Track 1-4

 Φalファイアルデビュー記念ツアーの千秋楽が行われた、シアタープリメールの地下通路。そこには互いに汗だくのまま顔を見合わせる、天馬てんま亜央あお李智いちがいた。

 通りかかったスタッフが二人を不思議そうに見て、「早く着替えてきな」と促す。それでもまだ呆けていると、「メンバーはもう私服だよ」とさらに声をかけられた。その言葉で二人は我に返る。


 スタッフの運ぶ衣装のキャスターとぶつかって、互いの体が入れ替わってしまった亜央と李智。

 もちろん経験したことのない出来事であり、二人共非常に混乱していた。スタッフの体まで入れ替わらなかったのが、不幸中の幸いとも言えるかもしれない。


「と、とりあえず……どうしましょう、亜央くん」


「側から見たら、入れ替わったことなんて分からないもんな……ってかこれ戻んねぇの?」


「早くしないと撤収されちゃいますよね、ここ」


 試しに亜央は、李智に「ごめん」と謝ってから自分でビンタしてみたが、身につけた衣装は李智のもののままであった。互いに体当たりもしてみたけど、効果がない。

 本当は高い所から落ちたり気絶したりして、どうにかして戻したい所だが、亜央も李智も芸能人ゆえ、体に些細な傷さえもつけられないのがもどかしい。


「僕はともかく、亜央くんの中身が僕だとバレちゃったら、ファンの皆さんに絶対怒られちゃいますよ……急にΦalのメンバーだなんて……」


「俺だって、急に練習生に逆戻りしてんだぞ……しかもキャラ全然違うじゃん俺ら…………」


 その時、スタッフが「撤収しまーす、忘れ物点検してくださーい!」と拡声器で呼びかける声が聞こえた。


「クソ……仕方ねぇ、とりあえず俺は李智になりきる。だから李智も俺になりきるんだ」


「いやいやいやいやいや無理ですって!」


「って言われてもさぁ」


「ぼ、僕が亜央くんになりきるなんて……無理ですよぉ……僕、亜央くんみたいに高音上手く出ないし。カッコいい魅せ方できないし」


 後輩の李智に歌声やビジュアルを褒められて悪い気はしない亜央だが、今は単純に喜んでいる場合ではない。


「正直、俺だって李智にキャラ変するの無理だよ。でもそんなこと言ってらんねぇじゃん。なんでこうなっちゃったのか、未だに信じられないけど……最低限、メンバーにはバレないように隠し切ろう。とにかく周りを混乱させないのが最優先だ。俺も頑張って李智になるからさ」


「どうやって……?」


 グレーの衣装に身を包み、李智の顔をした亜央は一つ咳払いをしてから、李智の真似をしてみた。


「んんっ……Φalさん、お疲れ様でした。ぼ、僕も全日参加させてもらって、勉強になりました。また……よろしくお願いしますっ!」


「すごい……さすが亜央くん……」


 正式デビュー前に、元Ur BroZersユアブラザーズ相原あいはら誠哉せいやのバーターとして、亜央はドラマ出演を果たしている。役になりきることは苦ではなかった。


「李智もリハしてみろ」


「えっ、はい……みんなお疲れ。お、俺、腹減った」


「……流石に下手すぎないか」


 ドラマ経験も舞台経験もなく、さらに勝ち気で一人称が「俺」の亜央とは正反対の李智。化けの皮が剥がれるのは時間の問題かもしれない、と亜央は焦った。李智は申し訳なさそうに縮こまる。


「ごめんなさい……」


「あのな、李智。分かるだろ? 俺はもっと勝ち気というか……もっとオラついてる。あと、理玖りくと割とケンカするタイプ。できる範囲でいいから、しばらく天馬亜央になってくれ、頼む」


「理玖くんと、ケンカ……?! それはもっと無理ですよ僕……!」


 まぁケンカと言っても、亜央が勝手に生意気な発言をして吹っかけるだけなのだが。


 練習生の時から、理玖は顔面と歌声が最強だと一目置かれてきた。そんな存在とケンカするのは、理玖より六つも年下の李智には無理か、と亜央は思い直す。


「あぁっ、もう。無理にケンカしなくていいよ。でもさ、もうちょいオラついといてよ」


「はい……。頑張ります。あ、亜央くんも、僕になりきるの、お願いします」


「最大限の努力はする」


 李智の顔をした亜央が右手を差し出すと、亜央の顔をした李智は猫目の瞳を見開いた。へぇ、俺の目ってこんな風に見えるんだ、と亜央は思った。

 李智も右手をおずおずと差し出し、二人は約束の握手を交わしたのだった。




 ☆




 李智の姿となった亜央は、控え室へと歩いて行く。本当は一刻も早くシャワーを浴びたいが、今はデビュー前の体だ。デビュー組しか原則シャワーは浴びられないので我慢するが、さっきまで純粋にΦalの天馬亜央としてパフォーマンスしていた亜央は、かなり損をした気分であった。


(まさか練習生に逆戻りなんてな……)


 控え室に着くと、15名ほどの少年達がガヤガヤと騒ぎながら普段着に着替えている。汗拭きシートや香水の匂いが混ざり合い、思わず顔をしかめた。シャンプーの残り香が漂うΦalの控え室とは、全く違う香りだ。


「李智、遅いぞ」


「あ……あぁ、うん」


 声をかけてきたのは未地みちという少年だ。彼はΦalの絶対的エース、神城しんじょう理玖に憧れていることを公言している。

 実は年齢的には、亜央は未地より年下だ。しかし亜央の方が入所時期が早く、未地からはいつも敬語を使われている。彼からタメ口で呼ばれるのは初めてで、何だかソワソワした。


 体が入れ替わってしまった今、周囲を困惑させないためには、持ち物は全て相手の物を使うことになる。スマホも然りだ。


 亜央は、多少の罪悪感を抱えながらも李智のカバンを覗き込み、汗拭きシートのようなものを見つけて体を拭き上げ、急いで普段着に着替えた。この少年達の中では、15歳の李智は一番年下だからだ。

 19歳のはずの亜央は、未成年に逆戻り。まだ若返りを素直に喜べない年齢である。


 亜央が着替え終わるのを確認すると、少年達は一斉に忘れ物がないか点検し、控え室を出て行く。亜央はびっくりして部屋をキョロキョロするが、李智の顔をした亜央のことなど、誰も気に留めようとしない。


(あれ、反省会とかしないんだ)


 Φalは毎公演、終了後に控え室で15分ほど反省会を行っていた。まずはメンバー間で忌憚きたんなく改善点を言い合い、それを側で聞いているプロデューサーのハジンが軽くまとめる。

 司会はリーダーの莉都りと、書記は長髪の我来がくと決まっていて、帰宅して少しした頃には、我来から最終的な議事録がグループチャットに送られてきていた。それを各自で確認し、次の公演に活かすのだ。


 亜央は李智のように、デビュー組のバックについてライブに帯同した経験がない。Φalの先輩グループは、既に解散したUr BroZersしかいないからだ。だから、練習生の慣習を知らなかった。


(バックダンサーって、反省会しないもんなのか)


 まぁ正直ひどく疲れているので、早く帰れる分にはありがたい。

 ふーん、と呟き、亜央は関係者通用口へと向かう未地達の背中を追いかけて行った。

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