、つか店長なんだからシャキっとしろし」


 舌打ち混じりに言われ、また謝りそうになるのをグッと堪える。


 矢野未来さんは、家が近く時給がいいからという理由でバイトに応募してくださった。

 大学一年生で、将来はとりあえず教師を目指しているらしい。

 濃いめのメイクと金色に染めた巻き毛、それから強い口調が特徴的な女性だ。よく睨まれる。

 

「つぅか、涎の跡あんじゃん。あんた居眠りしたっしょ」

「……すみません」

「たく大丈夫かよこの店……ほら」


 ポケットから取り出したティッシュを背後にある水道で濡らすと、そのまま渡してくれた。

 それで軽く口元を拭いた後、足元のゴミ箱に捨てる。

 このゴミ箱は不要なレシートを捨てる為のものだが、今日初めてここに入ったのは今のティッシュだった……。


「……」

「……」


 特にやることも無いので、様々な洋菓子を揃えたガラスのショーケース越しに二人で並んで入口を見つめる。


「…………」

「…………」

「ムリ、限界! なんで七時になっても誰も来ねぇの? なにここ飲食店じゃねぇの?」


 一時間後、ついに限界といった風に矢野さんが大きな声を出した。

 思わず一歩身を引き、頭を下げてしまう。


「いや無言で低頭すんなし……」

「……すみません」

「べつに怒ってねぇし」


 強く息を吐きながら、髪をクルクルした。

 それからショーケースに肘を置き頬を乗せて、もういちど息を吐く。


「まぁ、みく的には? 楽でぇ? しかも時給よくてぇ? ぜんっぜんいいんだけどぉ…これ絶対潰れるよね。マジ営業努力してほしぃんですけど」

「…………」


 何も言えずにいると、本日三度目の溜息が聞こえてきた。


「適当に座ってもいい?」

「……どうぞ」

「ん」


 矢野さんはトンっと地面を鳴らしながら歩いて、レジから一番近い席に座った。


「まずさ」


 顔を上げると、矢野さんが人差し指をピンと伸ばして此方を見ていた。


「あんた目付き悪すぎ。こんなのが入口睨んでたら誰も入らねぇっつの」

「……そうなんですか」

「いや驚いた顔すんなし気付けし」

「……怖がることはあっても、怖がられることは、なかったので……」

「だから気付けっつの」

「……矢野さんも、ですか?」

「あ? みくが怖がる?」

「……すみません」


 睨まれて目を逸らすと、トンという音がした。

 どうやら矢野さんが手を下ろした際に机と指があたったようだ。


「もぅいいよ。暇だから何か話そ」

「……はい」

「……」

「……」

「なんか言えよ」

「……すみません」

「まぁったく、しゃーないからみくが話題振ったげる。感謝しろよ」

「……ありがとう、ございます」

「ほんとに感謝すんなし……えっと? 店長いくつだっけ?」

「……二十、三です」

「わっか、開業資金とかどっからだしたの?」

「……幼い頃からシェフのもとで修行を、いえ、アルバイトのような立場に、いました」

「すげぇじゃん。自前なんだ」

「……はい」

「ちっちゃい頃からの夢みたいな?」

「……はい」

「へー」


 矢野さんは少し声のトーンを落とし、髪をくるくるしながら外の方を見た。

 つられて店の外を見る。

 大きなガラスの外には夜の灯りが溢れていた。人通りは多く次から次へと人が現れるが、誰もこの店を気に留めることもなく、直ぐに見えない所へと消えてしまう。平日はずっとこんな感じで、哀しい事に慣れてしまった景色だ。


「……どうかしましたか?」

「べつに」

 

 それきり背中を向けたまま無言になってしまう。

 その姿が少しだけ寂しそうに見えた。


「……矢野さんは、教師を目指しているのですよね」

「そだけど。だから?」


 舌打ち混じりに言われ、言おうとしていた言葉が真っ白になってしまう。

 黙ってしまったせいで、矢野さんは不機嫌そうに息を吐いた。


「なに、バカにしたいの?」

「……そんなことは」

「いいよもう慣れた。どうせみくに教師は似合わないとか思ってんでしょ」

「……矢野さんは、いい先生になると思います」

「はいはい」


 興味を失ったように机に突っ伏し、ひらひらと手を振った。

 なんだかやるせない気持ちになりながらも、再浮上してきた言葉を口にする。


「……確かに見た目は派手ですが、髪の色と、化粧だけです」


 ときおり髪の間から見える耳にピアスを見つけた事は無いし、穴もあいていない。爪も綺麗なピンク色で、香水がキツイということもない。

 金色の髪と厚い化粧だけが、強力な派手さを印象付けている。


「……大切なのは内面です。矢野さんは、とても面倒見が良く、責任感のある方です」


 これは自信を持って言える。態度は褒められたものではないが、アルバイトながら仕事には真剣に取り組み、また仕事中は一緒に働く年下の二人を何かと気にかけている。

 結城(ゆうき)さんが皿を割った時、なんだかんだ言いながらも一番に駆けつけるのは彼女で、丸井さんの難しい話をなんだかんだ言いながらもきちんと聞くのが彼女だ。


「……だからきっと、いい先生になります」


 矢野さんは机に突っ伏したまま「うっさい」と小さな声で言った。

 それに返す言葉など持っておらず、再び無言の時間が始まった。


 八時を過ぎた頃、鈴の音と共に来客があった。


「いらっしゃいませ」


 矢野さんは素晴らしい反応速度で立ち上がり、接客モードになった。こういうところが本当に真面目で良いと思う。


「……こんばんは、斎藤さん」

「ええ、こんばんは」


 常連の斎藤さんだ。気さくなおばあさんで、毎週同じ時間にやってきては、少し話をした後にケーキを買ってくださる。


「あら、知らない美人さんだねぇ」

「どーも、バイトの矢野です」

「これはこれは。斎藤です」

「ご丁寧にどーも」


 ゆっくりとした口調の斎藤さんに合わせ、ゆっくりと大きな声で言う。言葉遣いはともかく、立派な接客だ。


「元気だねぇ。高校生かい?」

「ううん、大学生だよ」

「そうかい。うちの孫とおんなじだ」

「へー、お孫さんいくつ?」

「このまえ成人式だったから……二十歳くらいかな?」

「こらこら孫の年くらい覚えとけし」

「ははは、そうだね」


 ひやひやするくらい口が悪いけれど、それとは裏腹に和やかな雰囲気で会話が続いていく。

 やがて話が一段落すると、斎藤さんは軽く会釈してレジの前にやってきた。


「あっちの子は日本語が上手だねぇ」

「……彼女は、日本人です」

「ほえ、そうなのかね」


 斎藤さんが驚いたように振り返ると、矢野さんは少しだけ首を傾けながら「日本人でーす」と一言。ほー、と納得したように息を吐きながらショーケースのケーキに目を移す。


「今日は、キッカちゃんはどうしたんだい?」

「……おやすみです」

「そうかい。えっと、それでは今日も苺のショートケーキを一切れ頼みます」

「……はい、いつもありがとうございます」


 専用のタッパーにケーキを入れて斎藤さんに渡す。


「ここのケーキは美味しいからね。また来るよ」

「……恐縮です」


 会計を済ませた斎藤さんがゆっくりと振り返る。すると矢野さんが不思議そうな声を出した。


「あれ、一切れでいいの?」

「ええ、これで十分だよ」

「もいっこ買ってってよ。お孫さんにどう?」

「うーん、なかなか会えないからね」

「じゃ旦那さんに?」

「あの人は、甘いもの嫌いだからねぇ」

「そっかぁ。んじゃ、こっちのパンはどう?」

「パンか……じゃあ、戴こうかな」

「あざーす。店長、ほら」

「……あ、はい」


 驚きで少し反応が遅れる。

 見守っていたらパンがひとつ売れてしまった。


「それじゃあ、また来るね」

「次は友達も連れてきてねー」

「ははは、それもいいね」


 出入り口を開いた斎藤さんは矢野さんの声を受けると、ふっと笑って頷いた。

 カランカランという鈴の音が少しの間だけ店内に響いて、再び静寂が訪れる。

 こんな風に商品を売るところは初めて見た。これが普通なのだろうか、それとも矢野さんが特別なのだろうか。

 とにかく、お礼を言わねば。


「……ありがとうございます」

「は、なにが?」

「……パンが、売れました」

「べっつに、仕事しただけだし」


 接客時の笑顔はもうなく、斎藤さんが来る前の不機嫌な表情に戻っていた。

 いや、むしろもっとイライラしているように見える。

 普段よりも早く髪をくるくるしていて、コンコンと左足で小刻みに床を踏みながら、ムっと口元を引き締めた表情で此方を見ている。


「……すみませんっ」

「ちょ、なに、そのガチっぽい謝り方やめて。いじめてるみたいじゃん」


 しまった、余計に怒らせてしまったようだ。


「はぁ……あのさ、さっきの、本気?」

「……さっきの、といいますと?」

「はぁ? 分かれしっ」


 少し大きな声を出した後、ぷいっと顔を逸らされてしまった。

 反射的に謝ってしまいそうになるが、ぎゅっと口を閉じて堪える。少し前に怒られたばかりだ。


「……」

「……」


 無言が痛い、けれど何も言えない。

 カチっ、カチっという時計の音が何度か聞こえた後で、はぁ、と矢野さんが息を吐く音が聞こえた。


「……のこと」

「……え?」


 ポツリと呟かれた言葉が聞き取れず思わず聞き返すと、すごい勢いで睨まれた。


「教師のことっ、みくに向いてるって、本気で思うの?」

「……もちろんですっ」

「なにそれ、無理やり言わされてるみたい」

「……そんなことは」

「じゃ堂々と言ってよ」


 そうか、やっとわかった。心にもない無責任な事を言われたと思って、それで怒らせてしまったのか……。確かに、びくびくしながら褒められたっていい気はしない。ならば完全に非は此方にある。謝罪もこめてハッキリと言わねば。


「……」


 大きく息を吸う。


「矢野さんは、立派な先生になると思います」

「……なんで、みくこんなんじゃん」


 きっと自分の外見の事を言っている。


「それは、関係ありません」

「あるでしょ。髪染めてる教師とか見た事ないし」

「海外では普通です」

「ここ日本だし」

「ならば、戻すだけです」

「そんな気ないし」

「なぜ、染めているのですか」

「言いたくない」

「そうですか……」


 いけない、会話が終わってしまう。


「……」


 不甲斐ない、何も言えない。


「いいの?」

「……何が、ですか?」

「もっかいくらい聞いたら?」


 もう一度……髪の事だろうか。


「なぜ、染めているのですか」

「……」


 返事が無い。間違えたのかな、でも、だったら何を聞けば良かったのだろう。


「笑わない?」

「…………あ、もちろんです」

 

 どうやら合っていたらしく、不意を突かれた形で反応が遅れてしまった。


「……みくさ、昔はこんなんじゃなかったの。つっても、中学くらいのときだけど」


 いつもの矢野さんとは違う、少し弱々しい口調だった。

 聞いてしまってもいいのだろうか。

 悩んでいる間にも、彼女の口は動く。


「あんたに似てるかな。なんか、おどおどしてた。だからあんた見てるとイライラする」

「……すみません」

「そんな感じ。あと謝んなし」

「……」

「でさ、いつもクラスの隅っこで本読んでるようなみくに、声かけてくれたイケメンがいたのね」


 なんだか嫌味な言い方だなと思いながらも、黙って耳を傾ける。


「んで、みくバカだったから? 舞い上がっちゃったわけ。こいつ私の事好きなんじゃね? みたいな感じ。そいつ優しくて? 顔良くて? 人気者だったし? そんなん舞い上がるなって方が無理じゃね?」

「…………そうですね」

「うっさい」

「…………」


 間があったから返事をしたら怒られてしまった。やっぱり人と話すのは苦手だ。

 さておき、意外だ。矢野さんのことだから、昔から強気な人なのだと思っていた。


「だけどあるとき聞いちゃったんだ。そいつ、仲間内でみくの悪口言って楽しんでやがった」

「……」


 拳を震わせながら吐き捨てるように言う姿から、その怒りがひしひしと伝わってくる。


「だからイメチェンしたの。この外見に近付いてくるヤツなんて例外なくクズでしょ? したら、もうあんな思いしなくて済むと思ったから……」

「……うまく、いかなかったのですか?」

「ううん、計算どーりだったよ。でも変な友達増えた。マジ誤算」


 やれやれといった具合に腕を広げる。とても軽い感じで話してくれたけれど、なかなかに重たい話だ。どんな言葉をかければ良いのだろう……。


「なに、つまんなかった?」

「……いえ」

「じゃなんで黙ってんの?」


 うっ、また睨まれてしまった。

 しょうがない、どうせ考えたってロクな言葉は出ないのだから、ありのまま思ったことを言おう。


「……その、いつか、素敵な出会いがあると、いいですね」

「ムリムリ。同じ穴の…なんだっけ? とにかく似たようなクズしか寄ってこないし」

「……なら、大丈夫です」

「はぁ?」

「矢野さんは素敵な方ですから、きっと素敵な方と出会えます」

「…………なに、ひにく?」

「いえ、本心です」

「…………あっそ」


 我ながら上出来と評価できるほどハッキリと言えたが、機嫌は元に戻らなかったようだ。不甲斐ない。


「……ぁ、どこに行くのですか?」

「外、客入れてくる」

「……」

「なに、文句ある?」

「……いえ」


 からんと音を立てて、矢野さんが店の外に出た。

 これは同じ空間にすら居たくないということだろうか。

 そんなに、悪い事を言っただろうか……。


「あれ、ここ平日もやってたんだ?」

「はぁ? ちゃんと営業時間書いてあんじゃん」

「ごめん、みくちゃんしか見てなかったわ」

「うわっ、そういうのないわー」

「冗談だよ。何か買ってくから許してね」

「いっぱい買ってってね」


 からん、からんと、次々にお客さんが入ってくる。


「ええと、とりあえずチョコケーキ一切れください」


 驚く間もなく、レジにやってきた男性客から注文を受けた。


「……いらっしゃい、ませ」


 そしてみるみるうちにショーケースの中からお菓子がなくなっていき、


「……すみません、完売です!」


 オープンしてから一ヶ月、平日に完売したのは初めてだ。

 なんだよせっかく来たのに~、というお客さんを矢野さんが上手に対応している。

 やがて最後のお客さんに頭を下げ、此方を振り返ると得意気な笑顔を見せた。

 それがあまりにも魅力的で、思わずドキリとしてしまう。


「なんか言うことは?」

「……すみません」

「きっも、なに嬉しそうに謝ってんの? ありがとうでいいじゃん」

「……すみません」

「はぁ、まったく。あんたのせいで溜息ばっか。老けちゃいそう。てかマジもう老けてるんじゃね?」

「……そんなことは、ないと思います」

「はぁ? そういうことはスッピン見てから言えし。見せないけど」


 何やら上機嫌に言いながら、横を通り抜けてタイムカードを切った。

 時計を見ると、いつのまにか十時を少し過ぎている。


「……あのさ」


 目を向けると、少し俯いた矢野さんの後ろ姿が見えた。表情が分からないけれど、なんとなく怒っているという雰囲気ではない。


「その、嬉しかった。さっきの…………」

「……と、言いますと?」


 さっきの、なんだろう。珍しく小さな声で聞き取れなかった。


「……」


 矢野さんは半分だけ振り返ると、いつものように髪をくるくるしながら、これまた珍しく目を泳がせる。

 やがて目が合うと、その口が小さく動いた。


「……自分で考えろ、バーカ」


 たたたた、と小走りで更衣室に駆けていく。

 面接の時から強い口調と言葉遣いは変わっていない。

 でも、今のバカという一言は、これまでで一番柔らかい言葉だった。



 

 洋菓子店スタリナ。

 本日の売り上げ、34,800円。

 平日としては、初の黒字となった。

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