1 - 終章 「この世界にはあらゆる形の愛があるが、同じ愛は二つとない。」…だそうです

第24話

「——で、結局その毒デレちゃんと付き合うことになったわけ?」


 あの一件から二日後の水曜日の晩、テーブルを挟んでケラケラと笑う吉川さんに多少いらつきを覚えつつ、僕はペットボトルのお茶を一気に飲み込んでいた。


「付き合ってませんよ!」


「えー? なんでー? その状況なら付き合う一択しかなさそうだけど?」


「うまいことかわしたんで……」


「へぇー? どうやって?」




『——お友達からならっ!』




 まさかあの一言で榎本さんが納得するとは思っていなかったんだけど……。


「世の中には便利な言葉があるんです。結果的に付き合うことになっても逆に付き合わなくてもいい未来志向な言葉です。ほら、政治家の『善処します』的な便利な言葉ですよ」


「なにそれ便利ー! お姉さんにも教えてっ!」


「もう少し大人になったら教えてあげますよ。——それよりどうですか? そろそろ吉川さんのところに怪文書の一通でも届くころだと思うんですけど?」


 榎本さんのことだ。僕の身辺調査も独自に進めていて、きっと吉川さんのところにもなにか仕掛けてくるのだろう。


「うーん……うちには特になにもないかな?」


「気をつけてくださいね? あの毒デレ、本気出したらなにするかわからないし……」


「あらら、お姉さんの心配してくれてるの? サッくん大好きー!」


「コラ暑苦しい! ひっつくなって!」




 ——実のところ、あれから僕の周辺で変わったことはない。


 あの一件から相変わらず哲太たちとは口も聞いてないし、LIMEもやりとりしていない。


 僕の悪い噂は流れたままで、周囲の視線は痛いものの、僕はなんとか学校生活を送れている——




「だから逆に不気味なんですよねー。静かすぎるっていうか……」


「平和なことはいいことだと思んだけど?」


「恐怖に支配された平和って、平和って言うんですかね? ——というか、あれだけ好きだ付き合えって言ってきたくせに当の本人が僕を無視しまくってるんですよっ? どういうことっ?」


「そんなの簡単じゃーん。押すだけ押したら?」


「後は引く……うわー! そういうことかー!」


 榎本さんにまたまんまとしてやられたって感じだ。


 なにもアクションを起こしてこないのは僕の関心を引くためだ。

 僕はまんまと彼女の術中にはまり、まだかまだかと彼女がアクションを起こすのを待ち構えていた。


「この程度の恋愛テクに引っかかるなんて、学園最強の恋愛マスターもまだまだってところね?」


「そもそも自分で言いだしたわけじゃないですからね?」


「でも、プライドを傷つけられたことには怒りを覚えた」


「それは、恋愛マスターの沽券に関わるっていうより、僕自信のプライドの方です。まんまとやつに踊らされていたわけですから……」


 これには本当にムカついた。

 きっと滑稽に動き回る僕を見てほくそ笑んでいたんだろう。


「ところで、このあいだの前提条件の答えは見つかった?」


「はい。榎本さんは一条くんを好きではなかった……」


「それじゃあ五十点ね」


「じゃあ、一条くんを好きじゃなくて、最初から僕のことが好きだった」


「うーん…それだと七十点くらいかなー?」


「全然正解が見えませんよ。それってほぼ同じじゃないんですか?」


「全然違うよー! 前提条件が多少でも違うだけで、結論は大きく変わっちゃうケースが多いの!」


「あ、そうなんですね? で、百点満点の正解は?」


「まったく欲しがりサッくんなんだからっ! お姉さんのこと、欲しい〜?」


 うーん……めちゃくちゃこの人の脳天にチョップ入れたくなってきた……。


「いい? 榎本さんの告白はどこでしたの?」


「は? え、えーっと、学校の屋上ですけど……」


「どうして恋愛相談室があるのにわざわざサッくんを学校の屋上に呼び出したの?」


「それは……なんででしょう?」


「はぁー……これだから童貞は……お姉さん心配だよー……」


 そこまで心配されるほどの童貞なのか、僕は……。


「いい? 放課後の夕日に染まる屋上なんて告白にもってこいの最高のシチュエーションじゃない!」


「は、はあ……。まあ、たしかにそうですね?」


「そんなところでやることなんて一つっきゃない! 告白よ告白!」


「まあ、たしかに一条くんの告白は聞きましたが……」


「ストーップ! そのときのサッくんの態度はどうだった?」


「はぁ? まあいつもと変わりませんが……」


「そう! そこよっ!」


「はい? えぇっ?」


 なるほど。

 さっぱりわからねぇ……。


「そもそもサッくんは、どうせまた告白の依頼だと思っていた」


「まあ、結果的にそういうことでしょう?」


「前提条件がそもそも違うって言ってるの!」


「あーもう訳わかんねぇ! はっきりと言ってくださいよ!」




「だーかーらー! 榎本さんは最初からサッくんに告白するつもりで放課後の屋上に呼び出したって言ってるの!」




「なっ……」




 その瞬間、僕の脳裏にあの日の告白の瞬間が鮮明に思い起こされる——


 耳まで赤くなった榎本さんの表情。

 これから口にする言葉を思い浮かべてひどく緊張している様子。


 きっと彼女に関わった男子の十人のうち九人は彼女のことを好きにならずにはいられないくらい可愛くて魅力的な女の子。


 そんな彼女からまさか放課後に呼び出されるとは夢にも思っていなかったと思いつつ、実は心のどこかでこんな日が来るんじゃないかと思っていた。


 この想定は決して自惚れなんかじゃなくて、僕の経験則として……。


 そう、僕は屋上に呼び出されたときから、つまり最初から榎本さんのことを——


 ——そっか……。


 僕は前提条件をすっかり間違えていたんだ。




「僕は最初から諦めていたんだ……」




「そう。それこそが間違いだったんだよ。たらればを並べたところで仕方がないかもしれないけど、榎本さんは最初からサッくんが自分のことを諦めていたことに気づいていたわけさ……」


 今度は榎本さんの言葉が思い浮かんだ。




『……女子ってさ、自分のこと好きな男子ってだいたいわかるもん』




 それって逆に言えば、自分に興味がないってこともわかるってことなのかな?


 そうだとするなら、きっと榎本さんはあの時点で僕がすでに彼女に対して好意がないことに気づいていたことになる。


「もし僕が最初から榎本さんの好意に気づいていたら、諦めずに彼女と向き合っていたら……」


「きっと違った未来があったのかも……。もちろん毒デレちゃんの人間的な性質は変わらないけど、一度目の恋の段階で毒デレちゃんと付き合えていたかもしれないし、サッくんの悪い噂も流れていなかった。今でも哲太くんとか杏里ちゃんとか、そういう友達に囲まれていたかもね? サッくんのことだから、きっと高橋さんと一条くんの関係もうまく取り持っていたと思うし」


 それ、完全にハッピーエンドだよね……。


「でも、サッくんは最初から諦めた態度で放課後の屋上に向かってしまった。サッくんに告白しようとしていた毒デレちゃんとしては、もう自分に好意がないとわかりがっかり……。それで、もう一つのプランだった一条くんの告白作戦を決行した。なぜなら——」


「学園最強の恋愛マスター友田くんは二度同じ人を好きにならない、から……」


「そう。彼女は本気でサッくんを手に入れようとして、ありとあらゆる手を打った。君の周りから親しい友人を減らしていき、さらにはサッくんの恋愛対象になるかもしれない人たちを操作しつつ、罪悪感を植え付け、サッくんを完全に孤立させることにまんまと成功したってわけ」


「なんて回りくどい……」


「二度同じ人を好きにならないのなら、二度同じ人を好きになる状況に追い込めばいいからね」




『——友田くんにはわたしがいるもん……』




 ぞくりと背筋に悪寒が走った。


 なんてことだ。

 僕が犯した過ち。

 最初の分岐点で最短で楽勝なハッピーエンドを迎えるための一番重要なフラグを自ら折ってしまったこと。


 そして榎本小晴を完全に本気モードにしちゃったこと。


 なんだよこれ? クソゲーも甚だしいじゃないか……。


「あは、あははは……」


 僕はフローリングの床に四肢を投げ出して天井を仰いだ。


「どうしたのサッくんっ? ついに壊れちゃった?」


「なんというか、なんというかですよね〜……」


「全然わかんないんだけど、気を確かにね?」


「僕はいつも正気ですよ。こういうのなんていうんですかね? ディープラブ? ハードラブ? いや、サイコラブが一番しっくりくるかもしれません。とりあえず今のところ死人が出てないのが不思議なくらいですよ……」


 高校二年の男子にはちょっと愛が重すぎるなぁ……。


「だから最初に言ったじゃない。君も厄介な女の子を好きになっちゃったもんだねー、って」


「最初からわかってたなら教えてくださいよ……」


「にゃはははー! わたしだって最初から確証があったわけじゃないもーん!」


「あ、そう……」


「あー! でもでもー、お姉さんエンドっていうのもアリかもよー?」


「それ完全にバッドエンドじゃないですか……」


「ひっどぉー! わたしはこんなにサッくんを愛しているのにー!」


「はいはい……」


「返事はいっかーい!」


 その後も吉川さんはなにかギャーギャーと言っていたが僕は完全に疲れてしまってほとんどなにも耳に入ってこなかった。

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