Ex:ゆいはみさきに勝ちたい!

第206話 01:始まりは唐突に

 みさきは10歳になった。


 能天気な義姉に対するフォロー力。

 ヤンチャな弟を大人しくさせる姉力。

 そして、二度の四捨五入で2mに達する身長。


 三種の神器を手に入れたみさきは、もはや可愛いだけの幼女ではない。


 みさきは大人になった。

 教わったことを何でも覚えるみさきは、いつ社会に出しても恥ずかしくないほど立派に成長していた。


 家族はみさきを頼る。

 みさきは、りょーくんが褒めてくれるので嬉々として頼られる。


 みさきとファミリの間にはwin-winなパートナシップがあり穏やかな日々が続いていた。


 しかしそれは唐突に終わりを迎える。


「ちゃらららーん!」


 だーんっ、とピアノの練習を終えたゆい。

 ふぅ、と額に浮かんだ健康的な拭って振り返る。


「喝采せよ!」


 パチパチ拍手するみさき。

 ゆいの背には、立派なグランドピアノとコンクールを制した証――賞状が飾られている。


 ゆいはピアノが得意だった。

 能天気でガサツなゆいは、しかし繊細な音を表現することが出来た。ピアノを弾いている間だけ、ゆいの外見年齢は倍になる。


「本日は八十点くらいの仕上がりでした」


 流暢な日本語を話すゆい。

 正直よく分かっていない四字熟語を連呼していた幼い少女は、自然と口調が母親に近付いていた。


「次のショーに向けて、パーフェクトな仕上がりを目指したいと思います」


 みさきは静かに頷いた。


「はらぺこです」

「……ん」


 澄ました顔で空腹をアピールしたゆい。

 みさきは、寝ている弟を起こさないよう気を配りながらベッドに寝かせて、立ち上がる。


「あーくん、あたしの演奏は如何でした?」

「めっ」


 弟に触れようとするゆいを牽制するみさき。


「泣いちゃう」

「……ぐぬぬ」


 ゆいは弟との接触を禁止されている。

 弟を大泣きさせた前科があるからだ。


 とはいえ、それは理不尽な前科だった。

 ゆいが抱っこすると大泣きする。みさきが抱っこすると泣き止む。


 なんで!?

 めいかくなあくいをかんじます!


 全身全霊で遺憾の意を示したゆい。

 しかし、みさきの鋭い視線に負けたゆいは、あまり弟に近寄らないようにしていた。


 でも可愛いものは可愛い!

 どうにか世話を試みるけれど、尽くみさきにブロックされる日々だった。


「いくよ」


 みさきは語彙力が増えた。

 ほんの一年ほど前まで一音しか話さなかったみさきは、自然と一語を話すようになった。


 身長も伸びた。

 ゆいとみさきの身長差は、頭ひとつ分から指一本分(縦)くらいまで縮まっている。


 立ち上がった二人が向かったのはキッチン。

 そこでは、結衣が夕飯の用意をしていた。


「お手伝いします!」

「ありがとうございます。ゆいは火の管理、みさきは此方を手伝ってください」


 夕飯のメニュはカレーと彩り豊かなサラダ。残る作業は、野菜を切ることだけ。


 ゆいに刃物は触らせない。

 それは大事な指を守る意味が大きいけれど、きっとピアノをしていなくても結衣は同じ判断をした。


「味見していいですか!?」

「ダメです。また火傷しますよ」

「まなんで」

「……ぐぬぬ」


 ゆいは悔しい気持ちを炎にぶつける。

 ゆいの心は、カレーをグツグツ煮込む蒼炎のように燃えていた。


「りょーくん」


 不意にみさきが呟いた。

 その数秒後、玄関から声が聞こえる。


「おかえりー!」


 ゆいは火の番を放棄して玄関へ走った。

 みさきは少しムッとする。自分も行きたい。しかしみさきはゆいと違って大人なので、お手伝いを優先。そんなみさきを見て、結衣は微笑む。


「みさきはスッカリお姉さんですね」

「……ん」


 落ち着いた表情で言いながら、野菜を切るスピードが職人みたいになるみさき。


 10歳。まだまだ子供。

 感情を制御することは大人でも難しい。


 だから、その瞬間は唐突に。

 本当に、何の前触れもなく訪れた。


「りょーくん! ピアノきいて!」

「おう、直ぐ行くから待ってろ」


 遠くから聞こえる声。


「直ぐご飯ですよ」


 隣で聞こえた声。


「一曲だけ!」

「約束できますか」

「コンプラ遵守!」


 仕方ないですね。

 納得した結衣を見て、ゆいはわーいとピアノがあるリビングへ向かう。


 それはいつもの光景。

 いつも通りのやりとり。日常の風景だった。


「だめ!」


 だから、その声に誰もが動きを止めた。


「ぜったい、だめ!」


 ゆいと結衣が、龍誠すらも初めて聞いた声。

 誰も聞いたことがない、みさきの大声だった。

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