第187話 初夜


 結婚式まで残り一週間。

 ロリコン達はもちろん、兄貴や朱音、小日向さんにも声をかけた。


 みさきと出会ってから大変なことばかりだったけれど、今回は順調だった。


 また何か起こるかもしれない。そんな予感とは裏腹に、穏やかで幸せな日々が続いた。


 ただひとつ、困ったことがあるとするならば……


「龍誠くん、そろそろお風呂に入ろうと思います」

「そうか、みさき達にも声をかけないとな」

「いえ、その……今日は、龍誠くんと入りたい……なんて」

「…………なに、言ってんだよ。ほら、明日も早いだろ」


 最近の結衣が半端なくエロい!!

 確かに春は近付いているけれど、まだまだ寒いのに薄着で居ることが多いし、その状態で体を密着させてくるし、今みたいな発言をするし!


 ……誘ってるのか?

 これは、そういうことなのか?


 という具合に悶える日々が続いている。


 いっそのこと本人に聞いてしまえ!

 何をいまさら躊躇う必要がある?

 結婚するんだろう? そのうち第二第三のみさきが誕生することになるんだろう!?


 という思いはある!


 しかし、しかしだ。

 これまで互いの手を握るくらいしかしてこなかったからこその躊躇いがある。


 もしかしたら、結衣はそういうことが苦手なのではないだろうか。


 最近ガードが緩いのは信頼の証であって、ここで俺のオレが俺様になってオラオラしてしまったら「失望しました、さようなら」ということになってしまう可能性もあるのではないだろうか!?


 あるわけねぇだろ!!

 でも万が一!!


 ああああああああ!?



 ――と、龍誠が悩む一方で



 ……龍誠くんが、手を出してくれません。


 結衣もまた、悩んでいた。

 森野から話を聞いた結衣は、ちょっとした危機感を覚えていた。彼女の言う通り、結婚を控えた26歳の男女が同棲していて、しかも同じベッドで寝ているのに、夜の営みが始まる気配すら無いのは異常だ。


 まさか私には魅力が無いのでしょうか?

 いえいえ、自信を持ちましょう。これまで社交辞令とはいえ、褒められ続けた容姿です。


 しかし!

 龍誠くんには、少女趣味の疑いがあります!


 まさかとは思っていましたが、私がどれだけアピールしても手を出してくれないことを鑑みて、いよいよ現実味を帯びてきました。


 いっそ直接的な聞き方をして確かめる……そんなことが出来れば、こんな苦労はしていません!


 知識ばかり増えていくのに、これが役に立つビジョンが全く見えてこない。


 このままでは私の幸せ家族計画に亀裂が……いったいどうすれば!?




 果たして、二人は信頼できる相手に相談することにした。




『押し倒そう』

「押し倒しましょう!」


 相談は終わった。

 そして、その日の夜。


「どうした、力比べか?」

「そうですね。今後の上下関係を、そろそろ決めておこうかなと思いまして」


 同じタイミングで相手を押し倒そうとした二人は、見事に失敗した。その結果、ベッドの上で謎の力比べが始まったのだった。


 わりと全力で押す結衣と、かなり余裕のある龍誠。


「……んっ……んんっ、ぁ……んんんっ!」


 その声で龍誠は余裕を失った。

 

 ……まずい、理性が。


「なかなか、粘りますねっ」

「そろそろ諦めたらどうだ?」

「龍誠くんだって、余裕が無いの、バレバレですからね」


 結衣は龍誠の色を見て、彼に余裕が無いと気が付いている。ただひとつ間違っているとすれば、結衣は龍誠が意外と非力で、実は自分の方が力持ちなのかもしれないと考えていることだ。


 もちろん勘違いで、龍誠は徐々に息を荒くする結衣を前に、理性と戦っていた。


 こうして同じ目的を持った戦いは異なる土俵で火花を放ち、最後は引き分けで終わったのだった。


「……」

「……」


 いつものように背中合わせで寝る二人。

 完全に「そのつもり」だったから、とても居心地が悪い。


 眠れないし、声もかけられない。

 このままモヤモヤした気持ちを抱えて日々を過ごすのは苦しい。せめて結婚式の前には解決しておきたい。


 二人が同じことを思っていた。


 ……変態、失望しました、さようなら。もしも、そう言われたら


 ……積極的に行動して、もしも痴女認定されてしまったら


 簡単なはずのことが、どうしようもなく難しい。


 ……でも、いつまでもこのままってワケにはいかないだろ


 ……何を躊躇っているのですか。愛し合う夫婦なのですよ


 同時に深呼吸をして、


「結衣!」

「龍誠くん!」


 同時に、声を出した。


「……どうした?」

「……龍誠くんこそ、どうしましたか?」


 再び沈黙。

 勇気を振り絞ってみたものの、互いに何を言えばいいのか分からない。


 やらないか? はい喜んで!

 そんなやりとりは無理だ、二人にはハードルが高過ぎる。


 黙って体に触れ、そのまま流れで……

 これも無理だ、二人にはハードルが高過ぎる。


 だから遠回りに、慎重にゆっくりと進むしか無い。


 ……上等だ、やってやるよ。


 まず先手を打ったのは龍誠だった。


「最近、妙に薄着でいることが多いよな」


 結衣はビクリと緊張した。

 発言の意図が分からなかったからだ。


「ええ、言ってませんでしたが、暑がりなのです」

「そうだったのか」

「そうでした」


 会話終了。

 やべぇ続かねぇと悶える龍誠を背に、結衣は今の発言に何か深い意味があったのではないかと考える。


 ……寒い季節に薄着でいる相手について思うこと。

 つまり私の体調が心配だったということですね! やっぱり大事にされてます! 嬉しい!


「体は強い方なので、安心してください」


 龍誠は困惑する。

 今のはどういう意味だ? 体が強い、安心して……つまり遠慮なく来いってことか? ……いやいや慌てるな、それとなく探りを入れてみよう。


「多分、思ってるよりも激しいぞ」


 激しい……症状の話でしょうか?

 確かに大人になってからの風邪は辛いと聞きます。


「体力には自信があります。休みなく働いていた日々は、伊達ではありませんよ」


 これはもう行くしかないんじゃないか!?

 ここで引いたら男じゃねぇよ、みさきにだってヘタレ扱いされるに違いない……よし、いくぞ。


「出来るだけ優しくするが、辛くなったら直ぐに言ってくれ」


 看病してくれるということですね。

 ふふっ、私はまだ風邪をひいていませんよ?


「龍誠くんは心配性ですね」

「……経験が無いからな」


 そっと、龍誠は手を伸ばす。

 心臓は壊れるんじゃないかと思うくらい騒いでいて、もうひとつの心臓も破裂するんじゃないかってくらいに熱くなっている。


「逆に、私は経験豊富なので安心してください」


 ピタリと、龍誠は手を止めた。


「私も最初は不安でしたが、数を重ねるうちに、ゆいも安心してくれるようになりました」

「安心!? ゆいちゃんが!?」

「そこまで驚くことですか?」

「驚くに決まってんだろ。お前、娘に何させてんだよ!?」


 あまりに過剰な反応を受けて、結衣は眉をひそめる。

 ……何か、食い違っているような。


「私は看病について話しているつもりですが、龍誠くんは何を?」

「カンビョウ……看病?」

「ええ、寒い季節にも関わらず薄着で居る私を心配してくれたので、そういう話だと認識していました」

「……………………ああ、おう、そうだ」


「嘘ですね、今のは声だけで分かります」

「……」


 龍誠は逃げたい一心で結衣に背を向けた。

 入れ替わるようにして、今度は結衣が龍誠に体を向ける。


「焦りと、安心? それから……ッ!?」


 そこで彼の色を見て、結衣は気が付いた。そのまま絶叫しかけて、しかしギリギリで踏み止まる。


 龍誠くんの立場で考えたら、今迄の会話はどういうことになるのだろう。


 ――体は強い方なので、

 ――思ってるよりも激しい、

 ――体力には自信が、

 ――出来るだけ優しく、


 瞬間、結衣の全身が沸騰したように熱くなる。

 だけど必死に堪えて、呼吸を整えて、


「……龍誠くん」


 名前を呼ばれて、龍誠は全身を緊張させた。

 何を言われるのか彼には検討も付かない。ただ、土下座の準備だけは出来ている。


 結衣は少し俯いて、


「子供が自立出来るまでに、いくら必要だと思いますか? ざっとフェルミ推定してみましょう。まず自立出来る年齢ですが、昨今の情勢を鑑みれば大学には行って当たり前、理系ならば大学院に行って当たり前の時代です。みさきとゆいが政治家になるのなら別ですが、人工知能やロボットの将来性を考慮すれば理系の道に進むでしょう。すると、娘達が就職して自立するまで24年間。0歳から24歳まで8766日。一日の食費が千円だとして、それだけで876万円。女の子なら、オシャレもしたいでしょう。無駄な服は買わせないとしても、年に三着は必要だと思われます。上下込の一式が1万円だとして、72万円。次に学費ですが、大学院卒業までを考えれば、600万円は必要です。優秀な娘達ですから、海外も視野に入れなくてはなりません。すると倍は必要でしょう。お小遣いは中学生から毎月5千円と決めているので、全部で40万円程。その他、学習用の雑費が7歳から月平均で一万円かかるとして、200万円程。全て足し合わせると2500万円くらいですね」


 予想外の言葉に龍誠は面食らった。あまりにも唐突だったけれど、結衣が真剣に言っていたのは分かる。だから龍誠も、なんとか理解できた範囲で返事をした。


「一人2500万か……大変だな」

「龍誠くんの甲斐性では、そうでしょうね。しかし安心してください、既に娘達の分は確保できています」


 さも当然の事のように言った結衣に、龍誠は肩を小さくする。もっと給料を上げなくては。


「さて、どうして私がこんな話をしたのか分かりますか?」

「……将来のことを考えようってことか?」

「違います。ヒントは、お金の心配はいらないということです」


 ピンと来ない龍誠。

 そのまま沈黙が続いて、果たして耐えられなくなったのは結衣の方だった。


「時間切れです」


 結衣は龍誠の背をそっと掴んで、


「……子供は、全部で十人欲しいと思っています」


 ギュッと手に力がこもる。


「現在26歳。安心して子供を産めるのは35歳くらいまで……分かりますか? ギリギリです」


 静かに息を吸い込んで、


「私の幸せ家族計画に、協力してくれますか?」


 彼女は精一杯の勇気を振り絞った。

 それを聞いた龍誠の答えなんて、ひとつしかない。

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