3-10 真名を呼ぼう!
「カグヤ! 何をしている!」
半分を超えた月明りの夜。
エヴァの屋上に王子たちが駆けつけてきた。
「ご飯なのに姿を見せないからさ~……」「心配してたっつうのによ……!」
彼らの声には〝危機感〟が漂っている。
それもそうかもしれない。
今のあたしは屋上の端っこ、本来であれば落下防止の目的であるはずの柵塀の
「危ないべさ!」「カグヤ、おりて……!」
自分でもなんでこうしているのか分からない。
ただ夜風に当たりたくなって。
ただいつもより
気がついたらこの場所に立っていた。
月明かりがいつもより激しく全身に降り注いでいる。
あたしの心臓はやけに落ち着いている。
なびく黒髪を抑えることはせずに。
はためく衣服も気にも留めずに。
あたしは心配そうにしている王子たちに向かって語り始める。
「日記をね、見ちゃったの」
「日記……?」マロンが気づいたように言った。「あ、ピアノを運んでた時に見つけたやつ?」
こくり。あたしは頷いて続ける。「あの本は――〝昔のあたし〟が書いた日記帳だったの」
「「なっ!?」」
真っ先に反応したのはクラノスとミカルドだった。
乗り出すように前傾姿勢をとり、両の瞳は大きく見開かれた。
他の王子たちは驚愕と困惑が入り混じったような表情であたしの様子を伺っている。
「日記に書かれてたのは全部じゃないの……あたしがこの場所に閉じ込められてから、記憶を失くすまでの期間。その短い間の、塔での生活を綴った他愛もない記録」
あたしは首を下げて息を吐いた。
眼下には夜の暗い森が広がっている。
それらの樹々は怪しい声をあげながらゆっくりと
「だからね、失った記憶のまるっと全部が分かったわけじゃないけれど……書きぶりから断片的なあたしの過去は見えてきて」
全体像には程遠いけれど。
一部にしては精彩だった。
乾いた石に水滴がよく染み込むように――その日誌を読み進めるうちに、あたしの脳はぱりぱりと音を立てて過去のあたしの〝像〟を
知らなかった記憶。知らなかった感情。知らなかった自分。
それでも――全部を知るにはまだ足りない。
「だからね、あたしは……これからその〝全部〟を知ろうと思うの」
あたしは懐中から見慣れた水晶玉を取り出す。
それを掌にのせて、月灯りを透かすように夜空に掲げた。
「ゴンタロ――ううん、」
突風が屋上を吹き抜けた。
あたしの髪とスカートが勢いよく空にはためく。
「「――カグヤ!!」」
みんながあたしの元に駆け出してきたけど。
あたしの言葉はもう――止まらない。
「ねえ、
風の中に紛れないように。あたしは輪郭のはっきりした声で。
魔法の水晶に、セレネーという――〝昔のあたし〟が付けた名前を呼んで。
願った。
「お願い。あたしの記憶を、見せて――」
突として。
水晶から光が溢れ出した。
その輝きの中で。
『
これまでのゴンタロとは違う、芯のあるしっとりとした音で水晶は応えてくれた。
刹那。
光は
カグヤの掌を中心に白金の光線が世界を満たしていく。
それはまるで夜を晴らすような――激烈で神々しい光の奔流だった。
「「……っ!!」」
駆け出した皆の身体は有無を言わさず、その明滅の中に飲み込まれていく。
すべてが白に染まりゆく中で――あたしだけがはっきりとその世界に存在していた。
いつの間にか掌から水晶が消えている。
あたしのまわりのあるのは限りない光の激流。
その真っ白な世界の向こう側から、だれかが〝向こう側の世界〟に
あるいは光の加減で手の形に見えていただけかもしれない。それでも。
あたしは迷うことなく、その手の形をした何かを握りしめる。
「カグヤーーーーーー!」
同時に背後から名前を呼ばれた。
きっと現実世界に残る王子の声だと思うけれど。
それがだれの叫びだったのかは、あたしには分からない。
そしてそのまま。
あたしは光の中へと――飲み込まれた。
☆ ☆ ☆
白、白、白。
なにもない世界をあたしは漂っている。
目を凝らすと視界の奥から黒い幕のようなものが連なって流れてくる。
そこには様々な景色が刻みつけられていた。まるで映写機のフィルムみたいだ。
それぞれのカットの中心にいるのは、黒髪の少女――あたしだ。
幼年期から思春期に渡り様々な自分が映し出されていて、ひとつひとつが独立した映画のように絵が動いている。
――そうだ、これはあたしの記憶だ。
映し出されているのは――
これからあたしがすることは。
あたしがセレネーという――過去のあたしが残した
そういったあたしの知らなかった過去を。
ずっとずっと知りたかった過去を。
あるいは……知らない方が幸せだったかもしれない過去を。
徹底的に、暴いていく作業だ。
後戻りもできないし、取返しもつかない。
それでも。
時は動き出してしまったから、とあたしは頭の中で繰り返して。
「覚悟はもう、できているもの」
深呼吸をひとつしてから小さく、だけど確固とした声で呟いてみせた。
フィルムは縦横無尽に白い世界を駆け巡っている。
そんな黒と白の渦に身を任せるようにして。
あたしはその中のひとつに――飛び込んだ。
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