第6話

 いろいろ悩んだあとの翌日、四月二十二日。


 僕は昼休みに榎本さんを人気ひとけのない理科準備室に呼び出した。

 僕としては今一番会いたくない人ではあるのだけれど仕方がない。


 LIMEで済ます用件ではないような気がして、僕は直接榎本さんに伝えることにした。


「告白の件だけど、明日の放課後でセッティングしようと思ってね」


「え? あ、明日?」


 急なことだったようで驚いているらしい。ただ、もうすでに一条くんには声をかけているので、これ以上先延ばしにはできないことを伝えた。


「なにか都合悪い?」


「ううん! そんなことない! 頑張ってみる!」


 自分を奮い立たせるように、榎本さんはガッツポーズをとる。その仕草がいちいち可愛くて、僕は少しはにかんだ。


「やっぱり緊張する?」


「そりゃそうだよー。あー緊張するなー……」


「それじゃあ、肝心のだけど……」


「えっ? 今さらだけどお金取るのっ!」


 榎本さんはクリクリの目をさらに大きく見開いた。

 僕も言い方が悪かったと慌てて訂正する。


「あ、いや、依頼料というかさ、どうして一条くんを好きになったのか教えてくれないかな? あ、これ、僕の中のルールみたいなもんなんだ。どうしたら人に好きになってもらえるのかなって、後学のために……」


 なんせ人から好かれたことなんて一度もないしねー……。


「そうなんだ? あ、えっと——ちょっと話すの、恥ずかしいなー……」


 そう言いながらも榎本さんはまんざらでもなさそうだ。

 耳まで真っ赤になっている榎本さんだったが、コホンと一つ咳払いをするとゆっくりと話しはじめる。


「きっかけは、ほんと単純だったと思う。

一年のとき席順が前後だったの。

ほら、わたしエノモトで、イチジョウくんでしょ?

クラスで席替えをするまで、わたしの前にずっとあの大きな背中があったの。

——あ、でも、そのときは背中が大っきいなーって感じで、なんとも思わなかったかな……。

あんまりしゃべる機会もなかったけど、一年の終わりくらい?

ちょっと嫌なことがあってねー……」


「嫌なこと?」

 なにかを思い出して、榎本さんは表情を曇らせた。


「うん……。

一年の終わりに一つ上の先輩に俺と付き合ってくれってしつこく迫られてたんだ……。

ずっと断ってたんだけど、ほんとにしつこくって……。

そうしたらある日、無理やり軽音楽部の部室に連れ込まれて。

——危なかったんだけど、そこに一条くんが現れてさ、ほんとヒーローみたいにわたしを助けてくれて!

ほんとカッコよくって……」


 ポッと顔を赤らめる榎本さんは、完全に恋する乙女の表情をしていた。


 なるほど、そういう経緯があったのか……。軽音楽部——なるほど、じゃああの先輩くらいしか思い当たらないな……。


 その先輩はというと、すでに学園を去っていた。成績不振が原因などと噂される一方で、女子に無理やり関係を迫っていた件が露呈して退学になったと聞く。——もしかしなくても、その女子というのが榎本さんなのだろう。


 それにしても——


「——ヒーローか……」


 僕は思わずポツリとつぶやいてしまった。


「どうしたの?」


「え? あ、ううん! なんでもない。いやー、一条くん、ほんとヒーローみたいだよね? ……それより、そのあとすぐに告白しなかったんだね?」


「あ、うん……。わたしもあのときは驚いたのと怖かったのとでただただ泣くばっかりで……。それからなんのアクションも起こせなくって、そのままクラスが変わって進級しちゃったって感じ……」


「そっか。で、今になって告白する勇気が出てきたんだね?」


「うん……」


 榎本さんはまた顔を赤らめた。


「それで、友田くんにお願いがあるんだけど……」


「お願い? なに?」


「場所、この間と同じように屋上だよね? その、良かったら……」


 榎本さんはもじもじと上目遣いで僕を見た。

 僕は空気を読むのが得意——というか、経験則から言えば彼女の言いたいことがなんとなく察しがつく。


「ああ、なるほど。途中まで一緒についていけばいいんだね?」


「うん! お願いできる? あ、でも、扉の前まででいいからね!」


「わかった。じゃあ、階段で待ち合わせて一緒に行こうか」


「うん! なにからなにまでありがとう! ほんと友田くんっていい人だよね!」


「あ、いや……。親友には『人がいい』って言われちゃうんだけど……」


「そんなことないよ? 友田くん、本当にいい人だし、狙っている女の子がいるかもよ〜?」


「そ、そうかな? だったら嬉しいな……」


 榎本さんのとびきりの笑顔を向けられて、僕は心臓を鷲掴みにされたような気分になった。


 それから、榎本さんと別れた僕は、自分の教室とは反対のほうに向かった。




 僕にはもう一人会わないといけない人がいる……。




 このあとのことを想像すると、足が震える。吐きそうだ。


 まったく——僕はいったいなにをしているんだろう?


 自分のために一歩も踏み出すことができないくせに、他人のためにこうして一歩踏み出している自分は、もうどこか壊れているのかもしれない。




  * * *




 その日の帰り道、たまたま通りがかったコンビニの前で哲太に会った。


「よぉ、作太郎! ——ん? お前、なんかあったか?」


「え? なんかって、なにが?」


「……顔色悪いぞ、お前。——ほれ」


 哲太がコンビニの袋から投げて寄越したのはエナジードリンクだった。


「帰ったら徹夜でゲームするつもりだったんだけど、やるよ」


「あ、ありがとう……。ごめん哲太。気を使わせて……」


「いいって。親友だろ、俺たち?」


 哲太から渡されたエナジードリンクを見つめていると、榎本さんの笑った顔が思い浮かんだ。


「——で、どうした親友? 悩みがあんなら聞くぞ?」


「まあ、悩みっていうか、不安というか……」


「不安? 例の榎本小晴の件か?」


「うん……」


「なあ、良かったらちょっとそこの公園に寄って行こうぜ?」


 僕は哲太と公園に向かった。

 そこにはベンチがいくつかあって、並んで座るのにちょうど良かった。


「——それで、依頼の件上手くいってないのか?」


「ううん、そっちは順調……」


「そっちってことは、べつのほうか? なんだよ?」


「それは……ちょっと、教えられない」


「……そっか。まあ、言いたくねぇなら聞かないけどさ……」


 哲太は少し笑顔になって、茜色に染まる空を見上げた。


「お前さ、ちょっと真面目すぎっから、たま〜にだけど心配になるときがあるんだよ」


「え……?」


「だいたいさ、お前、いつも自分じゃなくて他人にことで悩むよな?」


「それは、まあ……」


「そういう仲人キャラ的なお前には尊敬もすっけど、たまにはもうちょっと自分のことを考えろよ?」


「哲太……」


 哲太はそう言うとニカっと笑って見せた。


「な〜んてな。たまには良いこと言っておかねぇと、お前が俺のこと親友だって思ってくれないだろ?」


「いや、思ってるよ。ただ、恥ずかしくて言えないだけだから……」


「じゃあ親友。なんかあれば俺に頼れよ? ま、出来る限りの範囲でやれることはやってやるから」


「ありがとう、……」


「今のそれ、『親友』の使いどころ間違ってるぞ?」


「えぇっ!?」


 そのあと哲太は「じゃあな」と言って帰っていったが、正直気持ちが楽になった。


 なにがあっても哲太は僕の味方でいてくれる——そういう安心感があるから、僕はこんなことを続けられているのかもしれない。


 まあ、お互いに非リアなのだが、それでも哲太は素敵な子と出会って恋愛してもいいのではないかと思う。


 もし哲太からそういう相談を請けたら、そのときは、僕は学園最強の恋愛マスターとして、哲太のことを全力で応援しようと思った。





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