3-11 想い出す、記憶。【カグヤ篇】


 竹内輝夜タケウチカグヤ、というのがあたしのでの名前だった。

 裕福な家庭で育ち、いわゆるお嬢様学校に通い勉強だけではなく習い事にも熱心に励んでいた。

 部活はチアリーディング部。副主将を務めて、大会でも優秀な成績を残す。

 そんな文武両道だったあたしは、高校三年生の夏に。


 ――まさしく人生を一変させる出来事に遭遇する。


 それは軌道の関係で、月がふだんよりも大きく見えるという夜だった。

 受験の息抜きも兼ねて、近くの山頂にある展望台まで友人たちと出掛けたのだが……。

 途中で霧が出てきて、その中に紛れるようにあたしは皆としまったのだ。

 

 冷静に考えればおかしなことだらけだった。

 山とは言うけれど、入口から15分も歩けばいただきにたどり着くような〝学校の裏山〟程度のものだったし、順路は一本道で迷いようがない。


『みんな! どこにいるのーっ?』


 そんな風にどれだけ叫んだところで誰にも声が届かないのも不思議だったし、そもそもこの近隣で〝視界を飲み込むような霧〟が出るなんて聞いたこともなかった。


『え……? ここは……どこ?』

 

 ようやく濃霧が晴れた先で、あたしは愕然とする。 

 見慣れない植物。聞き慣れない動物の声。空を飛ぶ

 

 はぐれたあたしがたどり着いたのは、だった。


『なにが起きてるのよーーーーーーーーっ!』

 

 不安と恐怖、そして驚愕から天に向かって大きく叫ぶ。

 

 空の中心に真ん丸に膨れた月が輝く夜のことだった。


 

     ☆ ☆ ☆


 

 こうして異世界の森に迷い込んだあたしは、奇跡的にも近くを通りかかった馬車に拾われ、その雇い主である地方貴族の元で匿ってもらえることになった。


 家名は【サリーヌ】。帝国に属する男爵家だった。


 しかし森の中にほとんど荷物も持たない見慣れない服装の少女がなんて、今考えれば酷く怪しい状況だっただろうけど……そんなあたしを、


『このようにまだいとけない子が故郷を追われるなんて可哀そうに……』


 と優しくしてくれたサリーヌ家には本当に感謝している。

(ちなみに、あたしはこの世界では随分と若く見られるらしい)

 

 〝言語〟は問題なく理解できた。

 あとから魔術師による≪鑑定≫で分かったことだが、あたしはこの世界に来る際【月神の加護】という伝説に等しいSランクの称号を付与されていたらしく、副次的に会得した≪言語理解≫や≪魔力強化≫など、いわゆるを数多使うことができたのだった。

 

 加えて前世の知識も活かして、男爵領――ひいてはこの世界が抱えていた課題をいくつも解決した。

 

 農耕の問題に下水上水問題。

 貨幣などの経済問題や内政、加えて新しい娯楽や文明の利器の発明に、あたしの得意な未知の料理の数々。

(こうなってくると完全に漫画の中の主人公みたいね……)

 

 おまけにあたしはこの世界では〝この世の者とは思えない美しさ〟らしく、その美貌も手伝ってあたしの存在は瞬く間に全世界に轟いた。

 

 お陰であたしを一目見ようと男爵領には連日数多の人が訪れ、婚約の話もひっきりなしだった。


 果てにはとうとう【皇帝】から直々に謁見を求められ――


 結果、あたしは帝国のお膝元である国立機関で宮仕えすることが決まり、男爵領を離れることになった。

 

 

      ☆ ☆ ☆


 

「途中から予想はできていたけれど……」


 あたしは自身の記憶世界の中で、その皇宮殿を見下ろしながら呟く。


「帝国って言ったら、ミカルドの国よね」


 この世界における帝国といえば唯一無二の存在。

 巨大な大陸をひとつの帝制で支配する【スルガニア】皇帝家だ。

 そしてそんな皇帝家の嫡男というのが、銀髪でキザ口調のドラゴンに乗ってきた王子――ミカルドその人だった。


 はあ、とあたしは溜息をひとつ吐いてぼやく。

 

「第一、あたしが〝異世界の人間〟だったことだけでもびっくりしたのに……加えてミカルドの国の、しかも皇宮に仕えていただなんて。情報が多すぎて感情が追いつかないわ」


 ゴンタロ――もとい【セレネー】と以前のあたしが名付けた魔法水晶に願って、遂にあたし自身の記憶世界にやってくることができた。

 他の王子たちの姿は見当たらない。来られたのはあたしひとりだけのようだ。


「そういえば、ゴンタロっていうのはあたしがで飼っていた犬の名前だったみたい……どうしてあたしがそれを覚えてたのかは分からないけれど……これもなんだか記憶が繋がっていくようで不思議な心地ね」


 前の世界。

 そう、あたしは白い霧が山頂を覆った満月の夜に。

 異世界転移というにわかには信じがたい事象に巻き込まれて、西洋的でファンタジックなおもむきのあるこの世界へとやってきた。

 

 しかも【月神の加護】というチートパワーと前世界での知識、加えて美貌(ここは強調するとともに胸を張っておく)のお陰で、あたしはこの世界ではちょっとした――どころではない〝ウルトラ有名人〟らしい。

 

 どれほど〝ウルトラ〟なのかと言うと――


『! 御出勤の時間だぞ!』『ええい、押すな押すな!』『お前の方こそ押すな……!』


 などと。

 記憶世界のあたし――【輝夜】が住む皇宮の外れの館の前には、連日数多の人々の〝出待ち〟が発生するほどだった。


「まったく、アイドルじゃないんだから……」


 あたしは例のごとく、記憶世界の人からは見えない〝浮遊体〟の姿でふたたび溜息をつく。

 とはいえ同時になんだか得意げな気持ちにもなった。まさか自分がこんなにもたくさんの人たちにされていただなんて。


『扉が開いた!』『いらしたぞ』

 

 見下ろしていた館の玄関の扉が開いて、その熱狂する出待ち人たちがいっそう色めき立った。

 中から現れたのは、もちろん――


「……〝あたし〟だ」


 正確には記憶世界のあたし。

 つまりは記憶を失う前のあたし。

 

 見た目は今の自分とほとんど変わらない。少し異なるとすれば、その身なりがちょっぴり豪勢なことと。

 あとは表情や振る舞いがどことなく〝自信〟に溢れたようであることだった。


「今のあたしより、よっぽどお姫様かも」


 自分自身に対して羨望と嫉妬が入り混じった奇妙なモヤモヤを抱えてしまう。

 そんなことを考え唸っていると、待ち人たちから輝夜に向かって声がかかった。


『やはりお麗しい……!』『神々しさに目が眩むよう――』『まさしく【月光の姫君ルナティック・プリンセス】の名におふさわしい!』

 

「……ルナティック・プリンセス?」


 あたしのこめかみがぴくりと反応した。

 察するにそれはこの世界のあたしの〝二つ名〟のようだったけれど……。

 

「は、恥ずかしい……! これじゃクラノスのことを笑えないじゃない」


 あたしは空で頬を赤らめる。

 【月光の姫君】――それこそ前の世界の漫画の中でしかないような、なんとも絶妙に恥ずかしい二つ名だ。


『月がつかわした絶世の美女』『お目にかかれて幸せにございます……!』

『ああ、どうか振り向いてくれないだろうか?』『お前など眼中にあるまい!』

 

 圧し潰されそうになりながらも(館の警備たちが移動するあたしのまわりを文字通り〝人の柵〟のようにして守ってくれた)、ようやく輝夜は移動用の馬車に乗り込んだ。

 それでもと皆の熱狂はおさまりが付かない。

 まるで大きな戦に英雄を送り出すかのような歓声だ。

 

『……ふう。毎日毎日よくも飽きないものね』


 馬車の中で記憶世界のあたし――輝夜は安堵の息を吐く。

 頬もなんだか恥ずかしそうに朱に染まっていた。


『それにしても……あのあだ名だけはどうにかならないものかしら。小恥ずかしいったらないわ』


 そんな風にぼやく様子を馬車の窓から覗きながら、あたしは心から安心をした。


 

「よかった、前のあたしもだったみたいね」


 

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