第9話 元諜報員は周囲を欺き幼女を救う




 【身体強化】は2年前、奴隷商に潜入した時に『契約』したものだ。あの商人は捕らえられたが、悪徳顔が非常に便利で、よく使っていたのでこのギフトの力も熟知している。



(ここで俺が目立って、目をつけられるのはごめんだし、俺はまだ注目される心の準備は出来てないッ!! 一斉に視線を浴びたら間違いなく、泣く自信があるッ!!)


 めちゃくちゃカッコ悪い事を心の中で叫びながらも、頭はよく動く。即座にプランを立て、実行に移す。


 俺は【身体強化】すると同時に、周囲の受験者に、


(『上』をみろ! 試験内容は『コレ』だ)


 と【思念伝達】で伝え、【透過】を展開。超低空で人混みを抜けると、剣士風の男が剣を4センチほど抜いた所で、その柄(つか)を抑えた。



チャキンッ……



 音と同時に狼人の幼女はバッと振り返り、大きく目を見開く。小さいのでフードの隙間から視線が交わり、顔を見られてしまった。


(……!! ち、小さすぎるだろ! この子!!)


 おそらく、剣を鞘に収める音で振り返ったのだろうが、


「ど、どこだッ!!?? どこに書いてる!?」

「何だ? 今の声! 何にもねぇじゃん!」

「どこだ、どこだ? どこなんだぁッ!?」


 などと、周囲の受験者達は未だに上を見上げたまま、大騒ぎしているのに、こんな小さな音に気づくなんて大した物だ。


 幼女は俺の顔を見つめると、ウルッと涙を溜め、かなり驚愕している。俺が隣の男の剣を押さえているので、だいたいの察しがついたのかもしれない。


(そうか! いつも大変な境遇なんだな。亜人差別はこんなにも根が深いのか……)


 俺は幼女に自分が敵ではない事を伝えるために、バックバクの心臓を抑え、軽く微笑む。すると、幼女は更に淡褐色の瞳に涙を溜め、グッと唇を噛み締めてしまった。


(……き、気持ち悪かったかな?)


 俺が精神的に相当なダメージを受けていると、


「は、離せよッ!!」


 と、剣士風の男は驚いたように声を上げた。いきなり自分の剣の柄を押さえられた事に腹を立てて、少し顔が赤くなっている。


(眼球周りの筋肉の痙攣、少し荒めの呼吸、固く握られた拳……。少し煽れば問題なく終えれそうだ……)


 即座に観察を済ませると、俺は小さく首を傾げた。男はグッと眉間に皺を寄せ、声をあげる。


「なんだよッ、お前っ! どっから来た!?」


「…………」


 男の言葉に、俺は沈黙した。


(……!! そ、そうだッ! 直接、喋らなきゃいけないじゃないか!! 待て待て!! 俺の顔で会話する心の準備なんてしてないぞッ!!!!)


 男は剣の柄(つか)に乗せたままになっていた俺の手を振り払うと、いらだった様子で、フードの中を覗き込もうとしてきている。


(ヤバい、ヤバい、ヤバい!!!! 『ここは人が多いから、装備の確認はやめた方がいいんじゃないか? これから試験が始まるから、心配になる気持ちもわかるだけど、ここで剣を抜くと危ないだろ? 後にしてくれ』って言えッ!! 早くッ! は、早くッ!!!)


 頭の中で言うべき言葉を高速で復唱しながら、俺は覚悟を決めて口を開いた。


「……ダ、ダメにゃろ……?」


「……はぁああっ?! なんなんだテメェは?」


 盛大に噛んでしまったし、心の中の復唱はなんの意味もなかった。俺はおしっこが漏れそうになりながらも無表情を貫いた。


「さっきからなんなんだよッ!! テメェは!!」


「……ここは人が多いから、装備の確認はやめた方がいいんじゃないか? これから試験が始まるから、心配になる気持ちもわかるだけど、ここで剣を抜くと危ないだろ? 後にしてくれ。えっ? もしかして『何か』斬るつもりだったのか? ここには魔物の姿はないようだけど……?」


 俺は口を動かさずに、まるで機械のように早口で伝えたい事をベラベラと喋った。


「あぁぁんッ?! ふざけてんのか! テメェ!!!! ツラを見せやがれッ!!!!」


 剣士風の男が更に大声を上げると俺のフードに手を伸ばす。俺はヒラリとその腕を躱しながら、男の死角に入り、周囲の受験者に再度、


(よく見ろ! おまえ達の真上にあるぞ?)


 と【思念伝達】を行うと、即座に【透過】を発動させ、その場を離脱した。


「……はぁっ!? あ、あのヤロウ!! どこ行きやがった!! チィッ!! 黒マントに黒マスクのヤロウはどこだッ!? あのふざけた野郎はどこにいるッ!?」


 男が更に声を張り上げると、周囲にいた受験者達が異変に気づき、騒ぎ始めた。


「チィッ! なんだよ! こんな時に喧嘩か?」

「さっきの『声』はなんだよ!? お前さっきからうるせんだよ! 聞こえなくなっただろ!!」

「お前、さっきから1人で何騒いでんだよ!! 邪魔すんじゃねぇよ!!」

「冷やかしなら帰れよ! 俺はいまそれどころじゃねぇんだよ!」


 などと、一斉に剣士風の男を非難し始める。


 試験前のピリピリしたところに、「見つからない試験内容」に対する苛立ちを、男にぶつけているようだ。


 男は「あっ、いや、俺は……」とキョロキョロと見えるはずのない俺を探しながら、顔を真っ赤にさせる。だんだんと恥ずかしそうに縮こまると、そそくさとその場から離れていった。


(は、はぁー……、プ、プラン通りだ。なんとか守れたな!)


 自分の姿のまま、複数のギフトを使った事と、幼女と目が合ってしまった事、自分の顔で見知らぬ男と直接会話した事に、心臓をバクバクさせながらも、狼人の幼女を守れた事に頬を緩ませる。


(咄嗟の判断だったけど、なんとかなったな。俺に気づいた者は、剣士風の男と狼人の幼女だけか……)


 心の中でそんな事を呟きながら、俺は【透過】したままフードを裏返しにして、ベージュのマントに切り替えるが、プルプルと手が震えている。


(……直接、声を聞かれたし、めちゃくちゃ噛んだ。で、でも、ちゃんと他人の顔に逃げずに出来たぞ……)


 俺は誰の命令でもなく、自分が決断し行動できたことに満足感に包まれる。


 小さな一歩だが、俺にとっては大きな前進だ。


(よし! この調子で試験も合格するぞッ!!)


 気持ちを新たに、この場から離れようとすると、キョロキョロとしている狼人の幼女の姿が見え、「ふふっ」と自然に頬が緩んだ。



 少し移動し、昂った心臓を落ち着けていると、


ピキッ……


 と、冒険者ギルドの建物の上に強い気配を察知する。視線を悟られないようにそちらに意識を向けると、だんだんと空気がヒビ割れていく事に気づいた。


(……ふっ。『上をみろ』は、案外嘘ではなかったみたいだな!)


 まだ誰も現れていないが、『誰か』が来るのは間違いないし、大方の予想はついている。


ズズズズッ……


 空気が更にひび割れると、その時空の裂け目から1人の男が現れた。


(『ブライアン・ガーフィン』……)


 俺が心の中で呟いていると、顔に傷のあるその男はニヤリッと楽しそうに微笑み、即座に叫び声をあげた。


「ヤロォ共ォオオオオ!! ようこそ! 『冒険者ギルド』へ!! この俺が、ギルドマスターの『ブライアン・ガーフィン』だぁ!!」


 ブライアンの突然の叫びに、受験者が一斉に視線を向けると、一瞬の沈黙ののち巨大な歓声が湧き上がった。


 割れんばかりの歓声と共に、俺はこっそりと【透過】を解いたが、気づく者は1人もおらず、「ふぅっ」と小さく息を吐きながら、『これから』の上司に視線を向けた。



ーーーーー

【あとがき】


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