1-24 紅い実を齧ろう!(ミカルドの記憶④)


「皇子様だから当然なのかもしれないけど……それにしたって豪勢な部屋ね」


 豪華な天井。豪華な家具。豪華な調度品。

 どれひとつ取ってみても、それが名だたる職人の手によって時間をかけて作られたものであることが分かる。


 そしてミカルドがいなくった今では、その空間がとてつもなく広いように感じられた。


「なんだか今エヴァでミカルドに貸し出している部屋が申し訳なく思えてくるくらいだわ」


 そこで〝くう〟とあたしのお腹がなった。

 周囲をきょろきょろと見渡す。だれも聞いていなくてよかった。

 もし3バカに聞かれていたら三日三晩に渡っていじられていたに違いない。


「それじゃ、お言葉に甘えようかしら」


 ――もし小腹が空いたら好きにがいい。


 あたしは山のように積み上げられたエデンの実の中から、ひとつを手に取った。

 見慣れた掌大の果実だ。いつも塔で食べているものより赤みが強い気がする。


「あれ? そういえば、」


 そこでふと気づいた。


「ミカルドってエデンの実……嫌いじゃなかったっけ?」


 ――エデンの実は苦手なのだ。


 いつしかミカルドがそう言っていたことを思い出す。


「なのに、どうして自分の部屋にこんなにたくさんあるのかしら」


 違和感を覚えつつも、あたしはその実を一口齧った。


「ん!!! ――あらやだ。美味しいじゃない」


 流石は帝国の皇子がたしなむ用、口の中に広がる甘味が段違いだわ。


のも爽やかな酸味があって美味しいのだけど、それとはまた違った味わいね」


 しゃりしゃりと食べ進んで、残った芯の部分を近くにあった屑入に捨てる。

 中を見ると他にもエデンの実の残りが入っていた。


「……やっぱりミカルドも食べてるじゃない」


 頭の中に疑問符は浮かんだけど――ま、些末さまつなことかしら。


「そういえばミカルドのやつ、この部屋から出ていく時に〝いつもと違った表情〟をしてたのよね」


 もともと表情の変化の少ないしかめっつら銀髪ロンゲ自己中……失礼、なのだけど。

 あのときは口元を少しほころばせて、頬をほんのり期待めいた紅に染めて。

 まるでこれから〝特別な人〟にでも会いに行くかのような、珍しい表情を浮かべていたのだ。


「ミカルドってば、ああいう表情ができたのね」


 ――はっ!? これってもしかして、嫉妬……?


 さっきミカルドに〝壁をどおん〟ってされてから、あたしの中の情緒が乱れているような気がする。

 このあたしがあのミカルドに嫉妬なんて――そんなわけないじゃない。


「そんなことより、もう一個もらっちゃおっと」


 誤魔化すようにエデンの実が積まれた山へと手を伸ばす。

 お土産に何個か持って帰りたいくらいね、などと思案していたら外が騒がしくなった。


「何の音かしら」


 窓に近寄って外を見る。

 そこからは、あたしたちが連れられてきた中庭が一望できた。

 噴水が吹き上がる中央の池の手前に、緑々しく葉を茂らせる一本の樹がある。

 よく見ると、そこには今手にしている〝エデンの実〟がなっていた。


「へえ。あれ、エデンの樹だったんだ。実がなってる状態だと初めて見たかも」


 ぼうっと中庭を眺めていると、


「……あ、ミカルド」


 城門を出たミカルドが、どこか速足でその中央部へ向かっていくのが見えた。

 その横顔は――


「やっぱり。さっきと同じ表情ね」


 ふだん、あたしたちとエヴァにいる時には浮かべない――エデンの実のように甘酸っぱい期待を孕んだ表情。

 それでいて無邪気で子供っぽい――少年のような微笑み。あたしの胸が、不覚にもきゅうと締め付けられる横顔だ。


「……ふうん」


 そして紅い果実が実る樹の横に――1台の馬車が止まった。


「馬車――あの乗り主に逢いに行ったってわけね」


 葦毛の馬が先導する、シンプルながらも高貴さが漂う美しい客車キャビン

 その中から〝ひとりの少女〟が降りてくる。


「どんなツラしてるか拝んでやろうじゃない」


 べつに。嫉妬ってわけじゃないけど。

 いつもな表情のミカルドが、あんなになるのは珍しいし。

 そう、これは興味本位よ。ミカルドを駆け足にさせる女の人がどんな存在なのか、気になっただけ。


「どれどれ」


 窓から乗り出すようにして、あたしは馬車の乗降口を注視した。

 そこから降りてきたのは――


「――え?」


 ぽとり。

 あたしは思わず後ずさって、手にしていたエデンの実を床に落とした。


「どういう、こと……?」


 時を同じくして、つむじ風が中庭を吹き抜ける。


 あたしの掌から零れる赤い果実とシンクロするように。

 庭のエデンの樹からも、その果実がひとつ、まっすぐに――地面へと落ちていくのが見えた。

 

「どうして? どうして――がいるの?」


 見開いた目に力を入れて。

 瞼をこすって、もう一度。

 何回見たって事実は変わらない。


 ――馬車から降りてきた少女は、あたしと同じ顔をしていた。


「おかしいわよ! だってこれはミカルドの記憶よね? ミカルドはあたしと会うの初めてだって言ってたのに。なのにどうして……ミカルドの過去の中に、あたしがいるの?」


 床に転がった赤い実は、まだくるくると回って止まる気配を見せないでいる。


 あたしの頭は混乱を極めた。

 なにがどうなっているのか、にはひとつの想像もつかない。


「ミカルド――」


 思わず叫びそうになったところで。


 ぐらり、世界が揺れた。


「きゃっ!」


 バランスを崩してあたしは床に転倒した。

 その床が、世界が。ぐにゃぐにゃと歪み始めている。

 ミカルドが目覚めようとしているのかもしれない。


「ちょっと待って! お願い!」


 あたしは揺れる世界にしがみつきながら必死に叫んだ。


「もう少しだけこの世界にいさせて! もうちょっとでなにか、重要なことが分かるかもしれないの――」


 そんなあたしの声も、次第に大きくなる波のような振動の中に吸い込まれて消える。

 部屋に積まれていたエデンの実が崩れた。


 そのうちのひとつが――あたしの頭を勢いよく打った。


「痛っ!」


 渦を巻くように歪み始めた光景はもう止まらない。

 抵抗むなしく、あたしの身体もその渦中へと巻き込まれて――




「きゃああああああああああああ!」




 世界は、消えた。



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