第9話

 その日の昼休み、僕は第二PC室の扉を開けた。


「たのもー」


 部屋の奥の方で小さな影がビクリと動いた。


「来たな、人でなし……」


 冷たくそう言い放ったのは春原。

 まだ昼食の途中だったらしい。


 僕は「人でなし」と言われたことに多少傷つきながらも春原のそばに寄っていく。


「今日もPCの前でボッチ飯?」


 いつものように軽口を叩きながら春原のそばに座る。


「ぼ、ボッチじゃない!」


「たしかにそうだね? 今は僕と二人きりだし」


「キショ……。早く出てってくれる?」


「ツレないこと言うなよ。教室に居場所がなくて避難してきたんだ」


「そんなの自業自得でしょ? 榎本さんにひどいことしたんだし……」


「やっぱ春原も知ってたかー。さすが情報科学部! 情報が早いねー」


「バカにしにきたの?」


「あー、いや、どちらかと言えば協力を求めにきたんだ」


「協力? 人でなしに協力するつもりはない」


「だから人でなしって……」


 僕がわざとらしく落ち込んだ振りをすると、春原は僕の臭い演技を見て「はぁー」とため息を吐いた。


「だって人でなしでしょ? 榎本さんをわざと失恋させて自分のものにしようなんて……」


 ——……はい?


「ストーーーップ! え? わざと失恋させる? 自分のものに? なんのこと?」


「しらばっくれてもダメ。君の魂胆なんて見え見えなんだから」


「魂胆って……。それで、いったいどんな噂が回ってるの?」


「自分の噂くらい自分で知っておいたら?」


「けっこうハードル高いよ、それ……」


 なんだかんだで春原に聞いた僕の噂はこうだ。


 端的に言えば——僕は榎本さんを手に入れようとした下劣なやつという噂らしい。


 告白の協力者として榎本さんに近づく。


 その後、一条くんと高橋さんをくっつけてから、心傷の榎本さんを慰めて取り入るつもりだった、という筋書きとのことだった。


「僕ってけっこうやり手のだったんだね?」


「確信犯……」


「いやいや、さすがにそこまでは考えが及ばなかったな……」


 ポリポリと鼻の頭を掻いた。


「そもそも、そこまで頭の回るやつだったら、僕はとっくに彼女の一人でも作れてるっつーの」


「うっ……たしかに……」


「いや、そこで納得されると僕も複雑な気分なんだけど……」


「やっぱり、ただの噂?」


「ただの噂だよ。それも、僕への悪意を含んだね……」


 春原はなにかを考えたあと、ゆっくりと口を開いた。


「裏で『アオハルデストロイヤーズ』が動いているのかも……」


「そう言えば前にもそんなこと言ってたよね? なんだよ、その『アオハルデストロイヤーズ』って? ——教えてください春原様! おねげーしますだ!」


 そう言いながら、僕は床に額を擦り付けた。


 ついでにスカートの中を覗こうとして踵で踏みつけられたのだけれど……。


「これを見て——」


 春原はブラウザを起動させ、検索エンジンで僕らの通う学園の名前と一緒に『アオハルデストロイヤーズ』と打ち込んだ。


「これって、学校裏サイト?」


「ただの裏サイトじゃない」


 ページタイトルはシンプルに『アオハルデストロイヤーズ』とだけ書かれていて、なんの変哲も無いただ真っ黒な背景に薄っすらと髑髏が浮かび上がっている。


 そして赤い文字でいくつか説明の文字が書いてあった。


「えっと、カップルを別れさせる……告白の未然阻止……。うーわっ、悪趣味だね……」


 説明書きはそれだけだった。そしてその下にテキストを打ち込むボックスが二つ、対象Aと対象B。学年は高一〜三と選択できるようになっている仕様だ。


「この対象AとBってところに名前を打ち込むみたいだね。試しに僕らの名前を書き込んでみようか?」


「すごく迷惑」


「あそう? で、誰かがここに一条くんと榎本さんの名前を書き込んだってこと?」


「その可能性はある」


「でも、いったい誰がこのサイトを運営しているんだろう?」


「わからない……」


 春原からマウスを借りて操作してみたけど、最下部までスクロールしても他にページやリンクはない。管理者が誰なのかも不明だ。


 誰が、いったい何の目的でこんな悪趣味なサイトを作ったのか……。


 ——いや、わかりきっているか。


 アオハルしてる誰かさんを妬んだ誰かが面白半分で作ったサイトなのだろう。


「ところで春原はどうしてこのサイトを知っているの?」


「卒業した先輩から聞いた。それと、これ——」


 春原はブラウザの上部にあるURLの一番後ろに「member/」と打ち込んでエンターキーを押した。


 すると画面が切り替わり、ユーザー名とパスワードを打ち込むだけのシンプルな画面に切り替わった。


「これも先輩から聞いた。パスワードはわからない」


「なるほど……。じゃあ、会員だけがここからアクセスして、誰がターゲットかを知るってわけか……。会員は何人いるんだろう?」


「それもわからない。先輩の話だと、数十人から数百人はいるみたい」


「数百人って……」


 僕はぞっとした。そんなに沢山の人が他人の青春を妬んだり羨んでいたり破滅する工作をしているなんて……。


 ただ、数百人は大げさだけど、こういうのは集団心理をついている気がする。


 面白半分でこのサイトの会員になっている人もいるかもしれない。


 そして彼らのうちの誰かがグループLIMEで一条くんの情報を流したり、僕の良くない噂を流したんだろう。


「でも、納得はいかないな。一条くんと榎本さんの件はわかるけど、どうして僕が吊るし上げられたんだろう?」


「それは——学園最強の恋愛マスターだから」


「おいおい、僕はまだ誰とも付き合ったことなんてないぞ?」


「ううん、そうじゃない。周囲の評判——君、告白を成功させる有名人」


「それは、まあ知ってる……」


 ものすごーく不本意だけどね……。


「で、目を付けられたってわけ? 『アオハルデストロイヤーズ』からすれば僕は対極的に敵って存在になるのかな?」


「たぶんそう……。今回の件で、榎本さんの告白は失敗だった。仲介役の君が失敗したことで、敵である君への非難が殺到するように仕向けたんだと思う」


「ひどいな……。僕はただ一生懸命なだけなのに——」


 ありもしない噂……ってわけないか。


 僕は実際榎本さんが好きだった。そのことを知っている誰かが、僕が心傷の榎本さんを狙っていると噂を立てたのだろう。


「……ってことは——ん?」


「どうしたの?」


「僕が、榎本さんのことを好きだったことを知っている、誰かってことか……?」


 だとすれば、今回の噂を流した対象は絞られてくる。僕が榎本さんを好きだと言ったことのある人間は二人……。


 ——渡辺哲太と春原杏里。


「春原、まさかとは思うけど——君、今回の黒幕じゃないよね? 実際この裏サイトのことを知ってるみたいだったし」


「そんなわけない。べつに、どこかの他人が、誰が好きで、誰と付き合おうと関係ないし」


「だよね……」


 ——じゃあ、哲太?

 いや、哲太は僕に今回の件でヒントをくれた。


 グループLIMEに上がった件や、僕の悪い噂が広まるのが早いことに気づいてわざわざ教えてくれたんだ。


 だから、哲太ではないと思う。——そう思いたい。


「周囲を疑っても仕方ない」


「え? どういうこと?」


「仮に榎本さんじゃなくても、依頼した人が女の子だったら誰も良かったんだと思う」


「つまり、今回はたまたま榎本さんだったってだけ——もし春原が依頼主だったら、僕が春原を好きでわざと告白を失敗させたって噂が流れたってこと?」


「その想像は正直キショいけど、たぶんそう。あとキショい……」


「キショいって二回も言うなよ……。ただの例えだって」


「これからどうするの? 噂をバラまいた人を捕まえるの?」


「うーん……。僕としては目立つようなことはしたくないんだけど——僕の沽券にも関わるからねー……」


 ただ、犯人を見つけたとしても一人とは限らない。


 不特定多数の悪意が働いているのだとすれば、僕みたいな弱小キャラじゃ太刀打ちできないだろうな。


 なんにせよ、誤解は解かないといけない相手はいる——半分は誤解じゃないんだけどね。


 それに、知りたいこともあるし——やっぱり彼女に会いに行くべきか……。


「とりあえず、僕は僕でなんとかしてみるよ。ありがとう春原」


 そう言ってニコッと笑って立ち上がると、春原は「あっ……」と何かを言いたげにして僕のブレザーの裾を掴んだ。


「どうしたの?」


「ううん——なんでもない……」


「もしかして心配してくれてるの?」


「ち、違うっ……」


「違うのかー。残念。でも、もし心配だって言ってくれたら春原のことを好きになるかも」


「バ、バカーーー!」


 そう言うと春原は僕の脛を思いっきり蹴った。


 小柄なのに案外脚力は強いみたいで、僕はジンジンと響く脛の痛みに堪えながら第二PC室を後にした。

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