Track 1-5

 李智いちに成りすましてしまった亜央あおは、他のメンバーと共にシアタープリメールを後にし、駅へと向かった。

 デビューすれば、電車の利用はかえって危険なので、マネージャーによる車での送迎となる。亜央にとっては久々の電車だったのだが、周囲に言えるわけもなく、ただ黙って後をついて行った。


 李智の定期入れの印字と、事務所の情報を脳内で掛け合わせてみると、李智の住所が分かった。同じ方向の練習生もいたはずだと亜央は思い出し、彼らについて行ってみると、5階建てのマンションが見えてきた。ここは上京して来た子達のためにあてがわれた寮だ。現在は10名ほどしか住んでいないはずなので、今は空室だらけなのだが、将来を見越して高久社長はここを借り上げたのだろう。

 Φalファイアルは練習生の時から全員実家や一人暮らしだったため、亜央が寮を訪れるのは初めてだった。


「ここか……」


「李智、どうした?」


「あ、いや……」


 ここまで一緒に帰ってきたのは、亜央を含めて3人。声をかけたのは紗空さく、ワイヤレスイヤホンで耳を塞いでいるのが蒼羅そらという少年だ。

 紗空はバク転を数時間で成功させてあのスパルタスキンヘッド振付師を驚かせた、運動神経抜群の練習生。蒼羅は皆に比べるとダンスが苦手なものの、音楽好きで、いろんなジャンルに精通している。


 李智の定期入れから鍵を取り出すと、ご丁寧に部屋番号のラバーがついていた。アイドルの卵のくせに不用心だなと思いつつも、内心部屋番号が分かって安堵した亜央は、自室の鍵を開けた。


 家主がいない中、一人で部屋に入るのは気が引けるが、こればかりは仕方ない。俺のも李智に見られるんだし、と思い直して、ズカズカと入って行った。

 内装は基本的に白とグレーと水色で統一されていた。ただ、物が圧倒的に少ない。練習生でも、デビューを夢見てるならもう少し洒落っ気とか、憧れの先輩のグッズを飾るとか、しても良い気がするのだが。

 揺るぎない人気を誇るアイドルグループ、YBFのセンター・天城あまぎ匠斗たくとのポスターだらけの部屋に住む亜央には、どうにも物足りない。


「まぁ、あいつまだ15だしな……」


 李智は14歳の時に上京し、入所した。しかし、一部ではオーディションなしで合格したと噂されている。同時期に入所した練習生達が、オーディションで誰も李智を見ていなかったからだ。高久の親戚説など出ているが、両者は全く似ておらず、真相は誰も知らない。


 李智の女の子かと見紛うような可愛らしい顔立ちと、飲み込みの速さは亜央も認めている。しかしとても臆病な面もあり、なぜ彼が入所してきたのか、亜央にはよく分からなかった。


 そんなことを考えていると、突然スマホが鳴った。飛び上がりそうになった亜央が慌てて画面を覗くと、紗空からだ。『腹減ったから、風呂入ったら一緒にファミレス行こう』とメッセージが来ている。

 亜央は、『エントランス待ち合わせでも良いですか』と送った。すぐに『了解』のスタンプが返ってくる。李智は未地と一緒にいることが多いと思っていたが、紗空とも仲が良いらしい。未地は実家暮らしだからか。

 もう少し、李智と情報共有しておくべきだったと軽く後悔しながら、亜央は風呂に入り、その後エントランスへと向かったのだった。




 紗空と夕食をとった後、李智のスマホのカレンダーアプリを見ると、ライブ翌日も学校とレッスンの文字があった。ツアーを完走したばかりの亜央の心身が悲鳴を上げる。


「学校って、待てよ……中学校?!」


 自称・アルファベットと数字アレルギー持ちの亜央。勉強が大嫌いだったが、それでも事務所と親の必死の説得で高校までは出た。もう勉強しなくていいんだ! と舞い上がった高校の卒業式の後に、こんなことになろうとは……。

 クローゼットを開ければ、キャメル色のブレザーが顔を出す。嫌だ。嫌すぎる。


 亜央は思わず李智にメッセージを送っていた。

 分かりやすいように言うと、亜央は李智のスマホを持っているので、亜央のアカウントにメッセージを送ったことになる。


『なあ、今スケジュール見たんだけどさ 中学行くのはさすがにだるい、、』


『すみません亜央くん。でもお願いします』


『高卒になるのも必死だったのに、、』


『ただ三年C組の教室行って、つるんでくる友達と適当に話してるだけでいいので! 試験前には僕とまた入れ替われれば……』


『試験っていつ?』


『確か、7月の前半です あと一ヶ月後くらいです』


『7月までに絶対戻れる方法見つけような』


『はい……。僕もデビュー組の洗礼を受けているので、早めに戻りたいです……!』


 洗礼とは、デビュー組の公演後反省会のことだろうか。

 李智も苦労している。ここは先輩の俺が頑張らなきゃ、と亜央は頬を軽く叩いた。




 ☆




 翌日。

 一日オフのΦalとは異なり、中学三年生に逆戻りした亜央は制服に身を包む。事務所の大人びた衣装よりも制服の方がしっくり来る李智の顔つきを鏡で見て、10代半ばのあどけなさが残っていることを感じた。


 学校では特段怪しまれることなく、授業にも何とかついていくことはできた。試験直前に元に戻った時、李智が困らないようにと板書だけはバッチリだ。


 そして一旦寮に戻り、亜央は事務所でよく見る李智の格好——Tシャツにジャージと薄手のパーカー、の組み合わせで、電車で二駅隣の事務所に向かった。そのままレッスン室に歩いて行こうとしたら、昨日一緒にファミレスに行った紗空に声をかけられた。


「あれ、李智。今日は着替えてから来たんだ」


「あ……はい。たまたま……その、時間があって」


 そうだった。いつも亜央が見ていたのは、控え室から出てきた李智だったと今更思い出す。

 恥ずかしさを抱えたままレッスン室に入り、ウォーミングアップをしていると、いつもは見かけないポニーテールの女性が入って来た。しゃがみ込んでCDデッキをいじっていたスキンヘッドの振付師が、立ち上がって彼女にペコペコと挨拶している。彼女は集まった練習生達を見渡し、口を開いた。


「みんな、お疲れ様。急で申し訳ないんだけど、李智、未地みち、蒼羅、紗空、菜生なお乃亜のあ伊佐いさ、キラ、深青みお。ちょっと前に来て」

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