Track 2-2

 丸一日のオフが終わり、再びΦalとしての仕事が始まった。

 と言っても、歌って踊るわけではない。この日はテレビ番組の収録、とスマホのカレンダーアプリに記載されていた。


 しかし、記載されているのはそれだけで、時間も場所も書かれていない。朝になってからそのことに気づいた李智いちが一人焦っていると、程なくして部屋のモニター付きインターホンが鳴った。


「おわっ……は、はい……?」


「おはよーさん。早く降りてこないと、遅れるぞ」


「えっ! え、あ、あの……洋服は?」


「この前言ったろ? 衣装はあるから私服でさっさと降りてこい。まだあとメンバー二人回収しないといけないんだから」


「急ぎますっ」


 モニターに映ったのは、Φalファイアルのマネージャー、浅倉あさくら涼介りょうすけだった。事務所で何度か顔を合わせたことがあるので、本来Φalではない李智も名前くらいは知っていた。


 李智は亜央あおに(天馬亜央の世界観壊すかもしれないけど、時間がないので僕の適当なファッションで許してください)と心の中で謝りながら、クローゼットから適当な服を引っ掴み着替えていく。最後に髪型を整え、慌てて部屋を出た。

 やはりデビュー組だけあって、亜央も非常に端正な顔立ちである。寝癖さえ整えれば、かなり様になった。李智は思わず、洗面所に映る顔に一瞬見惚れてしまった。


 エントランスに着くと、眉間に皺を寄せ、腕組みをした浅倉がスーツ姿で立っていた。


「遅くなりましたっ」


「亜央さ、今日なんかおかしくない?」


「え?」


「俺に敬語使ってる」


 え、亜央くんって、マネージャーさんに敬語使わないの? と驚く李智。


「いつもは全く悪びれずに『悪い、遅くなった』とか言うくせに。なんかあった?」


「あ、や……何でも、ない」


 李智は練習生の中でも若い方であるし、入所時期も遅いので、敬語を使う相手が圧倒的に多い。マネージャーには絶対に敬語を使うべきだと思っていたので、いきなりのタメ口に李智自身がひどく狼狽ろうばいした。


 小首を傾げた浅倉だったが、やはり急いでいるのかそれ以上の追及はせず、僅かにズレた銀縁メガネを指で直しながら、李智を黒のワンボックスカーへといざなう。後部座席に乗り込むと、そこにはリーダーの莉都りとと長髪の我来がくがいた。


「おはよ、亜央」


「モーニン。おい、いつもの」


「?」


「おいおい待てよ亜央! 俺のゼリーねぇの? エナジーイン」


 いつものとかあるの? とまたしても内心で驚く李智。

 やはり他人と入れ替わるというのは大変だ。引き継がれるのは外見だけで、今までの習慣や性格は全て、元の自分のままなのだから。

 亜央が忘れるなんてー、と長髪を揺らす我来。Φalの中で唯一同い年の亜央と我来の間には、他のメンバーよりもさらに親密な関係が築かれているのかもしれない。


「仕方ないだろ、今日は亜央もかなり慌ててたみたいだし」


 我来をなだめた莉都は、カバンから野菜ジュースを取り出して彼に渡した。


「りとにい……ありがたいけど俺、野菜100パーセントは苦手だからいいや……果汁と半々のやつじゃないと飲めなくて」


「好き嫌いしない。もし今後、食レポの仕事来たらどうすんの? 俺苦手です、じゃ使ってもらえないだろ。パクチーNGとかならともかく、野菜NGはさすがにマズいから。今のうちに克服な」


 これには運転していた浅倉も感心して、「莉都、プロ意識が出てきたな」と褒めた。

 莉都はまんざらでもなさそうだ。そしてその笑顔のまま、野菜ジュースを押し返そうとする我来の手首を強く掴んだ。リーダーの気迫に観念したのか、我来が渋々野菜ジュースにストローを差す。


「うぁぁぁ。亜央が忘れたからこうなったんだぞ……あぁ、野菜だ……」


「亜央のせいにしない」


 莉都がいさめるが、口調は優しい。「無理すんなよ」と声をかける姿が、李智にはカッコ良く映った。

 程なくして理玖りく星衣せいも乗り込んでくる。我来が珍しく野菜ジュースと格闘している様を見て、我来より年上の理玖も、年下の星衣も笑っていた。


 デビュー組って、もっとギスギスしていると思っていた。カメラやファンの前では笑顔を振りまきつつ、その裏——練習生も見ていないような所では、移動中全員黙って仏頂面ぶっちょうづらとか、虎視眈々こしたんたんとセンターを狙っているとか、そういうのがあると思っていた。


 しかし今の所、そういったダークな部分を李智は感じなかった。年齢に関係なく、タメ口で意見を言い合い、他愛もない話で盛り上がる。時には真剣な空気や厳しい言葉もあるが、それは決して、人をおとしめるためのものではなかった。


 気づけば李智も、車の後部座席でくつろぎながら、皆と談笑していたのだった。




 ☆




 テレビ局に着き、スタッフに挨拶をする。この日はゲストとして出演予定の、バラエティ番組の収録を行うことになっていた。


 まだ公になっていないが、近日中に情報解禁される理玖のドラマ出演の宣伝の一環だ。Φalが主題歌を担当することも決まっているが、それを解禁できるのは、まだまだ先のこと。

 本来なら練習生すら知らない話だ。だから番組の打ち合わせで、李智は理玖の出演情報を初めて知り驚いたのだ。


 収録1時間前には、座る位置や進行、先にフリップに書いておくことなどの説明を受ける。その後は控え室で衣装やヘアメイクなど身だしなみを整え、本番だ。


 李智はテレビ出演が初めてで、控え室に向かう廊下ですれ違った芸能人にも、いちいち興奮してしまう。打ち合わせでは、とにかく話についていくのに必死だった。

 ただ、今回の主役はあくまで理玖。またコメントを多く求められるのはリーダーの莉都。亜央として臨む李智は前列に座るものの、MCから最も遠い場所だ。内心、かなり安堵していた。



 Next Gleamingができる前から、なぜか李智は目立つ場所で踊らされることが多かった。おととい終演した、Φalのデビュー記念ツアーでもそうだ。バックダンサーではあるものの、その中でセンターを務める曲が多かった。李智本人としては、ダンスが上手い自覚はないのだが。


 別にセンターなんて、望んでいないのに。


 ダンスのミスが最も目立つ場所だし、時にソロもあるし。嫌でも注目を集めてしまう。

 それに、李智の座を狙って瞳をギラつかせている練習生が数多くいることくらい、よく分かっている。李智がセンターだと分かるとあからさまに舌打ちしたり、睨んできたりする輩がいるのだ。そんな嫌な思いまでして、センターにいたいとは思わない。


 だから今、理玖の圧倒的なカリスマ性の背後にひっそりといられることに、かなり安心している。理玖の引き立て役でも一向に構わない。むしろ李智は、誰かを輝かせる場所にいたかった。



 こんなことを思っていたら、後で亜央に怒られるだろうか。


 でも仕方ないじゃないか。李智の性格を必要以上に曲げることは、やはりできないのだ。



 隣で輝く理玖をぼんやりと見つめながら、李智はそんなことを考えていた。

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