第168話 SS:みさきとお弁当


 みさきは二年生になった。

 お世話になった六年生が卒業して、同時に初めての下級生が入学した。


 などなど様々なイベントがあったけれど、みさきの興味は目先の遠足に向けられている。

 二年生の遠足は、ちょっとだけ高度。


 電車に乗って、隣駅で降りて、直ぐ近くにある小さな遊園地へ行く。

 

 みさきは電車には乗ったことがある。

 だけど遊園地には行ったことが無い。


 とても楽しみだった。


 それはそれとして、龍誠はひとつの問題にぶち当たっていた。

 何って、お弁当作りである。


 ……あいつを頼るしかないか。


 果たして遠足の前日。

 龍誠は結衣と二人、台所に並んで立っていた。


 今日は日曜日。

 遠足は保護者の準備なんかを考えて、月曜日に予定されている。


「大きい、やり直し」

「マジか、まだ大きいのか」


 結衣から容赦の無い指摘を受けながら、龍誠はおにぎりを作っていた。

 おにぎりに料理の要素など皆無だけれど、わざわざ練習をしているのには理由がある。


 サイズ感である。

 以前に何度か龍誠のガサツな男料理を見ていた結衣は、それについて思うところがあった。


「何度も言っていますが、みさきの手と口の大きさを考えてください」

「だから、これくらいでいいと思うんだが……」

「ダメです。まだまだ大きすぎます」

「それだけ俺の中でみさきの存在が大きいってことだな……」

「やる気が無いなら終わりにしましょうか」

「ああいや待て、悪かった」


 慌てて謝る龍誠。

 それから遊んでいるみさきに目を向けて、あらためてサイズ感をイメージする。


 今しがた龍誠が作ったおにぎりは、ちょうど彼の手の平くらいの大きさだ。

 龍誠の頭の中には、このおにぎりを両手で持ち、大きく口を開け、嬉しそうに食べるみさきの姿が浮かんでいる。


「不満そうですね」

「……そんなことは」

「分かりました。少し待っていなさい」


 結衣は蛇口を捻り、軽く手を濡らした。

 それからサランラップを異常に長く伸ばし、次に炊飯器から内釜を持ち上げて、ラップの上でひっくり返す。


「待て、言いたいことは分かった。俺が悪かった」

「深く反省してください」


 結衣は暫く龍誠を睨んだ後、子供達に目を向けた。

 すると視線に気が付いたゆいが小走りで駆け寄る。


「なんでしょう!?」

「ゆい、おにぎりを作ってください」

「はい!」


 元気良く返事をしたゆい。

 慣れた動きで手を洗った後、ささっとおにぎりを作った。


「できました!」

「はい、良くできました」


 得意気な顔をしたゆいからおにぎりを受け取ると、無言で龍誠に差し出した。

 彼女の手にちょこんと乗ったおにぎりは、先ほど龍誠が作ったものとは比較にならないくらい小さい。


「……」


 微妙な表情になる龍誠。

 結衣は次に、そのおにぎりをみさきに差し出した。


 みさきは結衣とおにぎりを交互に見る。


「どーぞ!」


 ゆいが大きな声で言った。

 みさきはコクリと頷いて、おにぎりを両手で受け取る。


 龍誠には豆粒のように小さく見えたおにぎりは、しかしみさきにとっては少し大きいくらいだった。

 みさきは大きく口を開けて、パクリと小さなおにぎりの半分くらいを口に入れた。


 もぐもぐ口を動かすみさき。

 ほっぺを膨らませると、残ったおにぎりを口に詰め込んだ。


 その愛くるしい姿を見て龍誠は幸せな気持ちになるのだが、一方で結衣は冷ややかな目線を向け続けている。


「あなたが大きな物ばかり与えるから、みさきにおかしな癖がついています」

「おかしな癖?」

「頬を含ませる食べ方のことです。今は幼い子供だから可愛いで済みますが、仮に私が同じ食べ方をしていたらどうですか?」

「お前が……?」


 結衣が頬を膨らませて、次々に食べ物を口に入れていく姿……。


「まあ、腹が減ってんのかなと」

「バカですか、みっともないでしょう」

「それは言い過ぎじゃないか?」

「マナー違反です。親の質を疑われますよ」


 ぐっ、と龍誠は言葉に詰まる。

 マナーとか、親の質とか、そういう言葉を使われると何も言い返せない。


「……分かった、気を付ける」

「悔い改めてください」


 龍誠は反省した様子で頷いて、みさきに目を向けた。

 未だに頬を膨らませたまま咀嚼を続けているみさき。


 今は狂おしいほど可愛いけれど、もしも十年後に同じことをしていたらどうだろうか。


 ……可愛い。


 落ち着け、十年じゃ足りない。

 今の自分と同じ……そう、二十年後で想像してみよう。


 ……可愛い。


「ニヤニヤしているところ悪いのですが、時間が惜しいのでさっさと進めましょう」

「悪かったよ。怒るなって」


 くっ、これもみさきが可愛すぎるせいだ! と唇を噛む龍誠。

 そんな考えは八割ほど結衣に筒抜けで、彼女は溜息を零しつつ、彼に負けず劣らずニヤニヤしている娘に目を向けた。


「ゆい、ありがとうございました。もう戻って良いですよ」

「はい!」


 その表情にはあえて触れない。

 ゆいは元気に返事をした後、みさきの手を引っ張って元の場所まで走った。


 ちょうどそこで口の中の物を飲み込んだみさき。

 龍誠の方に目を向けてから、ゆいに問いかける。


「なに?」


 あれは何をしているの?


「ごにょごにょ」


 みさきの耳元でこっそり言うゆい。


「……ん?」


 よく分からなかったみさき。

 でもゆいは気にしないで、また元気な声で言う。


「あしたのえんそく、楽しみだね!」

「んっ」


 それは良く分かるみさき。

 それから二人は、たまに聞こえる声――結衣が龍誠を叱る声――に耳を傾けながら、二人で人形を使ったオママゴトを続けたのだった。




 翌日。

 初めての遊園地をちょっぴり楽しんだみさき。


 友達と一緒にお昼ご飯。


 グループのリーダーが広げたブルーシートに座って、背負ったリュックに入れてあった弁当箱を取り出す。


 ちょっぴり大きな弁当箱。


 小さなおにぎりと、少し不格好な卵焼き。

 そこそこ綺麗なサンドイッチ、端っこにはプチトマト。


 目を輝かせるみさき。

 早速おにぎりを手に取って、大きく口を開けた。


 空振り。


「……」


 おにぎりを奪い取ったゆいを睨むみさき。


「まだいただきますしてません!」

「いただきます」


 そう言って、次のおにぎりを手に取ったみさき。


「だめ!」


 反対の手でおにぎりを奪い取ったゆい。

 みさきは少しムッとする。


 その変化を感じ取って警戒心を高めるゆい。

 暫く睨みあった後、みさきは弁当箱からプチトマトを取り出した。


「ひきょうもの!」


 怯えた目をして距離を取るゆい。

 果たしてみさきは、プチトマトを盾に、ようやくおにぎりを食べることに成功した。


「うううぅぅぅぅ!」


 悔しそうに唸り声をあげたゆい。


 ゆいちゃんまた負けたね。

 そうだねー。


「負けてない!」


 横から聞こえた声に憤慨するゆい。

 一方でみさきは、りょーくんが作ってくれたお弁当を幸せそうに食べていたのだった。

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