第191話 決戦(3)


 明日はママとりょーくんの結婚式。

 今日こそ、今日こそトマトさんに勝つ!


 だいじょうぶしんてんはあります。

 なんと…………



 トマトを口に入れても、白目にならなくなりました!



 これは大きな一歩だと自負しております。

 この調子でいけば、無傷で赤い悪魔を飲み込むことも難しくは無いでしょう。


 ゆうちょう!

 じつにゆうちょう!


 あたしに与えられた時間は、残り僅かです!


「きょう! かつ! ぜったい!」


 気合を入れて、いただきます。

 今日もサラダに紛れ込んだトマトをスプーンに乗せて、パクッ!


「……っ」


 口中にぶわっと広がる毒々しいオエェな味。

 舌に伝わるネバっとした触感は殺人的で、流石は赤い悪魔の異名を持つだけはある。


 だけど、あたしは屈しない!

 絶対! ……ぜったい!


「…………」


 ギュッと口を閉じて、鼻を摘まんで、そっとひとかみ。


「……っ~!!!」


 ぶわっと溢れ出した果汁が口の中で暴走します。

 あたしは息を止めて、ママに教えられた通りに十回だけトマトをかむ。


 それから、ひっさつわざはつどう!


「っ!」


 水で流す!

 小さくなったトマトを、水で、いっき!


「……っ~!!」


 ゴクリ。


「……ぷはぁっ」


 長く止めていた呼吸を再開した時、あたしはこの上ない充実感に満たされていました。


 ゆめかまぼろしか。

 あたしは、ママに目を向ける。


「食べた!」

「はい、よくできました」


 ママは満面の笑みを浮かべて、パチパチ拍手した。


「ゆいちゃん、よく頑張ったな」

「がんばった!」


 りょーくんも褒めてくれています!


「かんぜんしょうり!」


 あたしは高らかに勝利宣言をしました!

 ふっふっふ、あれだけ怖かったトマトさんが、今ではただのベチョっとした野菜にしか見えません。むしろ果物です。スイカさんをペロっとするようなものです。


「もういっこ!」


 見てて、見てて。

 ママとりょーくんにアピールして、パクリ!


「ゲロまずぅ……」

「ゆいっ、大丈夫ですか?」

「……ちょうし、のった」


 どうやら、まだ完全攻略出来たわけではないようです。

 しかし! 今回は初勝利を飾ったと言っても過言じゃないのでは!?


「弟! 弟はできますか!?」


 ママに聞くと、ママはりょーくんに目を向けました。

 あたしも一緒に目を向けます。


「できますか!?」

「ああ、きっと可愛い弟が出来る。妹かもしれないけどな」

「みさきぃ!」

「……ん?」


 聞き捨てならない!


「弟だよね!」

「……んっ」


 みさきと目で通じ合って、同時にりょーくんへ目を向けた。りょーくんはちょっと困った顔をして、ママに目を向ける。あたしとみさきも一緒に目を向けた。


「ゆい、残念ですが弟か妹かを選ぶことは出来ません」

「えええ!?」


 けいやくいはん!

 じんだいな! けいやくいはん!


「トマト食べたのに!」

「はい、よく頑張りました」


 ママはあたしの頭を撫でて、


「次はママが頑張りますね」


 グッと手を握りながら、そう言った。


「はい! がんばって!」


 ママが言うなら大丈夫!

 ……あれ?


「弟って、がんばったらできるの?」


 あたしは気が付いてしまった。

 そもそも弟って、どうやったらできるんだろう。


「ゆい、それは、ですね……」


 あれ? 

 なんでママ赤くなってるの?


「ゆいちゃん、それは学校で教えてもらえるまでのお楽しみだ」

「んー?」


 みさきみたいに首を傾けてみる。

 全力の気になるアピールを続けたけど、ママもりょーくんも教えてくれなかった。



 *



 深夜。

 結婚式を控えた二人だけれど、規模が小さいこともあってか準備に苦労することは無かった。龍誠が覚えていることなんて、結衣がプランナーから式の費用を言葉巧みに値引きさせている姿くらいだ。


 今日は早く寝て、明日に備える。

 その予定だったけれど、ゆいから弟と連呼された二人は、結局遅い時間まで――


「困りましたね」

「ゆいちゃんのことか?」

「はい。確率は五割ですが、龍誠くんの顔を考えたら、どちらの性別で生まれてきても、女の子にしか見えないと思います。ゆいが納得してくれるかどうか……」


 それは全く悪意の無い言葉。

 だけど龍誠は少しだけムッとした。


「まあ俺と結衣の性格を考えたら、どっちの性別で生まれても男らしい子になるだろうけどな」

「そうですか? 女々しく悩む龍誠くんと、大和撫子然とした私。女の子らしい子になると思いますが」


 あっさり言い返されて、しかし龍誠は返す言葉が浮かばない。


「あっ、ちょっ、こら! それはズルいですよ!」


 龍誠は黙ってそれを続ける。


「やめっ、またシーツが……んっ、こらぁ!」


 そこで龍誠はようやくそれを止めた。

 そこそこ大きな声で怒っていた結衣は、少し乱れた呼吸を整えながら、ゆっくりと肩を上下する。


 やがて体の向きを変えて、龍誠の頬に両手を添えた。


「どちらにせよ、時期は早くなりそうですね」

「……そうだな」


 それからまた二人は互いを求め合った。


 明日は結婚式で、早く寝なければいけない。

 分かっているけれど、気持ちが止められなかった。




「名前はどうしましょうか?」

「そうだな……結衣は、どうしたい?」

「私と龍誠くんから一文字ずつ取って、ゆり、というのはどうでしょう?」

「男の子だったら?」

「ゆりお」

「それは、流石に安易じゃないか?」

「なら龍誠くんが案を出してください」

「うーん、みさきの次だから……みさく?」

「壊滅的なセンスですね。龍誠くんから命名権を剥奪します」

「待て待て、冗談だ」

「真剣に考えてください」

「分かってる。生まれるまでには、決めておくよ」


 短い会話のあと、またキスをする。

 

「明日が楽しみですね」

「あと六時間くらいだけどな」

「何を言いますか。まだそんな……外が、明るい?」

「相変わらず周りが見えなくなるのか。まあでも、あれだけ――」

「わわわわ! そこに触れるのはダメです! 許しません!」


 結衣は龍誠をポカポカ叩いた。

 くすくす笑いながら、龍誠は言う。


「流石に少しは寝ようか。三十分くらい」

「いいんですか? 寝過ごしたら大変ですよ」

「普段から寝坊してるみたいな言い方をするな。大丈夫だ、大事な日なんだから」

「……そうですね」


 弾む気持ちを抑えながら言って、結衣は龍誠に身を寄せた。

 そっと腕を回して、彼は結衣を受け止める。


 それから言葉は無くて、というより必要なくて、

 二人はただ、幸せを感じていた。

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