第152話 思い出した日


 彼女達が訪れたのは、朝食を終えて一息ついた頃だった。

 

「おじゃましまーす!」


 元気いっぱいのゆいちゃんと、


「…………」


 保護者の結衣と、


「…………」


 そして朱音が、偶然にも同時に到着したようだ。


 ……最悪の展開だ。

 まさか朱音と同時に到着するとは思わなかった。


 俺は、ゆいちゃん達が先に来て、それから暫くして朱音が来ると思っていた。

 そういう前提で、いくつかの行動パターンを準備してあった。


 果たして前提から崩れ去った計画は意味をなさない。

 そのうえ、朱音と結衣が微妙な感じになっている。


 ……朱音が結衣を快く思わない理由は、いくら俺でも理解出来る。だけど逆は分からん。朱音が何か気に触ることを言ったのか? いやいや、そんな攻撃的なヤツじゃねぇ。結衣にしたって、わざわざ敵を作るような事はしないはずだ。


「みさき! きょうはトランプ! トランプでしょうぶ!」


 あっちは平和だなぁ……って和んでる場合じゃねぇよ。


 とりあえず小日向さんはリビングにいる。

 インターホンが聞こえた後、俺が真っ先に動いたからだ。


 今は玄関に三人で立っている状況。

 ゆいちゃんが一直線に走っていったから、俺だけ戻るのが遅いのはまずい。


 クソっ、考えてる時間が惜しい。

 とにかく何か言わねぇと。


「あー、二人は初対面だったか?」


 ……いやいや、睨んでないで返事をしてくれよ。


「まゆちゃん! しんぱんやってください!」


 ほんと愛されてんな小日向さん。

 さておき、ナイスだゆいちゃん。そのまま時間を稼いでくれ。


「何を喜んでいるのですか?」


 このエスパー、一言目がそれかよ。

 つうか何で分かった? 顔に出てたか?


「喜んでる? どこが?」

「あら、分からないのですか?」


 なんで二人とも喧嘩腰なんだよ……。

 

「おまえら落ち着け、何かあったのか?」

「……べつに、普段通りです」


 お前その態度で本当に何も無かったらやべぇぞ。


「つうか龍誠、どういうことだよ」

「何がだ?」

「なんでもう一人呼んでんの?」

「いや、そいつは保護者として来ただけで……」


 っ!? 結衣に睨まれてる。


「どうかしたか?」

「いいえ、ただ少し疑問に思っただけです。女性を部屋に呼びつけて、どういうつもりなのかと」

「いやそれは、遊びに来たいって言うから、おういいぞ来いよみたいなノリで」

「……なあ龍誠、もしかして来たら迷惑だったのか?」

「そんなことはないっ」


 何だこの状況、どうすればいい。

 結衣をフォローしたら朱音が、朱音をフォローすれば結衣が不機嫌になる。

 なんでこいつらこんなに仲が悪いんだよ!?


「もしかして、どこかで会ったことがあるのか?」

「いいえ、今日が初対面です」

「名前も知らないし。つうか龍誠とどういう関係?」


 朱音が気にしてるのは、やっぱりそこだよな。

 それなら普通に話せば――


「みさきはご存知ですか?」

「龍誠の子供でしょ」

「ええ。私は彼女の母です」

「はあ!?」


 ……ああ、そうだったな。小日向さんにもそう言ってたよな。

 だけど、もっと他にあるんじゃねぇの?

 

「おい龍誠どういうことだよ」

「どうって言われてもな……」


 どう答えればいいんだよマジで。


「ふふふ、どうも何もただの事実ですからね」


 分かった、こいつ楽しんでやがる。

 ……後で覚えてろよ。


「その話、私も詳しく聞きたいです」


 おいおい嘘だろ。


「小日向さん、いつの間に?」

「たった今来たところです。でも声は初めから聞こえていました」


 ダメだ逃げ場が無い。


「……分かった、ちゃんと説明するよ」


 これまでは隠すことが出来たけれど、今回は無理そうだ。

 まさかこんな理由で話すことになるとは……。


「とりあえず、あっちで座らないか?」



 *



 この部屋に四人の大人が座れる場所は無い。机には四つの椅子があるけれど、ひとつは子供用で、大人が座るのは少し難しい。果たして三人が椅子に座り、俺は立って話をすることになった。


 ――俺は、窓の外を見ていた。

 とにかく遠い所を、ただ慢全と眺めていた。


 振り向きたくない。

 頭の中には、その一言だけがある。


 背中を襲うヒリヒリとした焼けつくような感覚は、まるで銃口を向けられているかのようだ。

 それに比べて、あの空は何と平和なのだろう。


 そして――


「わー! そっちダメ! そっちはダメ!!」


 みさきとゆいちゃんは、ソファでババ抜きをしているらしい。出来ることなら、あっちに参加したい。


「なあ龍誠、まだ?」


 鋭い声が俺を現実に引き戻す。

 分かっている。元を辿れば俺のミスだ。朱音に電話をかけ直すという選択肢もあったのに、そうしなかったのは俺だ。


「その通りです。いつまで待たせるつもりですか?」


 だが半分はこいつのせいだと思う。

 ほんと、何の恨みがあるんだよ……。


「悪い、どこから話そうか考えてた」


 俺は決死の覚悟で振り向いた。


 やはり朱音がスゲェ睨んでる。

 それから小日向さんは……いつも通りの表情をしているのが逆に怖い。

 最後に結衣だが、妙に爽やかな表情をしていて腹が立つ。マジで何を考えてるんだあいつは。


「とにかく全部聞かせろよ。母親ってどういうことだよ」

「なるべく分かりやすく話せるように考えてるんだ、少し待ってくれ」


 ……落ち着け、俺はただ聞かれたことに答えるだけだ。何も悪いことはしていない。


「知っての通り、みさきは俺の娘だ」


 まだ考えはまとまっていないけれど、とにかく話すしかない。


「だけど……血の繋がりはない。どころか、赤の他人だった」


 話しながら、みさきと出会った頃のことを思い出す。

 忘れもしない二年前の話だ。


「二年前、昔の知り合いが来て、あげる、とかいうふざけた言葉で、みさきを俺に預けた」


 他に言葉が見つからなくて、ありのまま伝えると、朱音と小日向さんは驚いた表情を見せた。

 俺自身も、最も隠したい内容だったはずなのに、あっさりと言葉になって驚いている。

 

 何度かみさきと出会った日を思い出すことがあったからだろうか。声に出すのは初めてだけれど、意外にもすんなりと言葉が出る。


 すると不思議なもので、頭の中に当時の光景が次々と浮かび上がった。それと同時に、その時に考えていたことも思い出された。


 俺はずっと、無意識にきっかけを探していた。

 あの無意味な時間から抜け出す理由を探していた。


 そこに、みさきが現れた。

 あの時みさきを警察に預けるという判断が出来なかったのは、きっとそういう考えもあったからだろう。


 何より腹が立ったということを鮮明に覚えているが、どちらにせよ自己中心的な行動だった。


「いろいろあって、とにかく俺はみさきを育てることにした」


 いろいろとは言ったものの、実際は出会ってから一日くらいしか経っていなかった。

 まったく、あんな重大なことを即決するなんて今では考えられない。


「小日向さんと話すようになったのは、そのあと直ぐだ。朱音には話していなかったが、そのころ小日向さんは同じアパートに住んでいて、いろいろ助けてもらった」


 あの頃はとにかく必死だった。

 分からないことだらけで……それは今も同じだけれど、とにかく立派な親になってみさきを幸せするという目標を立てて、思い付くことを手当り次第に実行していた。


 立派な親とは何か。

 当時は常にそれを考えていた。一日の終わりには日記を書きながら振り返って、自分が目標に近付けているかどうか考えた。


 だけど考えても考えても分からなかった。

 ただひとつ、今の自分では立派な親とは程遠いということだけは分かった。


 だから俺は、自分を否定することにしたんだ。

 欠点だらけの自分を否定し続ければ、目標に近付けるんじゃないかと思った。そうして、まずは考え無しに動く自分を変えようとした。


 ……そうだ、そうだった。

 その結果が今の決断力の無い俺か。笑えないな。


「やがて、みさきを保育園に通わせることにして、そこで結衣と出会った」


 さておき話を続ける。

 ゆっくりとした話し方だけれど、誰も口を挟まなかった。わりと頻繁に聞こえてくるゆいちゃんの元気な声が気にならないくらい真面目な空気が生まれていた。


「そうして私は彼にとって最も頼れる存在となり、みさきの戸籍の件で涙ながらに相談を受け、まるで女神のような慈悲深さで母親になることを引き受けました」


 その空気ぶち壊すかのように、結衣が口を挟んだ。


「いや意味分かんないから。なに戸籍の件って」

「みさきの実親は天童くんではないので、そのままだと小学校に通うことも出来ません」

「なら龍誠が親になればいいじゃん」

「それは不可能でした」

「なんで?」

「この国の法律では――」


 ……ああもう、台無しだ。

 頭を抱える俺を差し置き、結衣が質問に答えている。

 もう最初からお前が説明すれば良かったんじゃねぇの?


「みさき! つぎはウノ! ウノやろ!」


 ゆいちゃんいろいろ持ってきてんな。

 まあ、楽しそうで何よりだ。


「――で、結局どういう関係なの?」


 ぼそっと呟くような声で言ったのは朱音。

 

「みさきちゃんと龍誠のことは分かった。でもさ、結局あんたと龍誠はどういう関係なの?」


 朱音に問われて、それまでハキハキと話していた結衣が口を閉じた。そして俺の方に目を向ける。


「どうも何も、ただの友達だよな」

「……」


 いや、そこは返事しろよ。


「結衣には感謝してる。感謝しきれないくらい感謝してる。だけど普段は皮肉を言い合うような関係というか、まあ、そんな感じだ」

「……ええ、そうですね」


 つまらなそうに、そっぽを向いて言った。

 そう何度も誤解を招くような発言をさせてたまるか。


「ふーん、なるほどね」


 朱音も納得してくれたらしい。

 何やら含みのある言い方に感じたけれど、きっと勘違いだろう。


「では逆に、そちらの金髪とはどのような関係なのですか?」

「どのようなって……」


 助けを求めて朱音に目を向けると、どこか緊張したような目で俺を見ていた。

 俺に言えってことか? いやいや答えにくいってレベルじゃねぇぞ。そもそも、それを考えてここ数日眠れてないってのに……。


「朱音は、昔工場で働いていた頃の知り合いで……一年くらい前に、再会したんだ」

「なるほど、よく分かりました」


 あっさり納得したな。

 なんだか逆に不安だが……まあ、こんなもんか。


 ……会話が途切れた。

 三人は静かに俯いていて、聞かずとも何か考えていると分かる表情をしている。


「ぶー! ウノっていってない!」

「いった」

「いってないことにして!」


 この平和な声も、三人には聞こえていないのだろうか。

 なんて呑気な事を考えているけれど、一番の原因は俺だ。それは分かっている。


 とはいえ、どうすればいいんだよ。

 三人とも俺にとっては大事な友人だから、無下に扱うことは出来ない。


 だけど、きっと誰かを気遣った言葉は他の誰かの気に触る。そんなの状況で何を言えばいいんだよ。


 かといって、人任せにするのも情けねぇよな。

 何か、何か無いか……そうだ。


「ところで、相談がある」


 俺は一度みさきの方を見て、膝を折った。それから机に顔を近付けて、小声で言う。


「来週みさきの誕生日なんだけど、プレゼントは何がいいかな?」


 すると、三人は揃って呆れた表情を見せた。

 失敗したか? そう思った直後、小日向さんが堪えきれなかったという感じに失笑した。


「本当に、天童さんはみさきちゃんが大好きですね」

「ああ、みさきの為なら隕石だって止められる」

「ふひひ、そうでしたね」


 和やかに笑う小日向さんに毒気を抜かれたのか、朱音と結衣はやれやれという調子で溜息を吐いて、少しだけ表情を緩めた。


「で、誕生日っていつなの?」

「二月十四日、次の金曜日です」

「いやあんたに聞いてないし」

「お前らっ、頼むから仲良くしてくれ……」


 ともあれ、みさきのプレゼントを考えることでギスギスした雰囲気は少しだけ柔らかいものになった。


 それから少しの間だけ話をして、結衣と朱音は当日も来てくれることになった。それはとてもありがたいことだけれど、また今日と同じような状況になるのかと考えると少し憂鬱だ。


 流石にみさきの誕生日なら結衣は空気を読んでくれるだろうが……朱音と小日向さんのことを考えると、少なからず遠慮が生まれてしまうだろう。


 だから、俺は……。


 いつまでも悩んでばかりじゃダメだ。

 何が正解かなんて分からないけれど、きっと何もしないのは最悪だ。


 さて、みさきの誕生日まで五日間。

 それまでに必ず答えを出す。


 この一週間悩むことしか出来なかった俺にそんなことが出来るのかと考えると頭が痛いけれど……


 上等だ、やってやるよ。

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