第151話 あそびにいってもいいですか!?

 みさきが離れない。

 

 だめ、という言葉でスッカリ目の覚めた俺は、顔を洗う為に起き上がろうとした。しかし、みさきがベッタリくっついたまま離れない。


 困った末に無理やり立ち上がると、俺にしがみついたままのみさきが見事に持ち上がった。


 このまま放って置けば自然に力尽きるだろうが、なんだかそれは胸が痛い。

 仕方なく、みさきを左腕に乗せて行動することに決めた。


「ほらみさき、顔洗うぞ」

「あらって」

「……仕方ねぇなぁ」


 空いてる方の手でタオルを取って、みさきの顔をペチペチ拭く。


「みさき、歯磨き」

「やって」

「……仕方ねぇなぁ」


 俺は困惑しながらも、本能的にみさきの世話を続けた。


 ……まさかダメって言われるとは。


 ほんの数分前に聞いた言葉が何度も頭の中で繰り返される。

 みさきは、好んで物事を否定したがるような捻くれた子供ではない。だから本当にダメだと思ったのだろう。


 なぜだ。

 そもそもみさきは結婚が何か分かっているのだろうか。


 ……なんか変な本でも読んだのか?


 みさきに買い与えているのは漫画か教材だけだ。

 小学校の図書室に変な本など置いていないだろうし、となると小日向さんの部屋に――


 ぺちぺち。


 いやいや、流石にみさきの手が届く所に置いたりしないだろ。小日向さんはそんな人じゃねぇ。


 ぺちぺち。


 なんかみさきにぺちぺちされてんな。

 遊んでるのかと思って一度は無視したが、よく見ると何か言いたそうだ。


「どうした?」

「だめっ」


 怒られちまった。

 ……え、何に対して怒ったんだ?


「だめ!」


 駄々をこねる子供のように言うみさき。

 そもそもみさきはそういう年齢なのだけれど、こんな姿を見るのは初めてかもしれない。


 ……怒ってるみさきも可愛いなぁ。

 いやいや、うっとりしてる場合じゃねぇ。こんだけダメって連呼されるってことは、みさきは俺に結婚してほしくないってことか?


「みさき、結婚って何か分かるのか?」

「おはか」


 すげぇこと言いやがったぞ。


「誰に教えてもらったんだ?」

「まんが」


 やっぱりか。


「……」


 なんとなく言葉に詰まって、ぼんやりとみさきを見る。

 みさきは口を一の字にしてムッとした表情をしている。


 さてどうしたものか。

 恐らく何か誤解しているから、みさきの将来を考えて正しい意味を……そもそも正しい意味ってなんだ。とりあえずお墓は関係ねぇってことくらいは教えるべきか。


「みさき」

「……」


 声をかけると、みさきは口元を強張らせて、俺の腕を掴む力を強めた。

 

「いや、なんでもない」


 ……暫くこのままにしておこう。

 


 *


 

 みさきを膝の上に乗せてソファで子供向けのアニメを見続けること一時間。

 小日向さんが部屋から出てきた。


「天童さん、おはようございます」

「ああ、おはよう」


 ……いつも通りって感じだな。


「みさきちゃんも、おはようございます」

「……ん」


 みさきもいつものように頷いた。

 ……いや、最近は普通に挨拶してなかったか?


「天童さん、今日は早いんですね」

「ああ、まあ、そうだな。いろいろあって」

「いろいろ、ですか」


 言いながら小日向さんはソファに座った。

 それに合わせて、俺は反対側に少しズレる。


「それって、もしかして昨日のことですか?」

「え?」


 思わず間抜けな声が出た。

 空耳か何かだと思って小日向さんの方を見ると、彼女は伏し目がちに俺を見上げていた。

 

「違いますか?」

「それは……」


 普段と違う雰囲気に押されて少しだけ言葉に詰まる。


「……違わない」

「そうですか」


 ほっとした様子で息を吐く小日向さん。

 それから顔をあげて、いつものように微笑む。


「私もです」


 ……なんだこれ。

 どうしちまったんだ小日向さん。


 ぺちぺち。


 俺の知ってる小日向さんと違う。

 どう接すればいいのか分からん。


 ぺちぺち。


 そしてみさきにぺちぺちされている。

 とりあえず、こっちは返事しとくか。


「どうした?」

「だめ!」


 また怒られちまった。

 ダメってそれ、結婚しちゃダメって話だよな。つまり、みさきから見て今の俺はそんな感じだったってことか? いやいや、そんなこと……。


「みさきちゃん、何がダメなの?」

「小日向さんそれはっ」

「りょーくん、けっこん、だめ」


 ……遅かった。

 いやまだだ、まだ間に合う。


「小日向さんっ、みさきは変な漫画を読んだみたいなんだ」

「漫画、ですか?」

「そう、漫画の影響でっ」

「なるほど……」


 やったか?


「みさきちゃん、どうしてダメなの?」


 小日向さん!?


「けっこん、おはか、かなしい」

「お墓ですか……」


 みさきの中では完全に結婚とお墓が一緒になっているらしい。

 ほんと、どんな漫画を読んだんだ……?


「みさきちゃん、そのお墓は、悲しい意味じゃないよ」

「ちがう?」

「うん。それは、ずっと一緒にいるって意味なんだよ」

「いっしょ?」


 みさきは俺の方を見て、そうなの? と目で言っている。

 ここは小日向さんの作った流れに乗るしかない。


「ああ、小日向さんの言う通りだ」

「……ん」


 みさきは納得した様子で頷いて、ふぅと息を吐きながら脱力した。


 流石は小日向さんだ。

 あっという間にみさきを説得してしまった。


 くい、くい。

 

「どうした?」

「いっしょ」

「もちろん、みさきとはずっと一緒にいるぞ」

「けっこん?」

「それは……少し違うかもな」

「んー?」


 難しそうな声を出したみさき。

 どう説明したものか……。


「みさきちゃん、結婚は、家族になるってことなんだよ」

「かぞく?」

「そう。天童さんとみさきちゃんは、もう家族だから、大丈夫」

「……ん」


 おお、今日の小日向さんはいつも以上に頼りになる。

 みさきの性格を理解しているというか、言葉選びが絶妙だ。


「結婚は、家族じゃない人どうしが、するものなんだよ」


 そして、いつもと雰囲気が違う。

 やっぱり昨日のアレはそういう意味なのか……?


「りょーくん、まゆちゃん?」


 ちょっと待てみさき、考える時間をくれ!


「ふひひ……そういうことも、あるかもしれませんね」


 もはや疑う余地は無い。

 小日向さんは確実に俺のことを……なぜ、いつからだ?


 急に態度が変わったことからして、昨日からか?

 何かあったか? 夜に二人で話をしたくらいだろ?


 ……さっぱり分からん。

 朱音の件もあるってのに、いったいどうすればいい。


 選べってことか?


 朱音か。

 小日向さんか。

 それとも――


「りょーくん?」


 やべっ、悩んでるのが顔に出てたか。


「みさき、そろそろ朝ごはん食べたくないか?」

「ごはんっ」


 良い反応だ。

 だけど、ごまかし方が下手過ぎて小日向さんには通じてないっぽい……。


 しっかり考えて物を言いたいところだが、なんだか今はそれが許されない感じだ。空白の時間が辛過ぎる……とにかく、何か言わねぇと。


「えっと、小日向さんはどうする?」

「はい、ちょうど私も朝ごはんにしようと思っていました。用意するので、少し待っていてください」

「いや、たまには俺が用意するよ」

「いえいえ、天童さんは座って待っていてください」

「だけど毎日作ってもらっていて申し訳ないというか」

「大丈夫です。好きでやっていることなので」


 あれ、いつもは「ついで」だからって……。


「それとも、私の料理は美味しくないから嫌ですか?」

「そんなことはないっ」

「ありがとうございます。少しだけ待っていてくださいね」

「……分かった」


 こんな言い方をされたら頷くしかない。

 俺は静かに息を吐きながら、ソファに深く背中を預けた。


「りょーくん?」


 みさきぃ、りょーくんどうすればいいかな?

 そんな気持ちで、俺は不思議そうな目をしたみさきの頬をつついた。


「……ひひっ」


 気持ちよさそうに目を細めるみさき。

 そういえば、この笑い方は小日向さんの影響だったか。


 俺が家を留守にしている間は小日向さんにみさきを任せることが多くて、もしかしたら、みさきは俺より小日向さんと一緒に居る時間の方が長いのかもしれない。


 そう考えると、みさきにとっては――


「りょーくん」

「どうした?」

「ぶるぶる」

「ぶるぶる? ……ああ、ケータイか」


 みさきに言われて、机に置いてあったケータイが震えていることに気が付いた。


「……なんだこれは、壊れたのか?」


 いや待て、そういえばロリコンがピリピリしてる時に電話が鳴って、そこで設定を……そうだそうだ、バイブレーションモードだ。


 ケータイを手にとって、画面を見る。

 着信:戸崎結衣


 ……こんな朝早くから何の用だ?

 まあいい、とりあえず出るか。


「もしもし!」


 朝からテンションたけぇな。

 ていうか、こんなに幼い声だったか?


「きょうあそびにいってもいいですか!?」

「……あ、ゆいちゃんの方か。みさきに代わろうか?」

「おねがいします!」


 ということで、ゆいちゃんが遊びに来ることになった。

 みさきと仲が良いようで何よりだ。


「何して遊ぶんだ?」

「んー?」


 特に決めてないらしい。

 それを微笑ましく思いながらケータイを机に置こうとして、そこで再び振動を感じた。


 ……何か言い忘れたことでもあったのか?


 そう思いながら、相手を確認せず電話に出る。


「もしもし?」

「……おはよう。急に電話してごめん。いま大丈夫?」


 この声って……朱音だよな。


「俺は大丈夫だが、どうした?」

「……いや、その、大した用じゃないんだけど」


 寝起きみたいなハッキリしない話し方で言う。


 ……何か言いにくいことなのか?

 

 俺は少しばかり緊張して、朱音の言葉を待った。


「今日、龍誠の部屋に遊びに行ってもいいか?」


 ……なんだ、そんなことか。


「おう、いつでも来てくれ」

「そっか。じゃあ、また後で」

「ああ、分かった。……いや、ちょっと待て――遅かったか」


 何も考えずに頷いてから数秒後、気が付いた。

 朱音が遊びに来るっていうのは、間違いなく昨日の延長みたいなものだ。


 それはまずい。

 何がまずいって、小日向さんのことを考えたら……。


 やばい、断るべきだった。

 せめて外で会うとか……って、今更遅いよな。


「りょーくん?」

「なんでもない。朝ごはん、楽しみだな」

「んっ」


 ……なんだか、大変な一日になりそうだ。

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