第171話 SS:みさきと寝正月
「せーのっ! ジャーンプ!」
年が明ける瞬間、ゆいとみさきは手を繋いで思い切りジャンプした。
「はっぴぃにゅーいやー!」
ゆいは空中で両手をあげた。みさきとの身長差は結構なものだけれど、跳躍力の差によって、みさきの手も同じ高さまで持ち上げられる。
スタッと着地した二人。
一年の終わり、そして始まりのイベントを終えたゆいの表情はとても誇らしげである。
一方で、みさきはとてもうとうとしていた。
「……おわり?」
「ごきょうりょくかんしゃします!」
ビシッと敬礼して見せたゆい。
みさきはこくりと頷いて、その場で横になった。
「……おやすみ」
「え!? みさき! ねたら、おすし、なくなる!」
みさきの体をガンガン揺らすゆい。
「……おすし?」
「そう!」
ちょっとだけ目を覚ましたみさき。
どうしよ、おきる?
「……おやすみ」
「みさきぃ!」
果たして睡眠欲を優先したみさき。
ゆいは絶望的な表情を見せると、涙目でみさきの名を叫んだ。
そこへ、二人を見守っていた結衣と龍誠が近寄る。
「ゆい、また朝になったら遊びましょう」
「おみくじ! はつもうで!」
「人混み、真っ暗、おばけ」
「ううぅぅぅぅ」
悪魔的な単語を聞いてゆいの心が揺れる。
その隣で、龍誠は床に寝てしまったみさきを抱き上げた。
みさきはよっぽど眠いのを我慢していたのか、この僅かな時間で完全に眠っていた。
しかし口はもにょもにょ動いていて、時折「おすし」などの声が聞こえる。
それを見て龍誠がニヤニヤしている間に、ゆいは結論をだした。
「ねます!」
「はい、おやすみなさい」
ダッシュで自分の部屋に駆け込んだゆい。
「みさきはゆいのベッドに寝かせてください」
「ありがとう、助かる」
軽く頭を下げて、歩き始める。
開けっ放しのドアに苦笑しながら部屋に入ると、ゆいがベッドの手前で力尽きていた。
龍誠はみさきをベッドに寝かせてから、床に倒れていたゆいをみさきの隣まで運んだ。それから布団を被せて、静かに部屋を出る。
「ありがとうございます」
「気にするな。ゆいちゃんも眠かったんだな」
「ええ、いつもは九時に寝かせていますからね」
寝かせている、という表現に龍誠は苦笑いした。
その言葉から普段の様子がありありと頭に浮かぶ。
「また失礼なことを考えていますね」
「気のせいだろ」
彼が結衣と頻繁に会って話をするようになってから、一年近い時間が経過した。
それによって、二人は互いのことが少しは分かるようになった。結衣は前よりも彼の考えを見抜けるようになり、一方で彼も結衣の癖みたいなものを覚えた。
結衣は何か話したいことがある時、左の手首を掴んで、唇を噛みながら目を泳がせる。
「……この後は、どうしますか?」
「特に予定はない。だから何か話があるなら、遠慮なく言ってくれ」
「別に、私は何も言っていませんが」
なんだか気恥ずかしくて結衣はそっぽを向いた。
そのまま壁に向かって声を出す。
「そこまで暇なのでしたら、少し相手をしてあげましょう」
結衣は早口に言って、龍誠に背を向けた。
その先にはリビングがあって、彼の部屋にあるのと似たようなソファが置いてある。
「近い、もう少し離れて座ってください」
「これが限界だ」
「まったく、これだから無駄に体の大きな人は……」
照れ隠しに結衣は龍誠を攻撃する。
しかし、すっかり慣れた彼は動じない。
その反応は結衣にとって面白くなかった。
目を細めて、じーっと睨む。
「本当に、すっかり態度も大きくなりましたね」
「気を使う必要が無いからな」
落ち着いた声で言って、結衣に目を向けた。
そこで見た結衣の不機嫌そうな表情がゆいにそっくりで、思わず彼は吹き出した。
「何がおかしいのですか」
「悪い、ゆいちゃんにそっくりだったから」
小刻みに肩を揺らして笑い続ける。
結衣は苛立たしい気持ちを抑えながら言う。
「あなた、最近ゆいと仲が良いですよね」
「お前ほどじゃないよ」
「何を言いますか。こそこそ会っているの、私が知らないとでも思いましたか?」
「その言い方はおかしいだろ。たまに遊ぶくらいだ」
結衣は探るような目付きで龍誠を見る。
ここ最近、結衣はゆいが隠し事をしていると感じていた。
それに加えて、何やら彼とこそこそ話している姿を見かけることがある。
もちろん容赦の無い追求をしてみるのだが、はぐらかされてしまっている。
「娘とこそこそ何をしているのですか?」
「公園で遊ぶくらいだ。最近だと逆上がりを教えてるかな。頑張ってて可愛いぞ」
「へー、そうなんですか」
結衣は疑いの目を向け続ける。
「そういう結衣だって、みさきと仲が良いよな」
「親子ですから」
「戸籍上の話な。そういえば学校ではどうなってるんだっけ? 流石に、みさきとゆいちゃんが姉妹ってのは、無理があるというか、やっぱ似てないよな」
平静を装いながら、龍誠は話題を逸らしにかかった。
結衣は彼の意図を見抜きつつ、質問に答える。
「簡単です。父親似と母親似ということにすれば問題ありません」
「なるほど。ゆいちゃんが母親似で、みさきが父親似って設定か」
「そういうことです」
妙に納得しつつ、しかし龍誠は違和感を覚える。
ゆいと結衣は、あまり似ていない。もちろん仕草や表情なんかは近いのだけれど、顔が似ているかどうかと問われれば、首を傾けざるを得ない。
子供と大人だから。
結衣は化粧をしているから。
はたまた、ゆいちゃんが父親似だった。
いずれかの理由があるのだろうけれど、龍誠は少し気になった。
「なんですか、人の顔をじろじろ見て」
「ああいや、悪い。ちょっと気になったから」
「というと?」
「それは、そうだな……」
ゆいちゃんって父親似なのか?
その話題を口にするのは少しばかり難しい。
彼は、結衣とゆいの関係や父親について何も知らない。
唯一持っている情報は、結衣が夫に逃げられたとかいう嘘なのか本当なのか分からない話だけだ。これについては本人から否定された記憶があるけれど、それすらも真偽は定かではない。
何度か考えたことはある。
みさきの特別養子縁組の件で妙に手際が良かったこと。
あれだけ働いているのに子供がいること――産んだ年を逆算した時の違和感。
もしかしたら……ゆいちゃんとみさきは、同じ境遇なのではないだろうか。
そんな考えが、ぼんやりと龍誠の中にある。
「ゆいが私に似ていないという話ですか?」
言い当てられた龍誠は、明らかに表情を変えた。
それを見て結衣は予想が的中したことを確信する。
「そういえば、まだ話していませんでしたね」
まだ、という表現をしたけれど、手続き上の関係者を除けば、結衣は誰にも事情を話していない。
それは龍誠がみさきのことを話したくなかったのと同じような理由だ。むしろ、愛娘が捨て子であるという内容を嬉々として語れる方が間違っている。
「本当に、事実は小説より奇であるとは良く言ったものです」
とはいえ、今さら彼に隠す理由は無い。
逆に話す理由も無いのだが、なんとなく、結衣は話すことにした。
これが俗に言う深夜テンションですね。
などと思いながら、結衣は静かに話し始める。
雨を避ける為に利用した橋の下。
そこで出会ったのは自分と同じ名前の女の子。
どうしてか他人とは思えなくて、引き取ることにした。
「最初は、みさきよりも無口だったのですよ?」
「……意外、だな」
その話は龍誠の予想通りで、だけど予想外の内容だった。
まさか自分と似たような境遇の人が、しかも身近にいるなんて誰が考えるだろうか。
それからも結衣は話を続けた。
自分なりに頑張って、ゆいが今の元気いっぱいな女の子になるまでの過程を楽しそうに語った。
龍誠は静かに話を聞きながら、何度も頷いていた。
彼には、きっと他の誰よりも結衣のことが理解できる。
立派な親になって、みさきを幸せにする。
それに限りなく近い思いが、結衣にもあったのだろうと思った。
本当に接点の多い相手だなと龍誠は思う。
あまりというか、まったく話題に上がらないけれど、小学生の頃には唯一の友人だった。中学以降どのような人生を歩んだのかは知らないけれど、果たして見ず知らずの子供の親となり、再会した。
どうにも他人とは思えない。
まるで自分がもう一人いるような、そんな奇妙な感覚に襲われた。
もちろん、龍誠は知っている。
彼女は自分とはまるで違う人間だ。
誠実で、厳格で、なにより聡明だ。
端から見ていると近寄り難い印象を受けるけれど、話してみれば子供っぽい一面が見えてくる。
「それなのに」
不意に、結衣は声の調子を変えた。
「大事に大事に育てた娘が、最近は、私よりも、あなたの方を優先しています。本当に、これはいったいどういうことなのですか」
「どうって言われてもな……」
せっかく逸らした話題が戻ってきたことに、龍誠は息を吐く。
実のところ、彼は事情を全て知っている。だけど、それを結衣に話すことは出来ない。
「まあ安心しろ。あの子にとっての一番は、お前だよ」
「なんですか、その、ゆいのことは俺が一番分かってるぜ、みたいな態度。腹が立ちます」
「どうすりゃいいんだよ」
笑うしかない。実際に、龍誠は笑い混じりに言葉を口にした。
結衣はいっそ不機嫌になって、睨み続ける。
それからも二人は、部屋の壁が厚いのを良いことに、わいわい話を続けた。
そうしていると――突然、二人の間に誰かが飛び込んだ。誰かって、みさきである。
「みさきっ?」
「ごめんなさい、声が大きかったですか?」
騒ぎ過ぎたせいで、みさきが起きてしまったと思った二人。
しかし、みさきは首を振って、窓の方に目を向けた。
そこで二人は、初めて朝になっていたことに気が付いた。
「もうこんな時間でしたか」
「早いな、全然気が付かなかった」
みさきは欠伸をしながら、驚く二人を交互に見る。
「みさき、ゆいはまだ寝ていますか?」
「……ん」
みさきは少しだけ不機嫌そうにうなずいた。
その反応を龍誠は見逃さない。
「どうかしたのか?」
みさきは口を一の字にして、先ほどまで眠っていた部屋の方を見る。
「ゆいちゃん、うるさい」
不機嫌そうに言ったみさき。
結衣は頭を抱え、龍誠は楽しそうに笑った。
「起こしてきます」
「ああ、分かった」
ほんの少しだけ頬を朱に染めて、結衣はみさきから逃げるようにして立ち去った。
残された龍誠は、みさきに声をかける。
「おはよう。今日はどうする?」
「……どう?」
よく見ると、みさきはまだ眠そうだった。
「もう少し寝るか?」
「……ん」
頷いて、龍誠の膝に乗る。
そのまま背を預けて、目を閉じた。
龍誠は横になった方がいいんじゃないかと思いながらも、みさきの意思を尊重する。
「……俺も少し寝るか」
欠伸をひとつ。
龍誠も目を閉じた。
せめて結衣に一声かけてから。
そう思ったけれど、睡魔は思ったよりも近くに潜んでいたらしい。
*
声が聞こえる。
誰かのすすり泣く声だ。
ゆっくりと開かれた龍誠の目に、茜色の景色が映り込んだ。
それは見慣れた友人の部屋に似ていて、そこで彼は眠ってしまっていたことを自覚した。
「マジか、もう夕方かよ」
「……遅いですよぉ」
その声に反応して、龍誠は隣に目を向けた。
そこには涙目で膝を抱える友人の姿があった。
「どうした、いったい何が――ああ、そういうことか」
すっかり目を腫らした結衣の頭上。
そこで此方を覗き見る兎と目が合って、龍誠は事情を察した。
兎の正体は、ゆいがプレゼントした髪留めだ。
ゆいは一生懸命にアルバイト――龍誠の肩叩き――をして貯めたお金で、それを購入した。
金額にしてみれば、大人が一時間働くだけで手に入るような物。
仮に高価な物だとしても、龍誠は財布の紐を緩めていただろう。
しかし、ゆいはそれを許さなかった。
日給百円で龍誠の肩を叩き、叩いて叩いて、お金を貯めた。
ゆいと龍誠がハロウィンの夜に交わした契約。
今日まで結衣に隠してきた約束の答え。
果たして龍誠が寝ている間に全てを知った結衣は、ぐすんぐすん泣いていた。
「起こしてくれよ、誕生日会」
「……起こしました。何度も」
「そ、そうか。それは悪かった」
気が付いていないだけで、疲れが溜まっていたのかと龍誠は考える。
一方で結衣には話したいことが山ほどあった。
「あの子、肩叩きが上手になっていました」
「ああ、毎日やってたからな」
龍誠は目を閉じて「かゆいとこないですかー?」という掛け声を思い出す。
小さな手で、力も無いに等しいくらいだったけれど、日々パソコンと向き合うことで凝り固まった肩に伝わる母への思いは、とても心地良かった。
「これから毎日叩いてくれるそうです」
「そうか、それは良かったな」
「反応が薄いですよ! もっと感動してください!」
「分かった分かった」
寝起きで頭の働いていない龍誠は、普段ゆいの話を聞いている結衣のように、感極まった結衣の話を聞き続けた。
彼女は誕生日会における娘の言動や行動を事細かに話し、いちいち感動していた。
龍誠は和やかな気持ちで話を聞き続けていたのだが、頭が冴えるにつれて、彼女の驚異的な記憶力に恐怖を覚え始める。しかし、まあ俺もみさきが相手ならこんなものかと納得して、それから二時間の間、彼女の話を聞き続けた。
話が一段落したタイミングを見計らって、彼は言う。
「そういえば、みさきとゆいちゃんはどこに行ったんだ?」
「みさきと一緒に寝ています。少し疲れたようです」
「そうか……今年もみさきと初詣に行きたかった」
「寝過ごしたあなたに非がありますね。悔い改めなさい」
厳しい口調で結衣は言った。
「まあ、そうだよな……」
本気で落ち込んだ様子で、龍誠は溜息を吐いた。
それを見て結衣は少しだけ罪悪感を覚えた。
もっとちゃんと起こしていれば、彼が年に一度のイベントを逃すことは無かった。
「これから私が同行しましょうか?」
「いや、今から行っても仕方ないだろ」
「言ってみただけです」
慣れないことをしたと結衣は後悔する。
しかし龍誠には、彼女が珍しく励まそうとしていたことが伝わっていた。
「ありがとな」
「……なんですか、急に」
これまた珍しい言葉を聞いて、結衣は照れた。
その反応には気が付かず、龍誠は呟く。
「あっという間の一年間だった」
「そうですね」
「本当に時の流れが早いというか……みさき、もう三年生になるのか」
「まだ三ヵ月ほど先ですよ」
直ぐだろ、龍誠は答える。
そうですね、結衣は静かに頷いた。
それから、あっという間に過ぎ去った一年間を思い出して、二人は暫く感慨にふけっていた。
そこで、龍誠は何かに気が付いたように声を出した。
「そういえば、結衣っていくつになったんだっけ?」
「……はぁぁ?」
なぜ怒られたのか、龍誠は本気で分からない。
「あなたと同い年ですよ。同級生なのですから」
「そ、そうだったな。悪い悪い」
「本当に、一体なんの嫌がらせですか? あえて年齢を言わせることに、何の意味があったのですか?」
「ごめん、ほんと悪かった。でも、まだそんなに気にするような年じゃねぇだろ」
気にしますよ、と結衣は言う。
「部下が言っていました。女は二十五までだと」
「命知らずの部下だな……」
「誤解をしているでしょうから言っておきますが、女性ですよ。確か娘の話をしていた時に、私も二十五までには結婚したいと語っていました。二十五を過ぎると賞味期限切れだそうです」
「いやいや、何を根拠に」
「複数の男性が言っていたそうです」
力強く言って、結衣は龍誠に目を向けた。
あなたはどうなのですか? という脅迫のような目。
「俺は……」
龍誠はいくらか慌てながら、自分に問いかける。
結衣を見て、考えて、答えは直ぐに出た。
「去年よりも今の方が魅力的に見えるよ。結衣のこと」
「……そ、そう、ですか」
いつも通りの何気ない口調で彼は言った。
しかし結衣は、途端に頭が真っ白になる。
「また何か変なこと言ったか?」
「……い、いえ、特には」
目が離せない。
結衣は十年以上想い続け、しかし新しい時を友人として共有した異性を前に、動けなくなった。
思ったことを言っただけの龍誠は、その反応に首を傾けた。
しかし、唐突に気が付いてしまった。
結衣の表情が、いつもと違う。
どう違うのか的確に表現することは難しい。
ただ、動けなくなった。
頭の中が真っ白になって、目を離せなかった。
世界が凍り付いて、背景は空気に溶けた。
音も色も消えて、二人の存在だけが残された。
互いの存在が少しずつ大きくなる。近付いていく。
そして、ほんの一瞬だけ重なり合う。
次の瞬間、結衣は弾かれたようにして龍誠から離れた。
そのまま立ち上がり、逃げるようにして自室へ駆け込んだ。
龍誠は結衣の背中を追うことも出来ず、ただ呆然としていた。
「……」
やがて、ゆっくりと手を動かして、唇に触れる。
そこに刻まれた感覚は、いつまでも残り続けた。
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