Track 2-6

 莉都りとが買ってきてくれたファストフードを食べ、お腹を落ち着かせた。ナゲットを丸々一箱李智いちに譲ってくれたのは、莉都の優しさだろう。


「なぁ亜央。最近……活動休止前から、何かおかしくないか?」


「えっ」


「デビューツアー終わった直後、くらいから……」


 李智は冷や汗をかいた。ちょうど亜央あおと入れ替わってしまったタイミングだ。勘付かれていたんだろうか。


「なんで大人しくなっちゃったんだよ。理玖りくと掴み合いになったり、我来がくに飲むゼリー投げるの恒例だったりしてたのに。動画撮影でボーっとしてセリフ飛ばすことなんか、今まで一度もなかったのに。こんなクマまで作ってさ。何か他のことで忙しくしてんのか?

 ハジンさんは、亜央のセリフとか段取りを覚える早さを高く評価してたんだぞ? なのに、急に様子がおかしくなるから……俺、心配で」


「掴み合い……」


「何でもっと喧嘩しないんだよ? 理玖だって本気で嫌がってたわけじゃない。亜央が冗談と本気半々くらいで、『俺がセンターだろ?』って凄んでくるの、結構刺激になってたのに」


「そ、そんなに、ギスギスしてたっけ?」


「ギスギスじゃねぇよ。そうやって吹っかけることで、理玖も油断しないようにしてるんだろ。だからΦalはΦalでいられてる。なのに亜央、理玖のことボーっと見て、何も言わなくなっちゃうし。どうしちゃったんだよ」


「自分でも……どうしたのか、よく分かんねんだ」


「なぁ亜央。トップアイドルになりたいんだろ? 天城あまぎ匠斗たくとみたいな、本当のアイドルに。少なくとも今も亜央は、そう思ってるはずだ。今この瞬間も、俺にはそう見える」


「今も?」


 中身は亜央じゃないのに?


「うん。だって、目がすっげぇ赤いし、腫れぼったいじゃん。さっき玄関先でちょっと泣いただけじゃ、そこまで腫れないでしょ」


 慌ててスマホのインカメラで顔を眺めてみると、天馬てんま亜央の猫目が腫れて、目力が半減していた。


「ずっと……泣いてたんじゃないのか」


「多分……」


「泣いてたってことは、悔しいんじゃないのか。活動休止になったこと。ハジンさんに突き放されたこと。自分なんかいらないんじゃないかって、怖くなったんじゃないか」


「えっ」


 自分なんかいらない。

 その言葉に、ドキッとした。


 センターにはなりたくない。でも退所はあまりしたくない。

 結局、メンバーやプロデューサーが離れていくことを、自分は恐れているんじゃないのか。


 家族からは「稼ぎ頭」としか見られず、学校では数少ないクラスメイトと行動を共にしているものの、大方は李智を「芸能人」扱いし、遠巻きに見られている。教室にはいつも他のクラスから女子達が押しかけ、顔も知らない女子からの手紙が靴箱に押し込まれている。

 誰も李智を李智として見てくれなかった。もし李智がハイグリに入っていなかったら、毎日靴箱の中身がパンパン、なんてことは絶対にないからだ。


 だから、ハジンのあの言葉を浴びてから一層、自分を本気で思ってくれる人はいないのかもしれないという事実に、目を向けられないでいる。

 もう売り物にならないからいいや、と、ハジンも自分を見限ったのだと。


 本当は……誰かに求められたいと、そう思っている?


「でもなぁ、亜央。どうして急にそう思っちゃったのかは分かんないけどさ、亜央はたくさん求められてるよ。動画サイトでもSNSでも。ついにネットニュースにまでなっちゃったもんなぁ、活動休止の件。

 それにアイドルじゃなくて、一人の人間として亜央を求めてる子もいるよ。ファンミーティングの時に亜央がかけてくれた言葉に救われたとか、ストイックな生き方に憧れるとか。ご飯食べれてる? 毎日笑えてる? とか。もし芸能界引退するとしても、幸せに生きて欲しいってコメントもあった。

 ……もう後ろ向きになるの、やめようぜ。ファンのためにも。亜央らしくない。辛い時は、俺が、俺らが、お前のこと支えるから」


「べ、別に、ぼ……俺は、後ろ向きってわけじゃ」


「だって今までの亜央なら、活動休止の翌日には事務所に乗り込んで、ハジンさん飛ばして高久社長に活動休止の取り消しを直談判してるはずじゃん。俺達もそうなると思ってた。

 だけど一週間経ったって、全く事務所に来る気配がない。俺らが代わりに直談判して亜央を取り戻そうかって意見も出て、メンバーで話し合ったけど、それじゃ亜央のためにならないって結論が出た。まぁ、取り戻そうって提案したのは理玖なんだけどな」


 莉都は亜央の正面に向き直った。莉都の瞳も僅かに濡れているように見えるのは、気のせいだろうか。


「亜央、早く戻って来いよ。もう俺達が生きられる道って、アイドルしかないんだよ。大学も普通の就職も捨てて、ハイグリに身を捧げて、ハジンさんとあのスパルタ振付師にものすっごいしごかれてさ……。ファンだって待ってるんだよ、5人のΦal。流石に見たろ? あの書き込みの量。中身は見てなくても、あのおびただしい数。SNSのフォロワーだって増えてんだから。

 みんな亜央を待ってる。隙あらばセンターを奪おうとまでする全力の亜央を、危なっかしいけどどっか守ってあげたくなるお前を、みんな待ってる。亜央がいないと、何か張り合いがないんだよ」


 莉都は続ける。


「俺らはファンなしじゃ生きていけない。ファンがいなきゃ、俺らは何者にもなれない。だから亜央にも思う所はあると思うけどさ、何も言わないまま休止を続けてたら、いらぬ誤解も、ファンの不信感も生む。せっかく亜央のこと信じてついて来た人達に申し訳ないだろ。デビュー直後、しかも理玖の次にファンが多いメンバーなのに」


「りと兄にとっては……チャンスじゃないの? お、俺から、りと兄にファンが流れるかもしれない」


「バカか。そりゃ俺だって、理玖と亜央よりもファンを増やしてセンターに……って思うことはあるよ。人間だし。でも適性っていうのも確かにあってさ。理玖の圧倒的なカリスマ性には俺勝てないし、亜央の物怖じしない所にも一目置いてる。Φalには、全員に与えられたそれぞれの役割がある。それを見越して、ハジンさんは俺らを選抜してる。

 もし亜央とか我来が突っ走りすぎたら、リーダーの俺が止めれば良いんだ。でも後ろ向きになりすぎて俺から姿が見えなくなっちゃったら、俺は亜央に手を差し伸べることができなくなる。

 まぁそれ以前に、メンバーからファン奪うなんて胸糞悪いことはしないよ。俺は自力で開拓するから」


 一切目を逸らさない莉都からは、その本気度が痛いほどに伝わってきた。

 この人は心から、天馬亜央を求めている。李智自身のことではないと分かっていても、その優しさに確かに触れていた。


 人の期待に、素直に応える。

 そんな生き方も、楽しいのかもしれない。


 李智の頭には、Φalのメンバーや高久社長、ハジン、振付師の顔が順々に浮かんでいた。

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