第15話 元諜報員はダンジョンに足を踏み入れる


ーーー冒険者ギルド



 俺はゾクゾクと門を潜っていく受験者達の列に並んでいた。重騎士のように全身を覆っている者を除けば、ベージュのマントに黒マスクの俺はかなり浮いているように見えてしまう。


(頼むから、俺に注目するな!)


 黒マスクを外せばいくらかマシになるか? などと考えたところで自意識過剰である事は重々理解している。


 とりあえず、俺のマントに穴が開きそうなほどの視線を向けてくる、可愛らしい狼人の幼女をどうにかしてくれ。


(匂いか? 見るからに鼻が効きそうだしな。マントの色を変えるだけでは不十分だったのか……?)


 俺は心臓をバタつかせながらも、大人しく列に並んでいた。ダンジョンへの門を潜る前に、ギルドマスターであるブライアンと2、3会話が必要なようだが、俺は幼女からの視線が気になってそれどころではない。


(……さてさて、どうしたものか)


 狼人の幼女への対応を考えていると、門の方から大きな声が響き渡った。



「『僕』は歴代最強の冒険者になる! ブライアン様にも負けるつもりはないッ!!」


「ブッハッハ!! そいつはいい!! 期待してるぜ! エルフの嬢ちゃん!!」


「ふふっ。笑ってられるのも今のうちさ!」


 入り口に視線を向けると、先程の『男』エルフが、相変わらずの美貌で、めちゃくちゃ卑猥な女の身体で、可愛らしい女のような声をあげていた。


(実はアイツが1番、鋼の心臓の持ち主なんじゃないか……?)


 男にも関わらず、あんなにも際どい衣服で、これから上司になるかもしれない人間にあれほどの口を聞けるんだ。


 完璧にイカれている。どんな事があってもあのエルフにだけは近寄らない方がいい。


 俺の長年の危機管理能力が警鐘を鳴らしている。


 『あのエルフには近寄るな』と……。



ゾクゾクッ……


 背中に強烈な視線を向けられ、まるで虫が背中を這っているような感覚に、ゴクッと息を飲む。


(後ろには狼人の幼女。前にはイカれたエルフ……)


 誰にもバレないように深く息を吐き出すと、そろそろ自分の番が近づいてきている事に気づく。


(あっ。……こ、これからブライアンと会話するのか!? エルフと幼女に気を取られて心の準備してないぞ!!)


 これからずっと付き合って行くことになる人物との会話だ。


(これは……、なかなか……怖いなッ!!)


 周囲にはバレないように何度も何度も息を吐きながら、刻々と迫ってくる『処刑場』に足先が震える。膝が震えないように訓練はしていても、安物のブーツの中の足先は正直だ。


「次はお前か!! 顔は見えねぇけど、頑張れよ!? 死ぬんじゃねぇぞ?」


 手を伸ばせば触れる距離にいる『メンタルお化け』が俺に声をかけてくる。


 俺は過去最高の心拍数を記録しながらも、ゆっくりと一礼し、言葉を返さなくて済んだ事にホッとするが、ブライアンは不思議そうに首を傾げ、俺の背中に声をかける。


「……ん? お前、魔力がないのか?」


 ブライアンの言葉に過去の記憶がすぐに蘇る。


――『魔力ゼロ』の『無能』が!!


 思い出したくもない2人の顔が逆に俺を冷静にさせる。ブライアンに動揺を悟らせないように、スイッチを入れ、視線を絡ませないようにブライアンを観察する。


 眼球周りの筋肉は不自然に働いていない。頬の筋肉もバカにしたような動きはない。ただ単純に不思議に思った事をただ投げかけたのだろう。


(……口を開かないわけにはいかないか)


 俺は小さく息を吐き出し、ゆっくりと口を開く。

 

「……ダフェ、で、すか?」


「……」


「……」


(ま、また噛んでしまったッ!! 何やってんだ! 俺!!)


 心の中で自分自身を罵倒しながらも、「噛んでないですよ?」という雰囲気を醸し出す。


「ブッハ!! お前、面白いな! 魔力がなくても全然問題ないぞ? 魔力だけが全てを決めるわけじゃないからな!」


 ブライアンの言葉は嘘じゃない。


 どれだけ綺麗な『嘘の顔』でも、完璧すぎる違和感が出る物だ。ブライアンが嘘をついているのなら、俺は確実に見破る自信がある。


 ブライアンは、俺が何も言わない事に「ふっ」と小さく笑うと、また口を開いた。


「俺は試験に合格する実力があれば、何も文句は言わねぇし、誰にも文句は言わせねぇ! しっかり、頑張れよ!」


 ブライアンの笑顔も『本物』だ。


 きっとブライアンの中では、この試験に挑戦する者達はすでに仲間のような感覚なのだろう。


(『文句を言わせない』か……)


 じんわりと心に沁みる物がある。


 魔力がない事が『ゴミ』であるかのように扱われて来た俺にとって、ブライアンの言葉はかなり新鮮で、ひどく温かくて、俺の胸にポッと火を灯してくれたような気がする。


「……はい」


 俺はすごく自然に返事をした。不思議と心拍数は落ち着いて来ている。チラリとフードの隙間から瞳を覗かせ、『ちゃんと』ブライアンに視線を向ける。


 そこにはニカッと笑顔を浮かべているブライアンがいた。温かく見守り、背中を優しく押してくれているような笑顔だ。


(……俺はずっと、こんな風に笑いかけて欲しかったんだ)


 チラリと嫌な顔が頭に浮かんだので、俺は慌てて一礼すると、目の前にある門を潜った。

 


ブワァーッ!! ザザァアーーー!



 潜った先には緑生い茂る森の中。穏やかな風が頬を包み、木々を揺らしている。眼前にはボロボロのコケが生えている遺跡のような建物が大口を開けている。


(これが……『ダンジョン』!!)


 ダンジョンに来たのは初めてだ。



トクンッ、トクンッ、トクンッ



 心地よい胸の鼓動はきっと『未知』に挑戦する事への好奇心だろう。


「あれ? お前ソロか? お互い頑張ろうな!! 行くぞ! お前達ッ!!」


 まだパラパラとダンジョン前には受験者達が残っており、その中の男が、俺に声をかけ、1組のパーティーがダンジョンに入っていく。


「……あ、あぁ! 頑張ろう!」


 俺が男の背中に声をかけると、その男は振り返る事なく、片腕を上げてダンジョンの中に消えていく。



トクンッ、トクンッ、トクンッ



(……ハハッ。この胸の高鳴りは、好奇心じゃない)


 未だふわふわと心が温かい。この胸の高鳴りは、『ゴミ』と呼ばれ続けた俺が、『人』として扱われている事に困惑しているんだ。


 みんな俺を邪険に扱わず、1人の『人間』として認められている事が心地よくてたまらないんだ。


(よかった。恥ずかしさから逃げずに『自分の顔』でいて……。よかった。冒険者を目指して、この場にいれて……)


 ツンッと目頭が熱くなる。


――『自由』に生きる。


 あの日誓った決意は間違ってない。今はまだ恥ずかしさが消えないが、いつかマントもマスクも脱ぎ捨てて、誰よりも『自由』を謳歌してやる。


 大きく息を吐き出しながら心を落ち着かせると、グッと気を引き締める。


(行くぞ……。この試験は『冒険者ベイル・カルナ』の2歩目だ!!)


 まず、自分の顔で外に出れた事を1歩目にする。


 この胸の高鳴りを最初の1歩目として生涯忘れる事のないように心に刻みこみ、俺は晴れやかな気持ちで、ダンジョンの中へと歩みを進めた。

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