第201話 SS:お小遣い交渉
ゆいとみさきは中学生になった。
龍誠と結衣が結婚した後、広い家に移り住んだ家族は、それはそれは仲良く楽しく暮らしていた。
食卓。ここは特に楽しい場所。
最近言葉を話すようになった長男と、テクテク歩き回るようになった二男。四人で二人の面倒を見ながら、その日あったことを話す時間。それは家族にとって何よりも楽しい時間だ。
だが――今この瞬間、家族に笑顔は無い。
夜。
やんちゃな長男と大人しい二男を寝かせた結衣は、空いていた席にそっと腰を下ろした。
隣には龍誠。
机を挟んだ場所には、これから面接を受けるかのように緊張したゆいと、リラックスした様子のみさき。
コホン。
結衣は軽く声を出して、
「これより、第一回お小遣い交渉を開始します」
結衣は言う。
中学生になった二人には、お小遣いが与えられる。しかしながら、それを当然と思ってはいけない。
金銭とは労働の対価として与えられるものであり、未だ義務教育の過程にある二人に与えるのは、お金の使い方を覚える為。つまり、教育の一環であることを意識してほしい。
と、ここまでは定型文のようなもの。
本題はこれから。具体的な金額についての話。
「確認です。ゆい、金銭とは何の対価として与えられるものでしたか?」
「はい、労働の対価です」
「みさき、貴女達の労働とは?」
「……学業、です」
正解です。結衣は静かに呟いた。
その隣で龍誠が大きく首を縦に振る。
「お小遣いは、内申点カケル(100+X)円とします。エックスは現在50です。学年が上がる度に50増えます」
瞬間、ゆいは計算を始めた。
内申点は最大で45点。体育は少し苦手だけど他は確実に5(満点)を取れる。つまり40点。6000円は確定。
ろ、ろく、6000イェン!?
思わぬ大金にゆいの心が躍る。
もちろん結衣には全て
龍誠は笑いを堪えていた。
お小遣い交渉。これはお金の価値を誰よりも理解している結衣が言い出したことである。彼女は内申点によって金額が変わると言ったけれど、もちろん建前だ。与える金額は事前に決まっていて、内申点カケル云々という数式は、満点を前提として、そこから逆算したものだ。つまりは出来レース。
無意味とは言わない。でも、面白くて仕方ない。
みさきはニヤニヤしていた。
なんか、りょーくん嬉しそう。
みさきはお金に興味が無い。
ただし、お金があれば何が出来るのかは理解している。
りょーくんに何をプレゼントしようかな。
みさきの頭は、そのことでいっぱいだった。
「みさき、内申点が満点だった場合、お小遣いはいくらですか?」
「6750円です」
「正解です」
プレゼント、何にしよう。
……あっ、りょーくん、パンツに穴あいてた。プレゼントしたら、喜ぶかな?
「コホン」
いろんな意味を込めて、結衣は大袈裟に声を出す。
「お小遣いが支給されるのは、一学期の後からです。今みさきが言った金額を上限とし、基本給が決定されます」
「基本給?」
想定外の言葉を聞いて、思わずゆいが疑問を投げかけた。
結衣は静かに頷いて、
「そこからケータイ代、ならびに生活費を除いた額が、お小遣いとなります」
「……!?」
少し考えた後、ゆいは理解した。
第一回お小遣い交渉。わりと子供っぽいところのあるママがゲーム感覚で名付けたのかなと考えていた。しかし、それは間違いだったと気が付いた。
ガチな時のママ。
そう理解した瞬間、ゆいの中からふわふわした感情が消え失せた。
みさきはプレゼントするパンツの色を考えていた。
「キッズケータイの月額は、いくらですか?」
「良い質問です」
結衣は開いた右手を挙げて、
「500円です。これが高いのか、それとも妥当なのかは、自分で調べてください」
「分かりました」
6000-500=5500円。
簡単な計算をした後、ゆいは背筋が冷たくなるのを感じた。
生活費。
これほど恐ろしい言葉は無い。
衣食住。
これまで当然のように与えられていたものに対して、お金を要求されるようになる。
ゆいは考えたことが無い。
いつも来ている服、食べているもの、住んでいる家の代金。
どう考えても5000円では足りない。
もちろん全て要求されるとは考えていない。
一日100円?
もしかして150円?
答えを聞くのが怖い。
でも、ママなら夢の五千円台は死守してくれるはず!
ゆいは一筋の希望を胸に、そっと問いかける。
「生活費は、いくらですか?」
「34560円です」
「横暴!」
リアルな数字を前にゆいは目を丸くした。
愛娘の大声を聞いて、しかし結衣は動じない。果たして予想通りの反応を前にグッと机の下で手を握りながら、ゆいを一瞥だけして、ワザとらしく溜息を吐いた。
ゆいはビクリとして、腰を下ろす。
「……失礼しました」
「よろしい、自分で気づけましたね。今のようなトークは交渉術のひとつです。これが社会人としての交渉であれば、動揺した時点でゆいの負けでした。以後、気を付けましょう」
「……はい」
しゅんとした様子のゆい。
みさきはゆいの肩にポンと手を置いて、耳打ちする。
「……わりびき」
「割引はありますか!?」
はじかれたように大きな声を出したゆい。
結衣は幼さの残るゆいに胸を躍らせ――セイチョウノオソイムスメにタメイキ。
龍誠は本当の姉妹のように仲の良い二人を見て、満足そうに頷く。
結衣は軽く息を吸って、
「結衣割引が適用されます」
「結衣割引!」
キラキラと目を輝かるゆい。
ゆいの頭の中には、とある言葉が浮かんでいた。
――実質ゼロ。
ある条件を満たすことで、実際に支払う金額がゼロとなる割引のこと。
ゆいの期待に応えるようにして、結衣は言う。
「結衣割引。これは私、戸崎結衣が持つ娘への愛情によって適用される特別な割引です」
「愛情!」
「そうです。この世界で最も美しい感情――俗に、無償の愛と呼ばれる類のものです」
「無償!」
実質ゼロ!
実質ゼーロ!
ゆいの心の中でコールが始まる。
「生活費は、実質3250円です」
「無償じゃない!」
「ゆい、愛だけで生きていけるのなら、誰も働かないのですよ」
「 」
優しい言葉を前にゆいは何も言えない。
一方で、みさきは最終的な金額を計算して、全てを理解した。
6750-500-3250=3000
とてもキリの良い数字。つまり最初から想定されていた金額は、三千円。
みさきは考える。
三千円でパンツは何枚買えるのだろう。
……値上げ交渉、しよう。
「りょーくん」
「みさき、どうしましたか?」
「りょーくん割引、ありますか」
「良い質問です」
結衣は軽く肘を上げて、龍誠の横腹に触れる。
「りょーくん割引は、みさきに対する愛情によって適用される割引です」
用意されたセリフを読み上げるようにして龍誠は言う。
「これによって、生活費は実質3250円となります。なお、結衣割引との併用は――」
「……の?」
震える声を出したみさき。
思わず絶句した龍誠に向かって、みさきは言う。
「りょーくんの、愛情、たった31310円なの?」
「言い値でくれてやるよチクショウ!!」
落ち着きなさい。
立ち上がった龍誠を結衣が抑える。
「ママ!」
ゆいは言う。
「ママの愛情も、たった31310円なの?」
「言い値で交渉に応じましょう!!」
落ち着け。
立ち上がった結衣を龍誠が抑える。
ゆいとみさきはニヤリと視線を交わして、
「「実質ゼロ」」
ぐうの音も出ない結衣と龍誠。
結衣は金銭のやりとりに愛情という要素を持ち込んだのが敗因だと即座に理解した。そして、すぐさま打開策を考え、
「ダメです」
早くも最終手段を使うことにした。
ダメです。理屈も何もかも無視した否定の言葉。大人がこれを使った時、子供は余程のカードを持たない限り何も出来ない。
「……さてい、査定はありますか!」
いくらか考えた末に、ゆいはコレしかないという調子で言った。
結衣は瞬きひとつ、
「詳しい話を教えてください」
「内申点以外の学業は、どうなりますか!?」
「……なるほど、良い質問です」
言葉は拙い。今の表現では伝わらない。
しかし結衣は、ゆいが自分で考えたという事実を褒めた。
「部活などで表彰される+1000円。部活で部長に選ばれる+1000円。学級委員に選ばれる+1000円。生徒会に当選する+1000円。その他、適宜交渉に応じましょう」
「おおお!」
勝った! ゆいは交渉の喜びを知る。
瞬間、結衣はニヤリと頬を緩めて、
「ただし、これらの査定を適用した場合、結衣割引ならびにりょーくん割引は同額減額されます」
「横暴!」
再び大声を出したゆい。
一方で、みさきは改めて理解した。
どうあっても3000円。
お小遣い交渉は――結衣さんがゆいちゃんと話す為に用意した出来レースだ。
気付いたか? みさきの目を見る龍誠。
ん、いつも通りだね。軽く頷いて返事をしたみさき。
「ほっぺにチュー!」
「+10000円!!!」
「百回します!」
「ウェルカム!」
立ち上がったゆいと結衣。
直後にみさきと龍誠に抑えられて、
「「落ち着け」」
声を合わせた後、みさきと龍誠は目を合わせて、くすりと笑う。
果たして3000円を上限とした出来レースは、ゆいと結衣が満足するまで続いたのだった。
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