第170話 SS:みさきとハロウィン!

「トリック・オア・トリート! お菓子をくれないと悪戯しちゃうぞ☆」

「しちゃうぞ!」


 十月の終わり。

 真夜中に訪れた来客の姿を確認した龍誠は、そっとドアを――


「(ドアに足を挟んで)……いたずらしますよっ」

「黙れ、なんだその恰好。気が狂ったか」

「違います、これがこの国の正装ですっ」

「なんだと?」


 あらためて、龍誠は結衣の恰好を見る。


 茶と黒の縞々模様。

 魔女っぽい帽子、肩口と胸元が大胆に開かれた服、際どいスカート。


 ゆいの方は素直に可愛いで済ませられるけれど、結衣はダメだ。どう見ても怪しい店から出て来た人だ。


 龍誠は強く思う。


 すげぇエロい。

 普段はスーツ姿しか見ないからギャップがすごい。


「まさかとは思うが、お前その恰好で歩いてきたのか?」

「何か問題でも?」

「逆に無いと思うのか」

「問題ありません。今日は特別な日ですから」


 堂々と言い放つ結衣を前に、龍誠は動揺を隠せない。


「日本には、いつから痴女の日なんてものが出来たんだ……」

「なっ、誰が痴女ですか! 確かに露出の多い服装ではありますが、ならば海やプールはどうなりますか? 未成年の入場は制限されていますか?」


 ぐいぐい迫る結衣。

 龍誠が目を逸らしながら後退すると、ゆいはささっと部屋に駆け込んだ。


「おかしくれないとイタズラしちゃうぞ!」


 直後に大きな声が聞こえてくる。


「……ごめんなさい」


 そのまた直後に、しゅんとした声が微かに聞こえた。


「いったい何が?」

「みさき、アニメ観てるから」


 静かにしてと怒られている姿が二人に脳裏に浮かぶ。


 微妙な沈黙。

 おかげで少しだけ落ち着いた龍誠は、幾分か冷静に言う。


「着替えとか持ってないのか?」

「ありませんよ」


 大きな溜息。

 あんまりな反応を受けて、結衣は少しだけ不安になる。


「そんなにおかしいですか?」

「どう見てもエロ、違う、おかしいだろ」


 思わず本音が漏れた龍誠。

 結衣はいっそ悲しい気持ちになった。


「ゆいは似合っていると言ってくれました」

「いやいや、年齢を考えろよ」


 目のやり場に困るという意味で言った龍誠

 年増が若作りするなと受け取った結衣。


「年齢は、まだギリギリ大丈夫です」

「いやいや、せいぜい中学生までだろ」

「少女趣味があったのですか?」

「そうじゃねぇよ。だからその、つまり……」


 言葉を探す龍誠。

 あまりにもエロくて目のやり場に困ります。


 これをどうにか上手い表現で伝えられないかと考える。


「つまり、なんですか?」


 彼の心情は結衣にしっかり伝わっていた。

 興奮と困惑、そのくらいは見て取れる。しかし具体的に何を考えているのかは分からない。


 龍誠は悩んだ。

 ひたすらに悩んで、やがて意を決してこう言った。


「そんな格好をしてると、イタズラされちゃうぞ」


 絶望的な沈黙が彼を襲う。


「もういい、お茶くらいは出すからゆっくりしていってくれ」


 結衣は返事をしないで固まっていた。

 彼はいったい何を言ったのだろう。


 少し考えて、もう少しだけ考えて、やがてイタズラという言葉の意味を理解する。


 結衣は途端に恥ずかしくなって、両腕で胸を隠した。


「……ゆいとみさきの所へ行きます」

「……おう」



 *



 数分後、四人は机を囲んで座っていた。

 ゆいは結衣の膝に座り、みさきは龍誠の隣で子供用の椅子に座っている。ついでに、結衣が持ってきた衣装で、ゆいとお揃いの仮装をしている。


 机上は蓄えられていたスナック菓子とジュースに支配されていて、龍誠はケータイを片手に先ほど撮影したばかりの写真を眺めていた。


「みさきは何を着ても可愛いな」

「……ん?」


 背中に付いた羽が気になっていたみさきは、きょとんと首を傾けながら龍誠に目を向けた。


 その瞬間を逃さずカシャリ。龍誠は恍惚とした表情で、撮ったばかりの写真を眺める。


「私の仮装には散々文句を言ったくせに、みさきの仮装には夢中になるのですね」

「ゆいちゃんの写真もあるぞ、見るか?」

「うるさい、こんな屈辱は初めてです」


 文句を言いつつ、結衣はスマホを取り出した。


「写真なら既にギガ単位で存在しています」

「どんだけ撮ったんだよ……」


 龍誠はカメラの解像度から一枚あたりの容量を概算し、少なくとも五百枚は撮っていると悟ったところで考えるのを止めた。


「ママのしゃしんもあります!」

「そうか……」

「失礼なことを考えている目ですね」

「気のせいだろ」


 ちょっと卑猥な写真集みたいなものを想像したなんて口が裂けても言えない。


 その悶々とした気持ちを悟ったのか否か、ゆいは大きな声で言った。


「いちまい五十円でどうですか!?」

「ゆい、やめなさい」

「セールスチャンス!」


 相変わらず妙な言葉を知っているなと龍誠は思う。

 一方で結衣は膝に乗ったゆいを持ち上げて、自分の方を向かせた。


「お金が欲しいのならママと交渉しましょう。ゆいのスキルによっては、限度額が増えていきますよ」

「いっぱいちょうだい!」

「よろしい、月々五十万円から交渉を始めましょう」

「わーい!」


 龍誠は相変わらずの親バカっぷりに苦笑いしつつ、みさきに目を向けた。


 みさきは相変わらず背中の羽が気になるようで、自分の尻尾を追いかける猫のように、狭い椅子の上でクルクル回っていた。


 その姿が面白くて、龍誠は思わず吹き出した。

 みさきは笑い声が気になって動きを止め、また龍誠に目を向けながら首を傾ける。


 その時、同時にみさきの体も傾いた。

 クルクルしていたことで目が回ったらしい。


 慌てて手を伸ばす龍誠。

 ギリギリでみさきの背に手が届き、椅子からの落下を阻止した。


「みさき、大丈夫か?」

「……りょーくん、いっぱい」

「どんだけ回ったんだよ。危ないからもうやるなよ」

「……ん」


 しゅんとするみさき。

 瞬間、彼の心臓が激しく脈を打った。


 まるで漫画の世界から出てきたような仮装をしているみさき。

 ほとんどは結衣と同じだが、その背には小さな羽が生えている。


 蝙蝠を模した黒い羽で、しかし龍誠には純白な天使の羽に見えた。


「……みさき」


 言葉にならない思いを込めて、龍誠は天使の名を呟いた。


「……りょーくん」


 なんとなく雰囲気に合わせて、みさきは龍誠の名を呼び返した。


「りょーくん!」

「どうした?」


 いつの間にか隣に立っていたゆい。


「ママがしっとしてます!」

「していません!」


 すかさず言い返した結衣。

 しかし、ゆいは止まらない。


「もっとママのコスプレにきょうみをもって!」

「なっ、ゆい、これは貴女がハロウィンの正装だと」


 愕然とする結衣。

 ゆいは口を両手で隠して、やってしまったという顔をする。


「も、もっと……もっとママとのコスチュームプレイにきょうみをもって!」

「ゆい、やめなさい。やめてください」


 ゆいは少し悩んで、


「ママのしゃしん五百円でどうですか!」

「ゆいちゃん、もしかしてママと喧嘩しちゃったのか?」

「そうしそうあい!」


 流石に結衣がいたたまれなくなってフォローを試みた龍誠。しかしゆいは独特な言葉遣いで否定する。


 何が何だか分からない龍誠は、説明を求めて結衣に目線を送った。だが逆に、彼女は救いを求めるような目で龍誠のことを見ていた。


「ゆいちゃん、もしかして俺に話したいことがあるんじゃないか?」

「さすがです!」


 ゆいは目を輝かせて、龍誠の耳元に顔を寄せる。

 そのまま声を出そうとして、直前に結衣が聞き耳を立てていることに気が付いた。


「こっち!」


 龍誠を引っ張るゆい。

 彼は結衣に目配せをしてから、ゆいに引っ張られた。


 残された結衣は、寂しそうにゆいの背中を見送った後、力なく呟く。


「……やはり、反抗期」

「はんこ?」


 机をトントンするみさき。


「そっちじゃありませんよ」

「……ん?」


 首を傾けるみさき。

 その無垢な仕草を見ていると妙に気持ちが落ち着いて、結衣は大きな溜息と共に脱力した。


 一方で龍誠は、ゆいから全てを聞き終えていた。


「なるほど、そういうことなら早く言ってくれ」

「ごくひじこう!」


 ゆいは龍誠に小指を伸ばす。

 龍誠は和やかに微笑んで、同じく小指を伸ばした。


 この時に二人がどんな約束を交わしたのか。

 それを結衣が知るのは、少しだけ先の話だ。

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