第4話

 グラウンドではいろんな部活の生徒たちが額に汗して活動していた。

 その一角、サッカー部の活動場所で僕は彼を見つけて声をかけた。


「一条くん!」


 ちょうど一条くんはグラウンドの隅でチームメイトとパス練習をしていた。


「友田くん?」


「ちょっと話があるんだけど——いいかな?」


「あ、ちょっと待って——悪りぃ! 知り合いが来たからちょっと抜けるわ!」


 チームメイトに一言断ってから、一条くんは爽やかな笑顔で僕の側にやってきた。


 額に汗をかき、練習着はすでにグラウンドの土で汚れている。きっと今日も一生懸命に練習に励んでいたんだろう。


 汗が宝石のように輝いて見えるなぁ。よし、この後眼科に行こう。


「ごめん、いきなり呼んだりして」


「榎本さんの件だろ? 大丈夫だって!」


 そう言ってニカっと笑う一条くんを見ていると、書き込み通りの人とは違う気もする。やっぱりデマだったんじゃないか? そう思いたくなる。


「あのさ、どうしても聞きたいことがあって」


「なんだ?」


「あ、いや、ちょっとここでは……」


「あ、そっか。そうだよな? ここじゃ話づらいよな」


 そう言って一条くんが案内してくれたのが、外クラブの部室が並んでいるプレハブ棟。


 屋外に設置されたこの場所は今の時間はだいたい誰もいない。


 二人きりだと確認して、僕は一条くんと例の件について話し合うことにした。


「で、話って?」


「あ、うん……」


「なんだよ? 焦らすなって」


「そうじゃないんだ。ただ……」


「ただ?」


「非常にデリケートで、聞きにくいことなんだけど……」


「うん?」


 なかなか言い出しにくい。君、中学のときはメチャクチャしてたんだって? なんて、こんな爽やかイケメンに聞ける訳もなく、僕は言葉を探した。


 その様子を見ていた一条くんはなにかを察したように声を潜めた。


「もしかして榎本さん、俺と付き合うの、やっぱやめるって?」


「あ、いや……」


 うっ、鋭い……。


 たしかにその通りなんだけど、聞きたいのはそうじゃなくて……。


「俺、なんかしたかなぁ……」


 過去にな、とも言えず、僕は相変わらず突っ立ったまま言葉を探し続けた。


「そっかー、やっぱりダメだったか……」


「そうじゃないよ! ただ、ちょっと一条くんの過去の恋愛遍歴が聞きたくてっ!」


「え? 俺の恋愛遍歴?」


「そ! 榎本さんがどうしても中学時代の一条くんのことを知りたいって言っててさ!」


 とっさに出たのはそんな言葉だった。いちおう嘘は吐いてないよね?


「過去って言われても、誰とも付き合ったことがないし……」


 それは、付き合わない代わりにヤレる女とヤリまくったってことですか?

 ……いかんいかん、どうしてもイメージが先行してしまうな。


「好きだった人とかいないの?」


「好きだった人? それはまぁ——いたにはいたけど……」


「え?」


「ダメ。フられちまった」


 一条くんは頭をガシガシと掻きながら苦笑いを浮かべる。


「え、そうなの?」


「ま、仕方ないっちゃ仕方ないけど……」


「なんで?」


「嫌われるようなこと、しちゃったからなー……」


 嫌われるようなこと? 仕方ない? どんなことがあったんだ?


「差し支えなければ教えてほしいんだけど……」


「ま、友田くんだから信用して言おうかな……実は——」


 一条くんはひとしきり言った後、僕と挨拶を交わし、またあの少年のような屈託のない笑顔を浮かべて去って行った。


 ただ、僕はその場で呆然と立ち尽くし、しばらく動けずにいた。




  * * *




 僕は悩みに悩んでいた。


 一条くんのことをどう榎本さんに伝えるべきか……?


 歩きながら考えたら答えは見つかるかもしれないと思ったけど、そんなにあっさりと答えが出るほど簡単じゃなさそうだ。


「あ、友田くん。どうだった?」


 榎本さんは校舎裏で壁に背を預けて待っていた。


 かれこれ三十分以上待たせていたから申し訳ない。


 彼女を先に帰しておいて、あとでLIMEを送れば良かったのかもしれない——いや、LIMEなんかじゃダメだ。この件はしっかりと顔を合わせて話すべきだと思う。


「榎本さん——ごめん、遅くなって」


「いいの。それより、一条くんは?」


 まだ頭の中が整理できていない。

 でも、こんな切ない表情を見せられたら言うしかないよな……。


「噂通りの人じゃなかった——ううん、逆に僕は心から一条くんを尊敬した——」




 ——それから僕は、一条くんから聞いた話を淡々と話した。


 一条くんの通っていた西ノ浦松中学校ではいじめが流行っていたらしい。

 中三のある日、自分の好きだった女の子がいじめっ子の標的になってしまった。


 それまでいじめがあったことに無関心だった一条くんだったけど、さすがに見過ごせないと思い、一人でいじめっ子たちと対峙した。


 はじめは注意のつもりだった。

 でも、それが暴力沙汰に発展してしまったそうだ。


 一条くんは大好きな女子の前でいじめっ子たちをボコボコにしてしまったらしい。

 そのせいで部活をクビになっただけでなく、好きだったその子にも怖いと思われてしまったんだとか……。


『ヒーローとか白馬の王子様とか——もとからそんなものになりたいわけじゃなかったんだけどな……』


 そう話してくれた一条くんの寂しそうな笑顔が胸にこたえた。




「——そっか、やっぱり……。良かった。あんな噂、ちょっとでも信じた自分がバカだったよ」


 榎本さんは安心した表情を見せた。

 けれど、僕は彼女に告げなければならない。


「榎本さん。明日の告白は中止にしようか?」


「え? なんで?」


「理由は——言えない。でも、もう少し待ってほしいんだ」


「どうして? なんで言えないの?」


「一条くんの気持ちの整理もあると思うから……」


 そう言うと、榎本さんは何かを察したように視線を落とした。


「わたし、最低だよね……」


「噂を信じたこと?」


「一条くんを信じられなかったこと……」


「ううん。そのことは榎本さんはなにも悪くないよ。誰だってあんな書き込みを見たら疑っちゃうし——」


「違うの。友田くんに言われたことを思い出して……。過去とは関係なく、今の一条くんを好きでいられるかって——わたし、ためらっちゃった……」


 僕は首を横に振った。


「僕の聞き方がずるかったんだ。迷わせるようなことを言ったりして——ごめん……」


「ううん! 友田くんは悪くないよっ! むしろわたしのほうがごめんなさい。間に立ってもらってるのに……」


 お互い頭を下げ合う。


 でも、謝ったところで解決しない問題もある。


 僕は一つ、彼女に嘘を吐いてしまった。


 実際、告白を待ってもらいたいというのは、一条くんの気持ちではなく僕の気持ちのほうが強かったから。


「とりあえず、告白は待ってほしい」


「わかった」


「そっか——それは、良かった」


「どうしたの?」


 心配そうな榎本さんの顔が近づいてくる。嫌になるほど可愛い。


 これで彼女が僕の嫌いなタイプの人だったら、僕はどれだけ救われただろう。


「ううん、大丈夫」


 そう言って僕は笑顔を作ると、榎本さんは胸のあたりでキュッと握り拳を握った。


「友田くんてさ、優しいよね?」


「え……?」


「なんで、彼女をつくらないの?」


「つくらないと言いますか、できないといいますか……あははは……」


 笑ってごまかしてみたが、正直笑えない。

 やっぱりこれは僕自身の抱えている問題のせいなのかもしれない。


 いつかは自分にも榎本さんのような素敵な彼女ができたらいいなと思う反面、自分から行動に起こせないのは、それなりの理由というものがある。


 その理由を親友の哲太にも告げられないのは——きっと僕は自分自身を恥じているからだろう。


 その後、榎本さんと別れた後、僕は黄昏時の空を見上げた。


 あーあ、なんでこんなことやってんだろうな、僕……。


 悲しいのか、悔しいのか、腹が立っているのか——自分でもよくわからない。


 ただ、モヤモヤとしたものが胸の内で混ざり合って、僕の胸の奥をギュッと握りしめていた。

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