1-25 想い出す、記憶。【帰還篇】


 ――カグヤ、カグヤ!


「うっ……あれ? ここは……?」


「「カグヤ!」」


 ぼんやりと焦点が合っていく。

 見知った鼠色の天井。エヴァの8階、大広間だ。

 その視界に――心配そうにあたしを覗き込むマロンとクラノスの姿があった。


「よかった、目が覚めた~……!」


 そっか、あたし。

 ミカルドの記憶を覗いて、それで――


「いたたたた……」


 どうやら、どこかで頭をぶつけたみたい。

 こぶのように膨らんだ額をさすりながら、これまでのことを思い出す。


「あたしひとりだけミカルドの部屋に呼ばれたんだっけ。そしたら――」


 ころり。

 床にエデンの実が転がってきた。

 ゴンタロが出してくれる実よりも赤みが強く、表面がてかてかと輝いている。


「そうだ! 鐘が鳴ってミカルドが中庭に向かったんだわ。それでエデンの樹の前で……ええっと、」


 あれ? なにか大事なことがあった気がするんだけど、思い出せない。

 なんだか重要な記憶だった気がするのだけど……。


 真剣に頭を捻って考えていたら、


「う、ぐう……」


 意識を失い床に伏せていた【現実世界のミカルド】が目を覚ました。


「……なにが、起きたのだ……」


 後頭部をさすりながら、ミカルドは警戒するように周囲を見回す。


「はっ! そうよ!」


 あたしはぱっと閃いた。

 どうしても思い出せないのなら。


 ――もう一度あの世界にいけばいいだけじゃない。


「……ねえ、ミカルド」


 あたしは目を覚ましたばかりのミカルドの前に立ちはだかって。


「む……カグヤか。そんなにな笑みを浮かべてどうした」


「お陰様でね、もう少しであたしの記憶に関わる重大な〝なにか〟を思い出せそうなの」


 うふふ。とあたしは笑って。

 手に〝巨大なハンマー〟を握って。


「だからね、ミカルド――もう一回?」


「……は?」


「大丈夫、痛くしないから!」


『そんなものチラつかせておいて、痛いもなにもあるか! や、やめろ!』と後ずさるミカルドの頭めがけて。


 あたしはメモリー君を振り下ろしてやった。




     ☆ ☆ ☆




「あれれー? おかしいよー?」


 クラノスがやけに甲高い声で首を捻った。


「記憶、覗けなくなっちゃったみたい」


 言葉の通り。

 あれから幾度とミカルドの意識を飛ばしてみたのだけど。

(ちなみにメモリー君の使用フルスイングは『打ちどころが悪かったんだよ、今度はボクがやるね』『じゃあ次はおれの番だ~』『ちょっと待って、まだあたしもこれまでの恨みを晴らしきれてないわ』と三人で代わる代わる行い大変に盛り上がった)


「ゴンタロ! ミカルドの記憶を見せて!」


 ぽわわわわわ。光はそれ以上、強くならなくて。

 何度お願いをしてみても最初の一回を最後に、ゴンタロが記憶を見させてくれることはなかった。


「うーん……せっかくなにか重要なヒントを掴みかけてた気がするのに」


 捜査は降り出しに戻る。

 結局残ったのは――頭に無数のこぶをつけたミカルドだけ。


「……う、うう……ハンマー、怖い……うっ!」


「あ、良かった。無事みたいね」


 はたからみればそんなに無事でもないかもしれないし。

 『ハンマー怖い』なんてのも別に至極当たり前のことなんだけど。


 そんなミカルドには随時クラノスが治癒魔法をかけてあげてたみたいで、そのへんはちゃんと優しい部分もあるんだなーなんて思ったりもした。




     ☆ ☆ ☆




「はーあ、残念だわ」


 しばらく時間は経って、エヴァの屋上。

 転落防止の柵塀にもたれかかりながら、あたしは溜息を吐いた。


「せっかくあと少しで、なにか重要な記憶にたどり着けそうだったのだけど」


 ――もしかしたらあれは、神様が見せた〝白昼夢〟のようなものだったのかもしれない。


 神様なんてものがいるかどうかは分からないけれど。

 案外、空に浮かぶあのお月様みたいに。

 あたしたちのことを、空のどこかから見守っていてくれている可能性だってある。


 そんな神様が悪戯に見せてくれた、いつか覚めてしまう白日の夢。


 ――白昼夢、ね。


 あるいは――真夏の夜の夢。


「もしくは〝まな板の上の鯉〟」


 うんうん。まな板の上の――って、


「語感似てるだけで全然違うじゃない! ――あ」突っ込みながら振り返るとそこには、「クラノス!」


 誰もが恐れおののく殲滅のイカ王子が立っていた。

 何よこいつ。いきなり後ろから現れて。


「っていうか、あたしのモノローグに勝手に乗ってきてるんじゃないわよ!」


「え? なんの話?」


 自覚的か無自覚的か。

 イカに乗ってきた腹黒王子様は可愛らしく首を傾げた。


「……なんでも、ない」


 こんなやつが『世界最高峰の魔法使い』なんてやっぱり納得できないわ。


 ――ま、顔だけ見たら〝世界最高峰〟なんて過剰な形容詞も似合ってしまうのだけど。


「うん? ボクの顔、何かついてる?」


「別に……あーーーーーっ!」


「どうかした? 愛しのカグヤちゃん」


 愛しの、という修飾語は無視してあたしは答える。


「思い出した! クラノスあんた夢の中で、よくもあたしのこと簡単にくれたわね?」


「どうかした? 愛しのカグヤちゃん」


「同じこと繰り返さないでよ! 壊れかけの蓄音機か!」


「なんかいい感じに誤魔化せるかなあと思って」


「〝あれ? あたしの言葉、聞こえてない……? だったらいっか、次の話題いっちゃお☆〟みたいになるわけないでしょ!」


 クラノスは唇に手をあてて嬉しそうに笑って言う。


「でもカグヤを売ったおかげで〝新しい魔法〟を開発できそうなんだ」


 そう。クラノスは帝国が誇る書庫の魔導書閲覧権と引き換えにあたしを売り払ったのだ。

 どうやら少しはクラノスの魔法研究の足しになったようだけど……そりゃそうよ。

 あたしを売り払ったくらいなんだもの、代わりに有益な大魔法のひとつでも習得してくれなきゃ割に合わないわ。


「――ちなみに、どんな魔法なの?」


「手を洗う時とかに、そのままだと袖が濡れちゃうでしょ?」


「うん」


「その時に袖を自動でまくってくれる魔法なんだ」


「え? あたしの価値、袖まくり以下……?」


「もう少しで、完成しそうなんだけど」


「今ならまだ間に合うわ。別の魔法にしたら?」


「完成したら30%くらいの確率で袖をまくれると思うんだよね」


「7割は失敗するんかい!」


「ううん、70%で袖が伸びる」


「今すぐ開発やめろやあああああああ」


 袖まくる魔法なのに7:3の7で袖が伸びるってなんなのよ……それもはや〝袖を伸ばす魔法〟が主じゃない。




「っていうか! 袖をまくるくらい自分の手でしなさいよ!!!!」




     ☆ ☆ ☆




「はああああああ……」


 あたしはクラノスたちに出遭って何度めか分からない巨大溜息を吐く。

 場所は引き続き屋上。クラノスとふたりで夜風にあたっていた。


「……結局何の収穫もなかったわね」


 ううん、それはさすがに言いすぎかしら。

 確かに〝あたしの記憶〟に関係しそうなことは、最後の最後で忘れてしまったけれど。


 記憶の中で――今まで謎に包まれていた〝3人のこと〟を少しは知れたわけだし。


 あたしはポケットから【記憶の世界のエデンの実】を取り出して眺めてみる。

 つややかなその表面が月明りに照らされて怪しく輝いた。


「そういえば【記憶の中のミカルド】に自己紹介できないままだったな」


 ――あたしたち、過去ににならないかしら――


 あの時にもし名前を名乗って、もう少しあの世界に留まり続けることができたなら。

 この世界のミカルドにもなにか影響を及ぼしていたのだろうか。


「ねえ、クラノス」


「うん?」


「……あたしたちって、この前会ったのがハジメテよね?」


 隣で夜空を眺めていた腹黒イカ王子にもふと聞いてみた。


「はあ? 今更何言ってるのさ」彼は顔をしかめたあとに、「ハジメテに決まってるじゃないか。こんなにも可愛い子、一度会ったら忘れてないよ」


 嘘か本当か分からないようなお世辞(7:3の7で嘘だと思う)でクラノスは答える。

 お世辞の方は胡散臭くても、クラノスの言う〝ハジメテ〟の方はきっと正しいだろう。

 あたしとクラノスは、この前が初対面だ。


「そうよね。じゃあもしことがあったら、なにか〝お仕置き〟をしようかしら」


 あたしは精一杯の皮肉で返してやった。

 また嫌味のひとつでも返されると思ったけれど、クラノスはどこか寂しそうな表情を浮かべて。

 そのあと前髪を触って表情を隠すようにしてから答えた。


「――お姫様の、仰せのままに」


 その仕草が。表情が。

 以前のクラノスと少し違うような気がしたから。


 あたしはほんの気まぐれで。


 さっきの質問とは、少し言い方を変えて聞いてみた。


「ねえ、クラノス。あの記憶の世界の中で――なにか、?」


 するとクラノスは。

 今度は一瞬驚いたように眉毛を跳ねさせて。

 長いまつ毛をぱしぱしと二三度重ね合わせてから。


「ううん」


 ふるふると微かに頭を振って。

 どこまでも青い、不気味な月の光に照らされながら、


「――べつに、なにも」




 いつもみたいに、笑った。



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