2-24 秘密に迫ろう!


「あたしたち、前にあるの……?」


 あたしたちが立つ屋上の端に夜風が吹き付けた。

 生暖かい湿度を含んだそれは、あたしたちの髪をぱたぱたとはためかす。


 ミカルドは一瞬ひどく驚いたように目を広げて。

 いきなり肩を両手で掴んできた。 

 

「おい、そんなことがあったなど聞いていないぞ!」


「きゃっ」

 

 その勢いにあたしはたじろいでしまう。


「どこまでを見た!」


 ミカルドは両手であたしを揺さぶるようにしながら続ける。


「正直に話せ! これはとても、大切なことなんだ」


「……離して、痛い」


「む……」


 ミカルドの両手からすり抜けるようにして距離を取る。

 肩を撫でてやると、そこには彼の熱のような掌の感触が残っていた。

  

「……ミカルドが住んでだお城の、中庭でね。馬車から降りてくるあたしに、ミカルドが駆け寄っていったの」


 頭の中でゆっくり言うべきことを整理してから、あたしは話し始めた。


「あたしが見たのはそこまで。話してなかったのは、仕方ないでしょう。ちょうどさっき思い出したのよ」


 屋上に転がる、エデンの実の種を植えた鉢植え。

 未だ芽を出さないそれにふたたび視線をやってあたしは続ける。


「……あと、ね。もうひとつ」


 気になっていたことをついでに聞いてやった。


記憶あっちの世界のあんたの部屋に――エデンの実がたくさん置いてあったの。だけど今のあんたは、エデンの実がって言ってたわよね」


 あたしの趣味もあって食後には〝エデンの実〟を出すことが多いのだけど。

 ミカルドは毎回〝我は要らん〟と突っぱねているのだった。


「ちゃんと食べた形跡もあったし……そのことも、あたしの中で矛盾があって」


 ちなみに言えば、違和感があったのはエデンの実のこと以外にもうひとつある。

 鐘が鳴って、部屋から出て行って。

 馬車から降りてくる【記憶の中のあたし】に向かって急ぎ足で駆け寄っていくミカルドは、その頬をまさにエデンの実のように紅く染めていた。

 

 ――あんなミカルドの表情を見たのも、ハジメテのことだった。


「ねえ――どっちが本当のミカルドなの? あなたは一体――何者なの?」


 屋上にさっきよりも強い風が吹き抜けた。

 ばさばさと髪と衣服がはためく音が、なにかを予感させるように不気味に響く。


 肝心のミカルドは気持ちが追いつかないように身体を震わせながら、見開いていた目をやがて地面に落とした。

 その口元には波紋のような動揺が浮かんでは消えてを繰り返している。


「…………」


 それでも。

 あたしはミカルドの言葉を待った。


 たっぷりと時間が経ったあとに、ミカルドはごくりと何かを腹の底に飲み込んでから。


 言った。


「……今は、」


「え?」


「今は、話すことは――できん」


「……っ!」


 その一言に。

 やっぱりどこまでも他人事みたいな対応に。


 あたしの中で〝なにか〟が切れる音がした。


「なによ――なんなのよ、それ!」


 あたしは感情を叩きつけるように叫ぶ。


「もとはと言えば、記憶を思い出す手伝いをしてくれるって言ったのはミカルドの方じゃない! なのに……最初からその気なんてなかったのね!」


 さっきも言ったように、この数か月の進捗に目ぼしいものはなかった。

 ミカルドも真剣に考えてくれているように思っていたのだけど……あれは全部演技だったのだろうか。

 あたしにはもう、分からないし。分かりたくもなかった。


「あー、もーーーーーーーー!」


 頭を掻きむしるようにして、あたしはまた叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。


「どうして、最初から言ってくれなかったのよ! あたしの〝過去〟を、あんたは知ってたんでしょう!? なのに初対面のふりして近づいてきて、塔にまで住み着いて……何食わぬ顔してご飯食べて、ぐだぐだみんなと言い争って。ご飯食べて、ぐだぐだして、ご飯食べて……あとなんかしてたっけ? してないわよね! もー! そっちの意味でも腹立ってきた!」


 ずっと溜め込んできたもやもやが一気に噴出するみたいに。

 あたしの言葉はもう、止まらない。


「何を隠してるのよ……一体あたしは、どこのだれで。あんたの、なんだったのよ」


 目に暖かな液体が滲んでくるのが分かった。

 分かったところでそれを塞き止めることはできない。


「それが分からなくてあたしは苦しんでたのよ! そうは見えなかったかもしれないけど。そう見せてなかっただけかもしれないでしょう!?」


 それはきっと。

 どこまでも残念なあんたには。には。

 きっと察することはできなかったと思うけど。


「こんな塔に閉じ込められて、記憶もなくして。ひとりぼっちで、あたしがだれだか分からなくて――辛くないわけが、ないじゃない……!」


 一度言葉にしてしまった感情は、止めどなく溢れてきてしまう。

 寂しさ、辛さ、切なさ――そういうネガティブな感情は、ずっと前に心の奥底に封じ込めたはずだったのに。


 後ろ向きな感情ばっかり抱えても仕方がないから。前に進めないから。

 考えないようにしようって。


 ひとりぼっちの塔の中でも。

 ――絶対に希望を捨てないで。前を向いて、生きていこうって。


 今は見えない、お月様に。

 いつかの満月の夜に。


 誓った、はずなのに……。


「なんでこんなに、涙が出てくるのよ……ひぐっ」


 とめどなく溢れてくる涙をあたしは拭わずに。

 鼻をすすって、ただただぽたりぽたりと床に落ちていく液体を放置して。

 あたしは言う。


「あんたの、せいだから――どうにかしてよね」


「……む?」


「涙! 止めてよね! 悲しい気持ちになってるの、どうにかしてよね、泣き止ませてよね! 仮にも王子様のはしくれなら――お姫様の涙くらい、どうにか、しなさいよ……」


 そうだ。

 こいつらが残念な王子様なら。

 あたしだって、我がままなお姫様なのだ。

 どんなに絶望的な状況でも〝ここから連れ出してくれる理想の王子様〟を信じて待ち続ける――強欲なお姫様なのだ。


「……ひぐっ……嘘つくくらいなら。せめて王子様の仮面を被って――ひとりの女の子くらい。。泣き止ませてみせないさいよ……うっ」


 嗚咽は止まらない。

 今日が月の無い暗い夜でよかったとあたしは思う。

 こんな顔、だれにも見られたくないから。


 相手があたしの待ち続ける〝白馬の王子様〟だったのなら、特に。

 

 だから。


 そんな〝本当の王子様〟がいるのなら。


 

「はやく、あたしに会いに来てよーーーーーーーーー!」


 

 あたしは最後に思いっきり叫んで。


「はああああああ……すっきりした」


 無理やり、自分の感情に収集をつけたのだった。


「……カグヤ?」

 

 うん。これでいい。

 どうせ目の前の王子様は偽物なんだから。

 あたしの気持ちなんて、分かってくれるはずもないから。分かってくれなかったから。

 

 あたしがこんなに感情をぶちまけても。


「…………」


 ――過去の秘密を、打ち明けてくれないでいるから。


 だったらあたしだって。

 頼ってなんか、やるもんか。

 悔しいけど……ううん。悔しいからこそ、だ。


「よしっ」

 

 大丈夫。あたしは強いお姫様なのだ。

 偽物の王子様の助けなんかなくても、ひとりで生きていける。


「部屋に戻るわ。じゃあね」


「おい、カグヤ!」


「なによ、引き留めないで」


 女の子ひとりも泣き止ませられなかったくせに。

 なにが〝今は話すことはできない〟よ!

 重要な秘密を隠してるみたいだけど、思わせぶりな態度で悦に浸ってるんじゃないわよ、ばーか。ばーか!


「じゃあねおやすみまたねばいばい」


 早口で別れの言葉を告げて去ろうとしたら――


「カグヤ!!!!」


「もうほっといてよ! ――きゃっ」


 その腕を、ぱしりと握りしめられた。


「いたっ! いたいわよ、離して!」


 言葉とは逆に、握る手には力がこめられていく。

 振り払おうとしても抜け出せない。

 

 きっ、とあたしはミカルドを睨みつけてやる。


「離してって言ってるでしょ!」


「いや、……、離さん」


「大声出すわよ」


「さっきから出しているだろう」


「もっと大きな声出すわよ!!!」


「今出しているだろうが!」


 ぐい、と上半身を捻るようにして腕を引っ張ってやるが。

 やっぱりミカルドは離してくれそうにもなかった。


 あたしは宣言通り〝もっと大きな声で叫ぼう〟と空気を一気に吸っていると――


 逆にミカルドは、なにかを諦めるような深い溜息をひとつついて。


「我慢をしていたのは――我も同じだ」


 などと。

 憂いを帯びた瞳で言ってきたのだった。


「カグヤに言いたいことなら、いくらでもあった」


「へえ、この期に及んで自分のこと? あたしなんて大したことなかったは。あんたの方がどうしようもなくね」


「我がままで構わん。ならばそれついでに……いや。もしカグヤがその我が儘を望むのであれば。カグヤが記憶を思い出しているかどうかに関係なく――今の我のを伝えよう」


「どういう、ことよ」


 掴まれた腕には最早力が入っていなかった。

 今振り切れば簡単に抜け出せそうな気もしたけれど。

 ミカルドの声に含まれた、一筋ひとすじの熱のようなものにあてられて。


 あたしはそのまま、ミカルドの言葉を待つことにした。


「今宵は月明りが少ない」


 ミカルドは空に顔を向けて続ける。


「ならば、その影に紛れて……これから、ふだんであればできなかったことを、する」


 なんて。

 キザな言い回しで。


「どういう意味よ――」


 言いかけるあたしの身体をぐいと引き寄せて。


 思い切り、あたしのことを――抱きしめてきたのだった。


 ――え?


(待って、どうなってるの? ミカルドが、あたしのこと――)


 思考が混乱していく。

 抱きしめられた身体が。頭が。顔が。ひどく熱い。

 

 それでもミカルドは力を緩めることなく、強い意志のこもった声で。

 

 あたしの耳元に囁いた。



「カグヤ――もうどこにも、行かないでくれ」


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