第207話 02:火種

 みさきはりょーくんである。


 二人は一心同体だった。

 二人の間に言葉などいらない。


 いつでも互いが互いの一番だった。

 いつまでも変わらないと信じていた。


 みさきは10歳になった。

 龍誠と出会ってから5年が過ぎた。それは、みさきにとって人生の半分。


 最初の半分で、みさきはひとりだった。

 あとの半分で甘えることを覚えた。笑うことを覚えた。たくさんの嬉しいを龍誠からもらった。


 ゆいは大切な友達だ。

 学校では多くの友人が出来た。でも、ゆいだけは特別だった。はじめての友達で、いつの間にか、家族になった友達だ。


 ゆいとみさきは家族になった。

 だけど、二人の関係が変わるわけではない。


 家族なんて紙切れ一枚の関係だ。

 みさきにとって、ゆいは友達である。その認識は変わらない。変わるはずがない。


 一番の友達といつも一緒。

 嬉しいことだ。結婚の意味も分かるようになって、幸せそうな龍誠を見るのは嬉しくて、弟が生まれた時も素直に喜んだ。


 だけど……あれ?

 なにか、なにか違うような気がする。


 その違和感は、火種だった。

 そして火種は、ゆいの中にもあった。


 それは四年生の始業式。

 小学校で起きた何気ない会話である。


「みさきちゃん、背ぇ伸びたよね」

「……そう?」

「うん、るみるみ抜かれちゃった」


 てへっ、とあざといポーズをするアイドル志望の瑠海。今の彼女は学校を代表するユーチューバーであり、スクールアイドルという新世界を開拓しようとしている。


「やっぱりパパ……じゃなくて、りょーくんも結衣さんも大きいからかな」

「はい! ゆいさんは大きいです!」

「ゆいちゃんの話はしてないよ」

「そうだ引っ込んでろ戸崎姉!」

「旧姓禁止!」

「天童ってなんかカッコいいじゃん似合わな過ぎだっつうの!」

「あなたは逆鱗を撫で回した!」


 クラスの男子にチャカされてワイワイ騒ぎ始めるゆい。


「男子ってほんと子供だよね」


 ぽつりと呟く瑠海。


「大人になっても変わらないよね」


 小学生とは思えない視線をゆい達に向けて、


「ふふふ」


 と笑う瑠海。

 直後、急に視線を落として言う。


「パパ、小さいのかな。早く逢いたいな」


 みさきは、もにょっとした。

 うまく表現できない気持ちをどうにか言語化しようと考えていると、瑠海は急に笑顔を取り戻す。


「ゆいちゃん、ほっとけばいいのにね」

「……ん」


 とりあえず同意するみさき。


「ピアノ弾いてる時はカッコいいのにね」


 これも同意するみさき。


「タイム! 称賛の声が聞こえます!」


 急に口論をやめたゆい。


「ゆいちゃん、そういうとこだよ」

「そうだそうだ! ちょっとコンクールで賞もらったからって調子乗るなよ!」

「ふっ、なんの実績も無い弱者の遠吠え」

「なんだと!? おまっ、みさきもピアノ出来るじゃん! みさきがコンクールに出てたら賞はおまえじゃなくてみさきだったね!」


 それは、行き過ぎた言葉だった。


「はいはい、みんな席に座ってくださーい」


 その場は先生が現れたことでおさまる。

 しかし、ゆいの臨界点ギリギリの空気感は、その場に居た全員の胸に刻まれた。


 以後、暗黙の了解が生まれた。誰も話題を掘り返すことはしなかった。だから、その小さな火種は、ゆいの中に残ったままだった。



「――ぜったい、だめ!」



 きっかけは単純な嫉妬だったかもしれない。

 しかし、結衣でさえも気付かない程に小さな火種が幾重にも集まって、この瞬間に爆発した。


「みさき?」


 結衣の声を背に、みさきはリビングへ走った。真っ直ぐにピアノへ向かって、ゆいの特等席にドシンと腰掛ける。そして、唖然とするゆいの前で力強く演奏を始めた。


「……うそ」


 それは、ゆいが練習している曲だった。ゆいの知る限り、みさきは一度もピアノに触れていない。つまりみさきは、ゆいの演奏を聴くだけで覚えたのだ。


 完璧に。

 一音も間違えずに。


 演奏を終えたみさきは、ゆいを一瞥して龍誠の前に立った。


 目を閉じて、頭を撫でろとアピールする。

 龍誠は要求を察して、反射的に頭を撫でた。


 龍誠は何が起きたのかよくわかっていない。

 キッチンから顔を出した結衣も、みさきの珍しい奇行を見て面食らっていた。


 ふと、結衣は二人から視線を逸らす。

 瞬間、事態の深刻さを悟った。


 早急なフォローが必要だ。

 しかし結衣が行動するよりも早く、


「みさきのバカあ!!」


 もうひとつの火種が、爆発した。

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