2-25 熱く抱擁されよう!


「カグヤ――もうどこにも行かないでくれ」


 そう言って。ミカルドは。

 あたしのことを、きゅうっと。


「ミカ、ルド……?」


 強く。強く。

 なにかを確かめるように。


 あたしはここにいるのに。

 その存在を断固として確かめるように。


 ――その両手で、抱きしめてきた。


「……カグヤ」


 ミカルドの身体にあたしはどうしようもなく包まれる。

 ごつごつとした胸の感じ。大きな腕。熱を帯びた掌。身体。血液。心臓。その鼓動。

 首元にかかる息遣い。さらさらと顔をくすぐる銀の髪の毛。汗の匂い。ミカルドの匂い。


 その全部にあたしは抱きとめられて。


 頭の中が――ショートした。


「~~~~~~~~っ!?????」


 言葉は出ない。

 代わりに身体の奥からじわっと熱が滲みだしてくるのが分かる。

 頭はくらくらとして、思考がまとまらない。

 当たり前だ。前のあたしがどうだったかは知らないけど。


 あたしは男の人に抱きしめられることなんて、だったから。

 

「……っ、……っ!」


 どれだけ時間が経ったのかはわからない。

 十秒にも満たない短い間だったかもしれないし。

 十分に渡る長い時間だったのかもしれない。


 とにかく。

 永遠にも似た刹那の果てに。


 ミカルドはゆっくりと。ゆっくりと。

 その大きな身体を。男の人の身体を。

 あたしから離して。


「――――――」


 なにかを言いかけた、その瞬間。


 がららららららん、と。


 大きな鐘の音が、周囲に鳴り響いた。


「きゃっ! ……鐘の、音?」


 あたしたちは思わずぱっとお互いの身体を離して。

 その鐘の音がどこから聞こえてくるのかを探る。


「塔の外? あ、もしかして……」


「あ、おいカグヤ! 危ないぞ!」


 あたしは屋上の壁から身を乗り出すようにして下を見た。(ミカルドがその背中をちゃんと支えてくれた)


「やっぱりそうよ! ――イズリー!」


 あたしが上から名前を呼ぶと、作業着姿のイズリーが気づいてこちらを見上げた。


「んだ……? あ、カグヤさーん! って、そんたに乗り出してあぶねえべよー!」


「あたしは大丈夫ー! イズリーも気をつけてねー!」


「おらは慣れてるから大丈夫だべー! それより、聞いてくんろー!」


 イズリーは安堵したような表情を浮かべてから、叫ぶ。


「やっとこさ、だよーーーーーーーーーー!」


 ここからは縁の部分しか見えないが。

 イズリーが指をさした先にあるのは、塔の外壁の大時計だ。

 隙間を見つけて命綱をつけながら修理をしていてくれていたが、彼曰く〝思いのほか複雑な機構〟で手こずっていて。

 それがちょうど今、終わったようだった。イズリーは達成感に溢れた表情を浮かべている。


「鐘が鳴ってるー!」


 まさしく、そのがらんがらんという鐘の音の中であたしは叫ぶ。


「なんだべかー?」


「きれいな、音ねー!」


 聞こえたのかどうかわからないが、イズリーは爽やかに微笑んだ。


「面白い仕掛けだべ! 新月と満月の夜の12時にだけ、鐘がなるようになってただー!」


 ――へえ、そんなことができるんだ。


 あたしは小さく呟いた。確かに今日は新月だ。

 月の満ち欠けに合わせるような複雑な機構だとしたら、あの器用なイズリーでも手こずるのは仕方ないのかもしれない。

 新月と満月ってことは……次にこの鐘が鳴るのは、まさしく半月ほど後のことだろうか。

 音の種類が変わったりするのかな――なんてことを考えながらも、ひとまずはイズリーに向かってもう一度叫んだ。


「イズリー!」


「なんだべー?」


「あり、がとーーーーーー!」


 鐘の音に負けないように。

 あたしは大声で叫んで、手を振ると。


 イズリーは顔をエデンの実みたいに真っ赤にして、手を振り返してくれた。


「……ふう」


 乗り出していた手すりから、ひょいと上半身を降ろす。

 ミカルドが心配そうにその背中を支えてくれた。


「……あ」「――む」


 背中を預けた時に、その目と目が合って。

 

 空に響いていた鐘の音が止まった。風ももう吹いていない。

 じいんと痺れるような音の余韻だけが夜の空に残っている。


 その刹那。


 あたしは。あたしたちは――〝さっきまでのこと〟をどうしようもなく思い出して。


 お互いにどこか気まずそうに、目を逸らした。


「……その、カグヤ、」


 ミカルドは何かを言いたげだったけれど。

 あたしは、その顔の前に人差し指を突き付けて言ってやった。


「真夏の夜の夢、白日の夢――さっきまでのことは、忘れましょう」


「む、しかし……」


「ついついあたしも、頭がかーっとなっちゃって。色々言い過ぎたみたい」あたしは頭を横に振りながら、「ミカルドがあたしに――〝昔のこと〟を隠すみたいに。あたしも今日の夜のことを隠すから」


 それでも納得しない様子のミカルドに、あたしは作ったような口調で続ける。


「ほ、ほら! だって明日からも、ひとつ屋根の下に住むわけだし? あたしだけじゃないわ。ミカルドがってここから出ていきたくても、今はできないんだし! いくらお互いに顔を合わせたくなくなったとしても――家出することはできないんだもの」


 あはは、と冗談めかして笑ってみたけれど。

 ミカルドはどこか寂しそうな表情を浮かべていた。


「……でも! 例えだとしても、ミカルドに言いたいこといっぱい言えてすっきりしたわよ。だから、」


 はっきりと言葉にしたとしても。

 あたしは本音のところでは気が付いている。


――お互いのためにも」


 もう、時計の針は進み始めてしまったということを。

 もう――もとの関係には。

 きっと戻れないだろうということも。


「カグヤ!」


「じゃあねおやすみばいばい」


 引き留めてくるミカルドに。

 あたしはもう一度早口でそう言って。


「――また、あした」


 背中に手を回したまま。

 ゆっくりと、振り返ると。

 

 

 そのまま月の無い夜の屋上を、あとにした。



     ☆ ☆ ☆

 


 屋上からエヴァの内部に続く扉を後ろ手にして、あたしは考える。


 ――白昼夢、といつか言っていたのはクラノスだっけ。

 

 実際に起きているように見える、白日の夢。

 現実世界には影響しない空想の幻。


 の、はずだけど。


 あたしはその場に崩れ落ちるようにうずくまって、両手で頭を抱えた。


「…………!」


 白昼夢だとは、とてもじゃないけど言えないくらいに。


 ミカルドの身体のぬくもりは、あたしの全身に残り続けていた。


「なによ、あれ――ばっかじゃないの」


 胸を掴むと未だに心臓が飛び出しそうに脈動しているのが分かった。

 顔から火が出るように熱い。だれかがやってきたとしても、暗くて見えないだろうけど。

 きっと今のあたしは、エデンの実のように真っ赤になっているはずだ。

 

「急にあんなことして、何様のつもりなわけ……?」


 それでも不思議と嫌悪感のようなものはなかった。


 むしろなぜだか。

 そんなこと、ありうるはずがないのに。


 ――懐かしいような心地になったほどだった。


『カグヤ、もうどこにも、行かないでくれ』


 ミカルドの熱のこもったそんな囁きが、脳みそにべったりとこびりついている。


「……ねえ。あたしたち、昔になにがあったの……?」 


 とく、とく、とく、とく――

 時計の針が時間を刻む音と、あたしの心臓の音が重なっていく。


 遠くからだれかの声が聞こえた。

 さっきの鐘の音で王子たちが目を覚ましたのかもしれない。

 エヴァの内部がざわめき立っていくのが分かる。


「……いけない。はやく部屋に戻らないと」


 今の〝あたしじゃないみたいなあたし〟を、だれにも見せるわけにはいかない。


 どうにかその場で立ち上がって。

 ゆっくりと息を吸って。吐いて。

 もう一度。繰り返して。意を決して。


 身体の火照りもおさまらないまま、9階への階段を駆け下りた。

 



 そのあとは、うまく眠ることなんて。


 できるわけがなく――




 翌日あたしは、高い熱を出したのだった。



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