第21話

 こういうのを余韻というのだろうか?


 僕の視界はぼーっとして焦点が定まらない。


 僕の目には、開けられたままの教室の扉といつの間にか差し込んできた夕日しか映っていない。


「あの……大丈夫?」


「あ、うん……。割と平気、かな?」


 心配そうな榎本さんに対し、僕は笑顔を作ってみせる。

 だが、僕の作り笑いを見て、榎本さんは余計に心配そうな顔をした。


「無理しちゃダメだよ! さっきので一番傷ついてるの、友田くんだもん!」


「あははは……傷ついてるのはみんな一緒だよ……」


 僕はどっと疲れ、近くにあった椅子に座った。

 榎本さんも僕の横にあった椅子に静かに腰掛けた。


「結果的に、河合先輩と春原の心には罪悪感しか残ってないし、これから会うのはなんとなく気まずいよ。高橋さんはもちろんだけど、高橋さんに振られた一条くんにも合わせる顔がない……」


 それから僕は、大事な親友のことを思い浮かべた。


「哲太は——いや、僕は哲太を疑っちゃった……。きっともう許してくれないだろうな……。だったら安藤さんに頼まれた依頼は断らなきゃ……」


 そっか。

 改めて脳裏に思い浮かんだ彼らの顔を見て僕は全てを悟った。


 ——僕はたぶん、全てを失ったんだ。


 親友も、友人も、先輩も、そして周囲からの信頼も……。


 学園最強の恋愛マスターと謳われ、何組ものカップルを誕生させるたび、僕は何度も自分に問いかけてきた。


 ——なんでこんなことしてるんだろう、と……。


 信頼されているから?

 信頼?

 信頼ってなんだろう?


 その信頼すらこうも簡単になくなってしまった。

 まるで砂の城が波で崩れるかのように、あとには、ぼろぼろになった僕しか残らない。


 信頼なんて全部なくなれば身軽になるだろうと思っていたけど、全部なくなったらなくなったでちょっとだけ寂しい自分がいる。


 それなのに、まだ自分が学園最強の恋愛マスターだった自負が残っている。

 あれだけ嫌だった称号が、いつの間にか僕という人間の一部として、周りからの信頼という形で、やっぱり手放しがたいものだったのかとも思う。


 ——結局僕は、ただただ欲張りなのだ。


 けれど、まあ、これで……ようやく僕は背負うものが全てなくなった。


「今、どんな気分?」


「重荷がなくなってようやく楽になった……。でも、僕はたぶん、それ以上に悲しい気分なんだと思う……」


 ああ、でも涙が出ないのはなんでだろうな……。

 失ったものがあまりにも大きすぎたのか?

 そう思うと、なんだか……——


「あの、友田くん? 悲しいのに、どうして笑ってるの?」


「さあ……。でも昔からよく言うよね? 人ってさ、本当に悲しい時、絶望したときは笑うしかないって」


 榎本さんは心配そうに僕を覗き込む。


「友田くんは何に絶望しているの?」


「全部、失ったこと——」


 ——その瞬間、いきなりなにか温かくていい匂いのするものが僕を優しく包んだ。


 少しして、僕は榎本さんに抱きしめられていると自覚する。


「えっと……榎本さん? どうしたの、急に……?」


 僕は慌てた。けれど抵抗するつもりはない。


「ごめん、友田くん……」


「どうして榎本さんが謝るのさ?」


「わたしが巻き込んだから……」


「そんな。これは僕が招いた結果だから……」


「ううん、わたしのせい!」


 僕を包む榎本さんの腕にさらに力が入った。


「でも、大丈夫。友田くんなら、きっと大丈夫だから……」


「そうかな? もう後の祭りのような気もするけど……」


「まだ終わってないよ。だって——」


 榎本さんの声は、慈しむように、優しく僕の耳に響いた。




「——友田くんにはわたしがいるよ……」




 榎本さんは腕を解き、徐々に僕から距離をとる。

 横を向くと、彼女の顔がすぐそばにあった。


 そして、目を閉じ、そっと唇を差し出してくる。


 彼女の顔は真っ赤だ。

 きっと僕が次にどうするかを期待して待っているんだろう。


 僕はそっと榎本さんの肩にそっと手を置く。

 そしてゆっくりと——彼女と距離をとった。


「——え……?」


 悲しみに揺れる瞳、そして切ない表情。ほとんど泣きそうだ。


「どうして……?」


「どうしてって……こっちが聞きたいんだけど?」


 僕はそっと立ち上がった。

 そして榎本さんから二歩、三歩と距離をとる。


「どうしてそんなをしてるの?」


「え、演技って……」


「はぁ〜……。——それにしても、まったく……。僕のこれからの学園生活をどうしてくれるのさ? まだ二年近く残ってるっていうのになぁ……」


 僕はすっかり呆れたように笑ってみせる。


「友田くん、なにを言って——」


「だからもういいって。それともまだ悲劇のヒロインを演じていたい?」


「だから、私はなにも演じてなんて……」


「はいはい、わかったわかった。もう降参するって。——これ、全部失った時点で完全に僕の負けだから、最後くらい本性をあらわしてよ?」


「本性……?」


「これが目的なら君の勝ちってこと。僕の負け、完敗だ」


 僕はやれやれと両手を挙げ、「でもね」と続ける。


「最後につめの甘さが出たのか、それとも、これでも気づかない馬鹿な僕を嘲笑うために仕掛けたのかわからないけどさ……このタイミングで、ハグからのキスはないでしょ? そんな都合のいいようにはいかないでしょ、さすがに」


 僕は「ドラマじゃあるまいし」と笑う。


 すると、榎本さんの表情がぐにゃりと歪み、僕を嘲るような、それでいて勝ち誇ったような表情をした。




「——あーあ、もうちょっとだったのにー……。なんで気づいちゃうかなぁ〜……」




 これが彼女の正体か……。


「——やっぱ君、期待通りだよ、友田作太郎くん?」


 そのぞっとするような笑顔に僕は思わず身震いをした。


「へぇ……。期待外れじゃなかったんだ?」


「うん! むしろ期待以上かな? 最高に楽しめたよ!」


 興奮気味に笑う榎本さんは、本当に無邪気で、善悪なんてものを感じさせない。ただただ小さな子がおもちゃで遊んで楽しんだだけのように、ニコニコと笑顔を浮かべている。

 それが、逆に不自然で不気味だった。


「それにしても、ご都合主義にのっとって楽しく落ちちゃえばいいのに〜……」


 と、今度はぷくっと頬を膨らませる。

 まったく、本当に子供みたいだな。

 いつもの正統派ヒロインの顔はどこにいった?


 僕はやれやれと思ったが、まあ、これで、ようやく真犯人を引きずりだすことができた。


 僕はふぅーとため息を吐き、榎本さんに負けじと笑顔を作る。


「世の中そんなに都合よくいかないってこと、嫌ってほど経験してますから——」


 僕は、もう一度、失われた威光を傘に着ることにする。

 たとえそれが張子の虎でも、僕にとっては、唯一これまで積み重ねてきた研鑽の証なのだから。


「——なにせ、こちとら学園最強の恋愛マスターですから」

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