第198話 SS:なんでもバスケット!(後編)
――ゆいは思っていた。
立たなければ、あたしは勝てる。
例えば、今朝パンを食べた人という質問がある。
証拠はどこにあるのだろうか? つまり、どんな質問を受けても立たなければ勝ちだ。嘘を貫き通すことで、罰ゲームを確実に回避できる……ッ!
あたしの世界に、トマトは必要ない。
――隼人は思っていた。
嘘を吐く人が、必ず現れる。
それを崩す為には、決して嘘をつけない質問をしなければならない。例えば「先生」と発言する。これならば、確実に先生を狙い打つことが出来る。つまりこれは、大人と子供の戦い。クラスが団結することで強大な教師に立ち向かう試練!
クラスの代表として、しっかりせねば!
――蒼真は思っていた。
恐らく、同胞共は団結して先生を倒そうとする。
しかし、それは余りにも稚拙だ。此度のデスゲームを盛り上げる為に必要なのは――裏切り! 団結を目指す集団を疑心暗鬼に陥れる。まさに、魔王の所業。
……かっこいい。
――るみは思っていた。
蒼真くんは絶対に裏切る。
るみるみはアイドル! アイドルがゲームをする時は、皆を笑顔にしなければならない。だから全ての罰ゲームは、るみるみが引き受ける! でも独占しちゃったら微妙な空気になるかも。
――みさきは思っていた。
今度、りょーくんと一緒にやろう。
「みんな、準備はいいですか?」
せんせいのことば。
スターティングポジションに腰を下ろした児童達は神妙な面持ちで頷いた。
「では、行きます。あっ、最初は先生が鬼をやりますが、この一回はノーカンですからね?」
\\ずるーい!!//
「ぶっぶー、ブーイングしてもダメです。ここでは私が神です」
\\かみさまー!//
\\ながいきー!//
\\おはだはー?//
\\それそうおう!//
「はーい、今先生の肌年齢について何か言った子達は素直に名乗り出てください。最近かなり口が悪いですよ?」
――瞬間、隼人に電流が走る!!
「せんせい。いまのは、しつもんですよね?」
ファーストペンギンの法則!
氷山から海へ飛び込む時、ペンギン達はゼッタイ押すなよ状態となる! だが、たった一匹の勇者が飛び込むことで、他のペンギン達も雪崩のように続くのだ!
隼人の狙いはひとつ!
自らがファーストペンギンとなることで、このデスゲームの構造をクラスvs先生にすること!!
――ククッ、貴様ならそうすると思ったよ。
「ならばしかたない。我も起立せねばならぬな」
重なる視線!
ぶつかる思惑!
次の瞬間、蒼真は隼人から目を逸らした。
隼人は彼の視線を追い掛けて、意図を察した瞬間に絶望した。
隼人は自らが鬼となることで、クラスの標的を先生にしようと考えていた。隼人だけが席を立ったならば、いや、全員が席を立ったとしても、座らないという選択をすることで狙い通りの結果が得られる。
だが、結果は最悪!
このまま先生が隼人の席に座ったら、彼は蒼真の席に座らざるを得ない!
蒼真が鬼になる。
それだけは絶対に避けなければならない!
瞬間、隼人の脳細胞が活性化する。
生まれてから八年。これまで使われることのなかった全てのシナプスが産声を上げる。
――勝利条件は、先生が隼人の椅子に座ること。
――敗北条件は、先生が蒼真の椅子に座ること。
今、先生は隼人の椅子に座ろうとしている。
これを避ける方法は――不可能だ。先程のアイコンタクトから隼人は敗北を悟った。
そう、普通ならここで諦める。
先生が彼の椅子に座るまで数秒しかない状況で、打開策など浮かぶはずがない。
しかし隼人は小学生である!
その柔軟な発想を武器に、不可能を覆す!
「おっと、流石は大人と言ったところか。同胞よ、早々に我が席を領土とするが良い」
勝ち誇った表情で蒼真は言った。
隼人は俯いて、二歩だけ彼に近寄る。
「……あのせきは」
そして、呟いた。
「あのせきは、せんじつのほごしゃめんだんで、りょーくんがすわったせきだ」
閃光が生まれた。
誰も姿をとらえることなど出来なかった。凡人に理解できたのは、隼人が何かを言った直後、蒼真の席に突如としてみさきが現れたということだけだった。
「なっ!?」
蒼真は刮目した。
予想外の事態に困惑して、しかし問題は無いと判断する。
「同胞よ、我は譲ってやっても良いぞ」
直前の状況であれば、空いている椅子は蒼真の椅子だけ。蒼真自身は座ることが出来ないから、蒼真が鬼になることは確定していた。しかし、みさきの椅子が空いたことで、隼人が鬼になる可能性が生まれた。
――だからどうした?
座らなければ問題は無い。
自分は決して敗北しないと、蒼真は確信していた。
「よいのか?」
「なに?」
涼しい表情で、隼人は言う。
「みさきどのがすわっていたイスだぞ?」
ジョーカー!
隼人は自らの勝利条件を「蒼真が誰かの席に座ること」と考え直した!
その結果生まれた作戦――みさき。
「……貴様の勝ちだ」
蒼真はチョロイ!
みさきをエサに使えば確実に釣れる!
「いやはや、いきなり おに になってしまうとは」
白々しい演技をしながら、隼人は中央に立つ。
やれやれ、あとは先生だけを狙い打つ質問をすればそれで終わり――
瞬間、チクリとした頭痛を覚えた。
なにか、自分は何か、見落としているような……
それは数秒前までの彼ならば決して気が付かなかったであろう些細なこと。だが気が付いてしまった。シナプスが弾けたことで思考力の増した隼人は気が付いてしまった。
勝てない!
このまま先生を狙ったとしても、同じように狙われたら敗北は必至!
しかもツマラナイ!
二人だけのゲームとなって他の皆が楽しめない!
……まさか、ここまで考えて最初の鬼を?
隼人は大人の悪知恵に戦慄した。
普段は肌年齢を弄られるだけの先生は、しかし自分達とは格の違う知性を有しているのだと思い知った。
経験から生まれた能力。
隼人は、少しだけ先生を尊敬することにした。
「では、みなにといかけよう」
隼人は考える。
やはり鉄板ネタはうんこだ。しかしこれは少し品性に欠けている。では間を取って……
「おねしょしたことあるひと!」
……沈黙ッ!
そして刺さる! 全方位から視線が刺さる!
おねしょ!
これは誰もが一度は経験する黒歴史!
そら一回くらいしますよ、という共通認識が全人類にあると言っても過言ではない――大人ならば!
ここにいるのは小学生!
恥を認められるほど老成した児童など――
「…………」
隼人が絶望という名の闇に飲み込まれそうになった時、彼女は現れた。羞恥に耐え、沈黙を破り、ただ一人の愚かな少年の為に立ち上がった少女の名は――
「うそだ! アイドルはトイレいかないってじーじが言ってた!」
数人の男児が声を上げた。
しかし少女は軽く手をあげて、その声を制する。
「……するよ」
あらゆる感情を押し殺した少女の一言で、教室が凍り付く。
「アイドルも、みんなとおんなじ」
羞恥心を必死に押し殺しながら、少女は一際大きな声をあげていた男児の前まで歩いた。
「おんなじだから――こうやって、手をにぎれるの」
柔らかく微笑んで、
「あえる! アイドル! それがじだいのさいせんたん!」
\\うおぉぉぉおおおおおお!//
全男児がたちあがった!
そして始まる熾烈な椅子取り合戦!
誰もが一直線にアイドルの椅子を目指す。
果たして席を勝ち取ったのは――
「はやとぉぉぉぉぉぉォォォ!」
「むっつりぃぃぃぃぃィィィ!」
「やかましい。ひんじゃくなおのれをのろうがよい」
床を叩いて悔しさをあらわにする男児達を見て、女児は「男ってほんとバカ……」と心の中で呟いていた。
ただひとり、ゆいを除いて!!
ふっふっふ……あたしの作戦、完璧。
このまま一度も立ち上がらなければ、あのグチョッとしてゲロみたいでオロロロロなトマトを恐れる必要は無い。
「あちゃー、るみるみがオニになっちゃったかー」
てへペロ!
るみは軽く舌を出して、
「じゃあねー、トマトきらいなひと!」
ゆいは立たない!
当然刺さる! 嘘吐きィ! という視線が!
「トマトがきらいだと、言ったこともありましたね」
ゆいは言う。
「うそです!」
うそつけバーカ!
じゃあバツゲームのトマトもへーきだね!
きゅうしょくのトマトはプレゼントフォーゆい!
「まって!」
るみは言う。
「ゆいちゃんだけじゃないでしょ!」
トマト、それは悪魔の果実。
これだけ多くの児童が居て、嫌いなのがゆい一人ということはありえない!
「…………」
そして生まれる沈黙!
これを破ったのは――
「せんせい!?」
岡本はトマトが嫌い!
グチョッとした感覚が嫌で嫌で仕方ない!
「ほら、皆も嘘はダメですよ」
果たして、トマト嫌いの児童は席を立った。
圧倒的な先生の影響力。嘘はいけないという教育的指導――そう、質問に対する回答を自己申告によってのみ求められる「なんでもバスケット」は、高度な情操教育のひとつなのである。
――もちろん岡本の狙いは情操教育などではない!
彼女は読んでいた!
自らが教える児童達ならば、立たなければ負けることはないというゲームの本質を見抜くことを!
故に布石!
嘘はダメという空気を序盤で形成する!
……これで私が罰ゲームを受ける確率は格段に下がったことでしょう。ふふふ、ふふふふふ。
汚い大人!
児童相手に本気を出すゲス!
しかし、後に追求されたとしたら岡本はこう答えるだろう。バレなければ嘘じゃないんですよ、と。
「むむむむむ……」
次の鬼はゆいだった。
慌てて立ち上がった時に筋肉さんがこむら返ったゆいは、椅子取りゲームに参加することすら出来なかった。
痛みと戦いながら、ゆいは考える。
ここは手堅く勝ちに行きたいところ……
「りょーくん!」
ゆいはみさきを狙い打った!
瞬間、教室中から生まれる「キタねぇぞ!」な空気。
「……ない」
みさきは静かに首を振って、
「りょーくんじゃ、ない」
正論!
恥も外聞も捨てて確実な勝利を目指したゆいは、しかし視野が狭くなっていたことに気が付いた。
みさきは、りょーくんではない。
そんな当たり前の事実が彼女には見えていなかった。
「くっ!」
ゆいは羞恥に震える。
普段ならば考えられないミス。それが、このデスゲームによる極限状態によって引き起こされた。
あってはならない。
一人前のレディを目指すゆいにとって、あってはならないミスだった。
「どーんまい。ゆいちゃん、もう一回です」
追い打ちをかける岡本!
彼女は心の中で「リーチ」と呟いてほくそ笑む。
ゆいは追い詰められた。
チャンスは残り一回。
ふとゆいは、大好きなママとの会話を走馬灯のように思い出した。
良いですか? 自分ではどうしようもない状況を
——自分の力で、乗り越えるもの!
ゆいはかつてないほどにシナプスを爆発させる。
そして見つけた。
無限に分岐した選択肢の中から、たったひとつの回答を!
「大人!」
先生を狙い撃ち!
この場において、大人は教師である岡本のみ!
……見事ね、ゆいちゃん。
ドヤァという文字が浮かび上がりそうな顔をしたゆいと擦れ違って、岡本は中央に立つ。しかし彼女に焦りは無い。なぜなら——このゲームは、ここで終わるのだから。
ゆいは失念していた。
自分が一人を狙い打てるのと同様に、岡本もまた、一人を狙い打てるということを……ッ!
「このクラスに兄弟がいる人!」
ピンポイント!
同学年に兄弟で在籍するという例は極めて稀!
岡本は走る!
大人げなくみさきの席にダッシュする!
「みさきちゃん?」
みさきは、静かに座っていた。
「……ない」
そのまま口を一の字にして、静かに首を振る。
「ゆいちゃんは、おとこのこじゃ、ない」
兄弟とは男性を表す言葉である!
一般的には兄弟という表現で「兄、弟、姉、妹」の全てを表現することが可能だが、この場においては、より厳密な意味を用いることも不可能ではない!
「そんな……」
果たして窮地に陥った岡本。
教師として、決して負けるわけにはいかない。
考える。
確実にゆいを仕留めるか。
それとも、安全策を選ぶべきか。
「小学生!」
果たして岡本は安全策を選んだ!
全員が立ち、大混戦となることで、座れる確率が高い選択をした――しかし、彼女の目に映ったのは思いも寄らない光景だった。
全児童が、ひとつ左隣の席へ移動した。
「そんな!?」
打ち合わせなどしていなかった。
だが、全員が直感的に理解していた。
先生が恥も外聞も捨てて勝ちに来ること……
最後は安全策を取ること……
そして全員が考え、辿り着いた。
その浅はかな安全策を打ち破る奇策を……ッ!
「せーの」
せんせー! バツゲーム!
――こうして、二年生最初のレクリエーションは幕を閉じたのだった。
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