Track 2-3

 Φalファイアルとしての毎日は、目まぐるしい。


 バラエティにクイズに歌番組。合間で自主トレ、MV撮影の打ち合わせ、ダンスレッスン、レコーディング。7月にはドラマ撮影とラジオ収録が控えているという。学校なんて通っていられないと、つくづく李智いちは思う。最近は寝不足を実感し始めていた。

 早く寝たいけど、亜央の美しい腹筋を衰えさせないようにと、夜の筋トレを増やした。近くMV撮影があるので、炭水化物量も考えないといけない。


 多忙を理由に、亜央あおとはしばらく連絡を取っていないので少々心配ではあったが、先輩だし、練習生としてきっとうまくやってくれているだろうと思っていた。




 ☆




 とある番組の収録が1時間巻きで終わったので、急遽動画配信サイト用の撮影が行われることになった。マネージャーの浅倉が運転する車で事務所に向かい、たまたま会ったプロデューサーのハジンに挨拶をした。亜央と李智が入れ替わって一週間程度経過しているが、ハジンに李智の正体は気づかれていないようだった。


 その後、10畳程度の小さなスタジオで早速撮影が始まる。


「皆さんこんにちはー! Φalでーす。理玖だよ」


「星衣でーす。今日はコメント欄で応募した中で、多かった企画をやるよー!」


「我来っす。なんかさ、思ったより古典的なの人気だったよね」


「莉都ですよん。古典的って。まぁ確かに古典的だな、我来の言う通りだわ。じゃあ亜央、テーマ発表お願いします!」


「……え?」


 すっかり気を抜いていた李智は、急に話を振ってきた莉都を思わず見る。すると彼はカメラの方を顎で指した。カメラの隣で、浅倉が「トランプゲーム! 今回は大富豪です!」と書かれたカンペを掲げている。


「あ、と、トランプゲーム!」


「亜央。カット」


 いつの間にかスタジオにいたハジンが、撮影を止めた。浅倉が思わず振り返り、会釈する。Φalの面々も頭を下げたが、同時に空気が張り詰めたのを否応なく感じた。

 下げた頭を元に戻すと、ハジンは李智だけを真っ直ぐ見据えている。今のミス、相当マズかったのかな……。


「亜央。今日の撮影の内容、頭に入っていますか?」


「あ、えっと……はい」


「そうですか」


 薄手のグレーのパーカーを着たハジンは腕組みをして、少し考え込むような素振りを見せる。李智の言葉を吟味しているようだった。


「私は、嘘をつく人は嫌いです」


 ハジンの簡単な日本語に、とてつもない圧が加わる。「嘘」「嫌い」という言葉が、李智の頭を殴った。星衣せい理玖りくも目を丸くして、ハジンと李智を交互に見ている。


「覚悟、のない人に、アイドルはできないです。ファンをがっかりさせてしまうから。今の亜央は、見ててがっかりです。撮影はやめましょう」


「えっ……で、できます! 今度こそちゃんとやりますから!」


「出直して下さい。一度でこなせない人はいらない」


「な……ん、で……?」


「誠意のあるミスなら、私もTAKE 2テイクツーを許します。でも亜央、今のあなたのミスには、誠意がない」


「誠意……?」


 李智の視界が揺らいだ。

 うわ、ダメだ、こんな簡単に泣いたら。

 亜央くんはもっと、強い人なのに。


 しかし、今の李智に向けられた言葉は、これまでのどんな叱責よりも重たかった。スキンヘッドの振付師が声を荒げて叱る時よりも、ハジンの氷のような言葉の方が、15歳の心を容赦なく抉っていく。


 唇を噛み、思わずズボンの裾を握りしめた。何も言い返せない李智には、そんな仕草でしか気持ちを示すことができない。自分は亜央くんほど、逞しくない。そんなことまで思い知らされた気がした。じんわりと、血の味が広がっていく。どこで間違えたんだろう。


「そんな顔では、カメラの前に立てませんね。練習生とは違うんです……残りの4人で、撮影を続けて」


 莉都りとが目を見開いた。


「ハジンさん、それはできません」


「なぜ?」


「5人でΦalだからです」


「Φalが4人か5人かを決めるのは、私です」


「……っ! 亜央をΦalから抜けさせるっていうんですか!? たった1回、セリフが飛んだだけで? スキャンダルもないのに? さすがに賛成できませんっ」


「莉都。Φalに入りたいという練習生はたくさんいますよ。莉都がリーダーとして頑張ってるから、素晴らしいグループに見えているようです」


「そうじゃねえだろハジン……このメンバーは、替えが効かねぇはずだろ……あんただって、亜央に期待してんだろ? たった1回ミスっただけじゃねぇかよ!」


 我来がくが声を荒げた。ハジンに掴み掛かろうとまでしたが、理玖が力づくでやめさせる。


「なぁ! 理玖はこんなんでいいのかよ!」


「良くないよ。でもハジンさんに手を出す方がもっとダメだってことくらい、分かるだろ?」


「はぁ……日本は甘すぎますね、浅倉さん。アイドルを舐めている。gloocuyグルーキーみたいな、私の方がヤケドしそうなパッションがなさすぎる」


「そ、そうですかね……?」


「目の下のクマ、青白い顔、アグレッシブじゃない態度……。そして準備不足。完全に舐めてます。どうしたんだ、亜央」


 浅倉はぐうの音も出ない。ハジンは続けた。


「とりあえず亜央、しばらくアイドルと向き合いなさい。自分で答えを見つけるまで、活動はお休みです。もう今日のあなたの仕事は終わりです。お疲れ様でした」


 ハジンはスタジオのドアを開け、李智を見た。早く出て行けという合図だ。


 李智は荷物をまとめ、スタジオを後にした。我来の「待てよ!」という声が聞こえた。でも振り向くことなんてできやしない。



 どうしよう、やってしまった。


 亜央くんに何て謝れば良いんだろう。


 今朝の車の中はとても楽しくて、きっとうまくやっていけると思ったのに。

 自分は何を間違えてしまったんだろう。


 慣れない中で必死に頑張ったことが、全て裏目に出てしまった。ついていくのに必死で、顔色にも気づかなかった。


 ハジンは、日本のアイドルにはパッションがないと言っていた。

 ヤケドしそうなほどのパッションって、何?


 アイドルって、一体なんなんだろう?



 何も分からないまま、飛び込んでしまった芸能界。

 事務所の廊下がひどく長く感じる。喉の奥にボールがつっかえてしまったようで、うまく息ができない。


 何とか更衣室にたどり着き、天馬てんま亜央と書かれたロッカーの前でしゃがみ込んだ。拳で何度も、何度もロッカーを叩く。人のロッカーだと分かっていても、叩くのをやめられない。


 何がどうして、どう苦しいのか、なぜ顔が濡れているのかも分からなかった。

 そのうち、ロッカーの硬さに拳が耐えられなくなって、今度はカーペットを叩く。ボフっ、ボフっと鈍い音がして、その音の醜さにまた涙が溢れた。


 李智は苦しくて、苦しくてたまらなかった。

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