第192話 結婚式
結婚式の意味を考えた時、結局は自己満足でしかないのだと思う。
規模が大きければ目を疑うような大金が必要で、俺達のように数少ない友人だけを集めて行う小規模な式でも、一月分の給料が飛んでいく。
それだけの金を使って行う程の価値があるのか、という議論があったとしよう。
ネットに書いてあることを鵜呑みにするならば、親や友人など世話になった人に知らせるとか、宗教的な儀式とか、そういう理由があるらしい。
俺達に該当するのは「世話になった人に知らせる」ことで、その目的を果たすだけなら人を集めて焼肉パーティでもすればいい。
それを理解したうえで結婚式を挙げる理由は……やはり自己満足なのだろう。
俺と結衣が話し合って、そうしたいと思ったから、そうすることにした。きっと他に理由は必要ない。
そんな風に思っていた。
ほんの数秒前まで、そう思っていた。
「どう、ですか?」
控え室。
プランナーに声をかけられてドアを開けると、そこには純白のドレスに身を包んだ結衣が、大きなステンドグラスの下に座っていた。
女神の姿が描かれたステンドグラスから差し込む神秘的な光を受けた結衣の姿は、まるで神話の世界から舞い降りたかのように神々しくて、息を吸うのも忘れるくらいに綺麗だった。
俺は少しの間だけ見惚れてしまっていたことに気が付いて、慌てて目を逸らしながら言う。
「すげぇ歩きにくそうな服だな」
「最悪の感想ですね。びっくりです」
結衣は心底呆れた様子で言った。だけど声にトゲは感じられなくて、きっと勘の良い結衣には照れ隠しで言ったことが分かっているのだろう。
「俺もびっくりだ。いまさら照れるとは思わなかった」
「心外です。心臓が止まるその時まで、照れてもらう予定ですよ」
「それは楽しみだ」
そっと手を伸ばす。
重ねられた手を掴んで、引き寄せた。
「行こうか。みんな来てくれた」
「意外と人望があったようで、何よりです」
「だろ? 一人しか呼んでない結衣とは大違いだ」
「三人ですよ。ゆいとみさきには私が声をかけました」
子供達を数に入れて良いのか否か。
ともあれ、こんな時でも俺達はいつも通りだった。
*
式は滞りなく進んだ。
小さな教会で永遠の愛を誓い、外に出て大きなケーキを切った。それを食べながら集まった面々で騒いで、気が付けば終わりの時間が近付いていた。
声を掛けたのは八人で、出席してくれたのも八人。
似合わないスーツを着て現れた兄貴は、ゆいちゃんから定期的に絡まれて、今では体力が尽きたのかグッタリしている。俺と結衣には短い挨拶をしただけで、あとは申し訳程度に用意してあったワインをチビチビ飲むか、ゆいちゃんの遊び相手になるかだった。
もう一人の年長者……俺の母親も同じようなもので、最初に祝いの言葉を伝えた後は、ゆいちゃんの遊び相手になってくれていた。今では疲れた様子で椅子に座っていて、何故か膝の上にみさきが乗っている。
ロリコンは挨拶よりも早く子供達に絡もうとして、見事に振られて落ち込んでいた。その後は連れの二人に慰められて、それからは孫を見守るような優しい目で遠くから子供達を見ていた。
一方で、我が社の営業担当である無駄に爽やかな彩斗は、結衣と面識があったらしい。思えば定期的に「おのれ魔女……」と呟いていたが、どうやら結衣と競い合って敗れた時だったらしい。
拓斗は相変わらず穏やかで、これぞ大人といった挨拶を見せてくれた。今回は男性用の声を用意していて、俺はやっぱり自分で喋れよと思うのだが、ゆいちゃんには好評だった。ゆいちゃんから質問を受けて、とても丁寧に答えていたけれど、ゆいちゃんには難しかったようで、途中から「なんかすごい!」しか言わなくなっていた。
最も多く話したのは、結衣が呼んだ森野さんだった。話したというか声を掛けられたというか、結衣との事を根掘り葉掘り聞いてきた。俺は正直に答えているだけだったが、普段の結衣は彼女が知っている結衣とは違うらしい。質問によっては結衣が慌てて口を塞いできて、その反応が面白かった。
朱音も来てくれた。「久々に連絡があったと思ったら結婚式の招待とかふざけんなよ」という好戦的な挨拶の後、温かく祝ってくれた。彼女の工場は順調で、来年には従業員が二百人を超える見込みらしい。親父から受け継いだ工場を日本一にするという目標に向けて、頑張っているようだ。
最後に、小日向さんも遠路はるばる東京から足を運んでくれた。俺達の結婚を心から祝福してくれて、俺と結衣を描いたイラストまで用意してくれた。彼女の漫画は毎月買っているが、どうやら売り上げも順調らしくて、既に実写映画化が決まったらしい。挨拶の後は久々に会ったみさきに抱き着かれていた。その後は朱音と仲良くなったようで、とても打ち解けた様子で話をしている。
以上の八人が、今日来てくれた人達だ。
ここに子供達を足して、十人。ちょうど両手の指と同じ数。森野さんの代わりに結衣を数えた十人が、俺が二十六年という時間の中で深く関わった人数だ。
初めに、みさきと出会った。
結衣と小日向さん、兄貴と出会った。
それからロリコン達と出会って、朱音と再会した。
その過程で母親と話をすることも出来た。
ゆいちゃんとも仲良くなって……いつの間にか、人の輪が出来ていた。
どうしてか今、そのことを強く実感している。
独りで生きる時間を知っているからこそ、この輪が掛け替えのない物だと分かる。
きっとこの輪は広がっていく。
どこまでも、どこまでも広がっていく。
「……」
俺は何も言わずに結衣の手を握った。
結衣は何も言わずに手を握り返した。
それだけで十分だった。
今の俺達にとって、互いが隣にいるということが、何よりも大きな事だった。
誰かが口笛を吹いた。続いて野次のような祝福の声が聞こえて、その後は愉快な笑い声に満たされた。
ふと、誰かが結婚は人生の墓場なんて言っていたことを思い出した。
これについて、結衣は同じ墓に入るまでが結婚だと言っていた。
意味合いは大きく違うのだろうけれど、俺はどちらも終わりについて述べていることが気になった。
確かに、ひとつの大きな区切りだ。
みさきを育てると決めてからは、いつも必死だったけれど、ここに居る人達に支えられたおかげで、いくらか上手くできるようになった。それから結衣と近しい関係になって、家族という形を得た。
だけど、ここがゴールだとは思わない。
むしろ始まりなのだと思う。
右も左も分からなくて、必死にもがき続けた日々は終わった。
これからは、隣を見れば最愛の人の姿がある。
だから大丈夫だ。
どれだけ悩むことがあっても、必ず乗り越えられる。
さて、これから何が起こるのだろうか。
結衣と、みさきと、ゆいちゃんと――これから生まれてくる家族と過ごす日々は、どんな時間になるのだろうか。そう思うとワクワクする。
「龍誠くん」
小さな声で、結衣が言った。
「私は今、世界で一番幸せだと思います」
呟くような言葉は、だけどきっと皆に聞こえていた。
その証拠に、集まった人達は俺がどんな返事をするのか楽しみでたまらないという目をしている。
……上等だ、聞かせてやるよ。
「なら、次は俺を一番にしてくれ」
「そうですね。気が向いたら、考えてあげましょう」
「それは困る。本気でやってくれないと、いつまでも結衣が一番だ」
「……仕方ないですね。ずっと一番でいることにします」
そう言って、結衣は肩を寄せた。
また誰かが口笛を吹いて、野次みたいな祝福の声が飛んできた。
その音はもちろん。
隣に感じる体温や、少し離れた場所で俺と結衣のマネをしている子供達の姿。
静かに拍手をしている母親。
何か絵を描いている小日向さん。
ワイワイ言っている野郎共と、口笛を吹いている朱音。
そして何度もカメラを光らせている森野さん。
今この瞬間にある何もかもが、幸せだった。
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