第31話 元諜報員はミノタウルスを蹂躙する



ーーー初級ダンジョン


 ダンジョンの10階層に足を進めた俺達は、順調に攻略を進めていた。ソラは少し眠たくなったようで、俺が抱っこしてやると幸せそうに眠ってしまった。


 10階層に入るまではリュカが先行してくれていたので、追い抜かした受験者達の視線はリュカに釘付けだった。


 しかし、魔物を討伐するたびにリュカがモゾモゾと褒めて欲しそうに俺の顔色を伺うので、必然的に男共からの「敵意」と「羨望」の視線を向けられる事になってしまう。


(勘弁してくれ……)


 などと嘆いた。かなりの粗治療であることに変わりはないが、無表情を決め込んでいれば、問題なくその場をやり過ごせる事を学んだ。



 先行している受験者は『あと2人』。おそらく剣士風の男と、魔導師の女が協力する形で攻略を進めているのだろう。言っちゃ悪いが、後ろの者達ではこの先は、少し難しいだろう……。



「あ、あの……。ソラちゃん、寝ちゃいましたね。僕が抱いておきましょうか?」


「いや、大丈夫だ。ソラを1人抱えていても、このあたりの魔物なら問題ない」


「……あ、あの『ベイル様』は何者なのでしょうか……? 即座に順路を判別して、投石するだけでゴブリンの群れを屠り、息一つ乱れないなんて……、どれだけ優秀な冒険者でも、普通は絶対に無理だと思うのですが……?」


 リュカは仄かに頬を染めながら、少し緊張した面持ちで言葉を紡ぐ。


「はぁー……、頼むから『ベイル様』はやめてくれって言ってるだろ……?」


「い、いえ……、ベイル様は大恩人なのです。そんな方にそんな……」


「普通に『ベイル』でいいから……」


 上手く会話で誘導しながら、「俺が何者か?」という質問はずっと、はぐらかしている。『元諜報員』だと伝えてもいいのだが、俺は『冒険者ベイル・カルナ』としてソラやリュカと一緒に居たい。


 いつかは伝えなければならないのだろうが、それは『本当に結婚』する時や、ソラの父親の瞳を手に入れた時でいいような気がしているが、それは少しズルいだろうか?


 『元諜報員』だった俺を、この2人が受け入れてくれる事はわかってる。でも些末な不安を抱くのも『俺』なのだから、仕方がない。


「べ、べ、べ、『ベイル』……様。あぁー……、む、無理です……」


 他の受験者の前では、あまり口を開くこともなかったくせに、周囲に人がいないとわかっただけで、リュカはなにやら『デレ』てくる。おそらく俺が「目立つのが苦手」と言った事に対するリュカなりの配慮だろう。


 なんだか俺には心を開いてくれているようで、リュカと居ると心地いい。きっと少しリリアと似ているからなのかもしれない。


(いや、リリアの方がもっと、ずっと『過激』か……)


 そんな事を考えながら、未だにトライアンドエラーを繰り返しているリュカに口を開く。


「『ベイル』と呼べるまで、リュカとの会話はやめとこうかな……」


 俺がそう言うと、リュカは「そ、そんなぁ〜…」と眉を下げる。これが、可愛いの何のって……。


「嘘だよ。でも本当に『ベイル様』はやめてくれ。ソラはまだ幼いし、やめろと言ったら泣きそうになるから強くは言えなかったが、リュカはもう大人だろう? 俺なんかより、ずっと歳上のはずだ」


「ぼ、『私』は、やっぱり老けてみ、見えるでしょうか……?」


「いやいや、そんな事はない! そ、そんな事は一切ない! 人間にしたら、16くらいか?」


「ほ、本当ですか!? よかったぁ〜……」


「……だから、『様』はやめてくれる?」


「は、はぃ……。ベイル……べ、『ベイルさん』……」


 リュカは急速に頬を染めると自分の胸に手を当てて、ギュッと目を瞑った。


(ふふっ……まぁ、いいか、『ベイルさん』でも)


 『様』よりはかなりマシになった。こんな絶世の美女が街中で『ベイル様!!』などと、大声を出していたら、とんでもないことになる所だ。




グオオォオオオオン!!



 巨大な咆哮がダンジョンに響くと、俺はその大きすぎる『音量』に少し苛立ち、そっとリュカにソラを手渡した。


「ちょっと屠ってくる……」


 リュカは俺の表情にビクビクッと身体を震わし、恍惚とした表情で頬を染める。


(……な、なに?)


 リュカの様子に若干たじろぎながらも、俺は声の主を睨んだ。


(……ソラが起きちゃうだろ? この『牛男共』がッ!!)


 心の中でそう呟きながら、【身体強化】を発動させ、俺は地面を蹴り出した。




※※※【side:リュカ】



 僕は夢でも見ているんだろうか? 


 とてもじゃないけど、人間とは思えない。確か「ミノタウルス」は「弱くはない」と記憶している。それに群れているなど聞いた事がない。


 上手く立ち回り、個体ごとに屠って回れば、なんとかなるのはわかる。しかし、『ベイルさん』の一方的な蹂躙は現実の物とは思えない。


 その前に……、


(……『音』がしない……)


 こんな事あり得るはずがない。あり得るはずがないのだ。


「あれ? ソラ寝ちゃった……? ベイル様は少し『おこって』る?」


 まだ少し眠そうな瞳を擦りながらソラちゃんが目を覚ましたが、この『無音』は明らかに異常だ。


 起きてしまったソラちゃんもソラちゃんだけど、『匂い』を感じ取れない幼女なら今でもグッスリ夢の中だろう。


「ベイル様。すごいッ!! ねぇ、リュカちゃん!! 『音』がしないよね!! なんだか……綺麗だね!!」


 無邪気に笑うソラちゃんだが、「すごい」、「綺麗」なんて物じゃない。明らかに『神の御業』だ。だが、形容するにはやはり「すごい」と「綺麗」しかないのだろう。


(どこで、どんな、鍛錬をすれば……)


 僕はもう絶句するしかない。おそらく、ベイルさんは咆哮をあげようとしたミノタウルスから順に屠っている。


 自分の2倍ほどの屈強な魔物の中をスルスルと縫うように移動しながら、喉元を『腐らせ』声帯を潰しながら首を壊死させると、そのまま『宙に浮かせたまま』ミノタウルス達は音もなく死んで行く。


 ブンッとミノタウルスが棍棒を振るって来るが、一切当たる気配は見られない。正確にはミノタウルスが棍棒を振るう音だけがダンジョンには響いている。


(……やっぱり複数のギフト?)


 僕はまざまざと事実を叩きつけられる。先程の『黒炎』の『化け物』との戦闘がベイルさんにとって、ほんの『戯れ』であった事を理解したからだ。


「ベイルさん……」


 思わず、名を呼んでしまうと、ソラちゃんは笑い声をあげる。


「ふふっ。リュカちゃんはベイル様が『だいすき』なんだね?」


「……う、うん。なんだろう? どう言えばいいんだろう……。ベイルさんと一緒に居ると、心が喜ぶんだ……」


「……? リュカちゃん? 『心配』?」


「……ハハッ。ソラちゃんには敵わないなぁ」


 知れば知るほど、深く飲まれていく。


(また『1人』になったら、どうしよう……)


 思いが募れば募るほど、その恐怖に体が竦む。


 僕の身の上を知ってしまうと、ベイルさんはどう思うのだろう……? 同じ種族から『すでに死んだ者』として扱われていて、本当は生きていたらいけないエルフの王女だと知ったら、どう思うのだろう……。



ピトッ……


 ソラちゃんの小さな手が僕の頬を包む。


「リュカちゃんは大丈夫! ベイル様が一緒なんだから! ソラもいるよ!?」


 ソラちゃんはニカッと笑う。ソラちゃんの綺麗な淡褐色の瞳には、今にも泣き出しそうな僕が映っている。


「リュカ? どうした?」


 何事もなかったかのように、ベイルさんは僕に声をかけた。眼前にはふわふわと宙を舞っているミノタウルスの胴体と首がある。


(す、すごすぎる……。……って、何を泣いてるんだ! 僕はッ!!)


 目の前の光景に圧倒されながらも、自分を叱責する。


 ソラちゃんの存在が、自分がもう1人ではない事を教えてくれる。愛しいベイルさんが僕を気にかけてくれる。その温かさが、どうしようもなく嬉しいんだ。


「あれ? ソラ。おはよう。やっぱりうるさくて起きちゃったか?」


「ふふっ。ううん! ベイル様が『優しい』で『怒った』から、ちゃんとカッコいいベイル様を見よう!って。ちゃんと起きなきゃって!」


 2人の会話を聞きながら、『自分が女』でよかったと思った。そんな事を考えられる自分が信じられなくて、でも嬉しくて……。


「リュカ? 行くよ? あと少しだろ?」


 ベイルさんはそう言うと、僕の頭に手を置こうとしてくれたが、優しく微笑み、その手を引っ込めた。


 それが、『先程』の事を考え、僕を気遣ってくれている事がすぐにわかり、そんな些細な優しさに更に涙が込み上がったが、気にせず頭を撫でて欲しいとも思った。

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