第20話 アルジ・ヤーノン伯爵の入滅
ねずみ国では、伯爵の栄光をたたえて、7の日を祝日にしました。太陽暦を採用していましたもので、7日、17日、27日はすべての月でお休みです。お休みにするだけでは足りないと考えて、その日はラマダンにもしました。7月は大事な7の月ですが、ずっとはねずみには長すぎるので、7月も同じです。
そうそう、危機管理委員会の話でした。
委員会というものには委員長が必要です。
で、もちろん、危機管理委員会の委員長は伯爵です。いつもにこにこしていて、白い長いひげがふさふさ垂れていたので、子どもたちにも絶大な人気がありました。
「しろいおひげの伯爵さん」とか「白髭委員長」とか言われ、小さい子どもからヤンキーのあんちゃん方、若きレディからおばさま、BGまで老若男女がれからも満遍なく慕われました。唱歌にもなりました。紙芝居にもなって、紙芝居団が全国をくまなく行脚したものでした。
紙芝居団は興行を打ちながら、ねずみの好きな米ふかしとか、練り飴とか、豆落雁とか、さきいかチーズを配ったりしましたので、さらにさらに人気はあがりました。
興行はただだったし、おいしいものはもらえるしで、人気は右肩上がりの頂点知らず。
そう、「どうにも止まらない~♪」状態です。
…ねえ、知ってる?ただより高いものは…ないしょ。伯爵の賛美に限っては、まさかまさかそんなことありえませんもの。
「おひげ印のねずみもち」とか、その他たくさんの伯爵御用達グッズが売り出されました。帽子とか手袋、チョッキ、かぶのタネとか、そりゃもうたくさんです。値段がつけられると、ただのものよりはそちらの方に気持ちが流れるのは世の常です。みんな競ってより高いものを買おうとしました。他の誰よりも、伯爵をより身近に感じたかったのです。
あれよあれよという間にミリオネアになった伯爵は、その売り上げをほとんど全部委員会に寄付して、委員会存続のための基金にしました。
みみっちい税金逃れなんかは、あほかとばかり、しませんでした。魔法使いは木の葉からでも黄金を作れるのに、税金逃れなんて、おとといこんかい!てなものです。
ただし、委員会には、決して浪費してはいけないこと、報告書には領収書をきちんと貼付することを命じました。違反した場合の罰則規定まで設けたのですから本格的です。
罰則規定は、例えばこんな感じです。
事前にどのレベルの罰則が適応するか、だいたいの範囲をきめておきます。
そして質問です。
「最高の痛みを10とした場合、自分の罪はどのレベルに相当すると思うか答えよ」
この2つが合致すれば、ただの説諭で終了。
この2つが離れると、むち打ちだったり、さかさにつられて水につけられたりとそれはそれは恐ろしい刑罰が待っています。でも、こんなのはまだ序の口。
最高の極刑はくすぐりです。笑っているうちに、しっぽが落ち、ひげが落ち、耳が落ち…もうそうなってはねずみの国では生きてはいけません。なめくじや、ミミズの国の食客になるしか道はないのです。本当に恐ろしいことです。
いよっ、伯爵、さっすが!
こんなに素晴らしい伯爵でしたが、誰にも知られたくない門外不出の秘密がありました。
実は伯爵は、売上をちょっとちょろまかして結構な値段のワインを何本か購入し、防空壕という名前の秘密の穴倉に保管していたのですよ。これ、ほんと、ちょっとだけなんですよ、ほんとのほんとに。
穴倉だって、入り口を転んだはずみで見つけたもの。いつもだったら絶対に見つけっこない、そんな場所でした。なんだこりゃあ、と思って探検ごころが沸き起こり、あれやこれやとやってるうちに入り込んだ迷路のような穴倉でした。で、またこれが、実に実に、ワインの貯蔵と保管には適していたのです。
…だって数本だよ。だいたい、こんな穴倉があるのがよろしくない。いったいなぜ、そもそも、こんな穴倉がうちの庭にあるんだ。
委員会維持のための基礎控除だよ。それに、こんな素晴らしいワインを目にしては、伯爵ともあろうものがだまっていられるものかね!
そう、木の葉なんかで作り出した黄金で費用を賄ってはワインに対して申し開きができない、これは伯爵の絶対の美学でした。
大統領とけんかした暁など、その後も相手をしなければならない自分に何度うんざりしたことか。そういうときの、ワインは友でありました。
…ほろ酔い加減でぼうっとしたとき、伯爵の心に古い記憶が忍び寄ります。
ロンドン、霧の都。
晴れ渡るクレモナ。ポー川で語り合ったのは誰だったか。
スイスの古城で丁々発止と渡り合った若き日の思い出。
あのときの傷が癒えるときは来るのだろうか。
JからTへ。
約束は果たした。
Jって?Tって?誰それ。
うーん、いったいどんな約束なのでしょうねえ。
穴倉をさらに探せば、どこぞに通じる地下通路、たとえばタマネギ部隊発祥の地へのワープ通路が発見されたかもしれません。でも、発見されることはありませんでした。
さて。
大統領とけんかしたときもそうでない時も、伯爵はとらきちのことを忘れたことはありませんでした。
自分の魔法が破られるとしたら、相手はとらきちしかいないだろう、とまで思い定めていたのです。とらきちはそれほど巨大で、純真で、無垢な、喜びにみちた存在でした。
「喜びというものほど具合の悪いものはない。国家を管理し、維持するためには喜びほど邪魔なものはない」
さすが伯爵、言うことが違います。
ですが、ワインのせいで、伯爵は少しずつ少しずつ…気が付かないほどに少しずつ劣化していきました。アルコールの力はすごいものです。伯爵ほどの人物が、アル中になってしまったのです。そしてとうとう、劣化が食い止められなくなっていることにやっとで気が付いたのです。伯爵というもの、絶対に支援組織なんぞに行くわけにはいきません。伯爵の名がすたります。
…そろそろ潮時というものだ…誰かがささやきます。もしかしたら、それは希望という名前だったかもしれません。
潮時を悟ったある日、伯爵はポスターに魔法をかけることにしました。この魔法は特別な呪文で、唱えるときに誰にその姿を見られてもいけないし、聞かれてもいけません。魔法だから当たり前です。
伯爵の他にその呪文を知るねずみはなかったので、たとえ聞かれたとしても、ふざけた歌だな、とか酔っぱらってるのかな、くらいにしか思われることはなかったでしょう。
まあそんな訳で潮目を読んだ伯爵は呪文を唱え、ポスターはとらきちよけの大切なアイテムとして、未来永劫なにがあっても、とらきち復活の暁にはとらきちを撃退する神器としたのです。
…そろそろ潮時というものだ…そろそろ潮時というものだ…
伯爵は、庭に出ました。空は青く澄み渡り、どこかで揚げ雲雀が啼いています。つる薔薇の花が小さく美しく咲き誇り、あたりは甘い香りで満ちていました。
あいつが宝石箱をひっくりかえした朝も、こんな感じの朝だったな…
ねえ伯爵、あいつって、誰?
こんなも素晴らしい解放感を味わってしまったら、アルコールのない人生なんて、絶望とおなじです。
……そろそろ潮時というものだ。そうだ、お別れするには最高の日だ!
とらきちよけの呪文を唱え、伯爵は両手で印を切りました。そしてにっこりとひと笑いしてから、穴倉への扉を開け、きっちりと閉めて下に降りていきました。
これでもう誰にも穴倉が発見されることはありません。
芳醇な香りが漂ってきました。穴倉は伯爵の到来をよろこんでいるのです。
どこから見つけ出したのかもうラベルの文字さえ読めない古いワインの瓶をかかえ、伯爵はふと、お昼寝をしたくなりました。眠りに落ちる前に、伯爵の足がけり倒したワインの樽が穴倉の入口の方へところがっていくのが見えました。
「素晴らしい人生よ、お別れだ!」
「樽よ、転がれ!」
不思議なことがあるものです。転がるって上の方へ動くものでした?
樽は明確に上へと移動し、入り口をぴったりと閉じました。
そろそろ潮時というものだ そろそろ潮時というものだ そろそろ潮時というものだ…
…そんな言葉に重なって、伯爵には鐘の音が聞こえてきました。ビッグベンです。一それが何時の鐘だったかと伯爵は記憶を探ります…約束は何時だったかと…懐かしい友の姿がみえます。伯爵は駆け寄りました。
そのあと、伯爵をみたものは誰もいません。
はじめの頃こそ、心配するねずみもいましたが、そのうちに誰も気にしなくなり、伯爵は忘れ去られていきました。ねずみの脳はねこよりもっと小さいですから、忘れるのもはやいのです。気にするものさえいませんでした。
※とらきちって、すごいのですねえ。
純真で、無垢で、喜びにみちた存在。
あなたの人生が、そういうもので満ち溢れますように。
それではまた、明日の夜の22時に!
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