第97話 第五話:みさきと体育
春の陽射しが暑いと感じるようになったのは、いつだっただろう。運動場で横一列に並んだ子供達を見て、岡本はふと思った。子供の頃は大人基準で繰り返される「あったかくしなさい」「暑いから外に出るのは止めなさい」という言葉を鬱陶しく思ったことを覚えているが、大人になると立場が逆転する。
三時間目、体育。
なぜ最も暑い時間に外に出なければならないのか、それはね、私が小学校の教師だからだよ。
「みんな、手を伸ばして、隣の人とぶつからないくらい離れてねー!」
\はーい!/
太陽の熱にやられて欝々とした気分になるアラサー、もとい岡本とは違って子供達は元気いっぱい。
最初こそ心配になるくらい大人しかった一年生だが、校内探検や六年生による歓迎会、週に一度の全校集会や遠足。イベントが目白押しの一週間を過ごした子供達は、すっかり緊張が解けたのか子供らしい反応を見せるようになった。
今、子供達は男女混合の身長順で並んでいる。この年齢なら男女における身体的な違いは殆ど存在しないから、分ける意味は無いのである。だが、あえて分ける基準を設けるとすれば、それは誕生日だ。子供の成長は著しいから、例えば四月生まれの子供と三月生まれの子供では、同学年であっても大きな差が生まれてしまう。
それを体現するかのように、列の右端には二月生まれの戸崎みさきちゃんが立っていた。彼女は早生まれであること以上に低身長だが、やはり誕生日も理由のひとつなのであろう。反対に、列の左端には四月生まれの戸崎ゆいちゃんが立っていた。姉妹でここまで差が出るのも珍しいというか、本当に姉妹なのだろうか? あまり似ていないような気が……
「じゃあ準備体操を始めるよ! みんな、先生のマネをしてねー!」
邪念を振り払うようにして大声を出す。
最近の教師は何かと肩身が狭いから、深入りするのは危険だ。
「では背伸びの運動です! うーんと体を伸ばしましょう!」
いーち、にーい、と元気な声で数える岡本。
直前までは暑くて嫌だという気分だったが、やはり声を出すのは気持ちが良い。
さあ! 元気よく行ってみよう!
「せんせー!」
と、そこに児童の声。
「どうしたのー? ――って、大丈夫ゆいちゃん!?」
声のした方に目を向けると、そこには地面に倒れてピクピク震えているゆいの姿が有った。岡本は急いで駆け寄って、努めて落ち着いた態度で声をかける。ここで大人が動揺しては、子供が不安になってしまうかもしれないからだ。
\どしたのー?/
\だいじょぶー?/
他の児童も次々とゆいの周りに集まり始める。
果たしてクラスメイト全員に見守られながら、ゆいは力なく口を開いた。
「……せ、せのび、してたら……あしが、ビリビリ、って……」
\えー!?/
\ビリビリー!?/
しかしながら子供達の反応は岡本とは正反対だった。それもそのはず、まだ六歳か七歳の子供なのだから、攣るという現象が理解出来ないのも無理はない。
「まさか、機関の陰謀か!?」
\いんぼー?/
\なにそれー?/
ややこしくしないで蒼真くん!
岡本の祈りも虚しく、こうなった子供達は中々おさまらない。
「み、みんなー、大丈夫だから落ち着いてー」
\ゆいちゃんだいじょうぶー!?/
\いんぼーだー!/
\わーわーわー!!/
……これは困った、どうしたものか。
頭を抱えそうになる岡本。
ふと、誰かがゆいちゃんの足元に座った。
誰かって、みさきちゃんだ。
「……おぉぅ?」
「……ん」
姉妹で謎のやり取りをすると、みさきは小さな手でゆいの脚を引っ張って真っ直ぐにした。
「いたっ、すとっ、すとっぷ、ストップみさき」
「ここ?」
ゆいが手でおさえている部分に手を当てて問いかけると、ゆいは涙目になりながら頷いた。
\どしたのー?/
\なにしてるのー?/
子供達には分からなかったが、岡本にはみさきが応急処置を試みていることが分かった。岡本は少し迷った末に、静かに見守ることにした。
みさきはゆいの脚の上にのると、ゆいの膝と足首の辺りに手を添えた。そして、グっと体を前に倒す。
「おぉぅぁっ、ぎ、ギブッ、ギブみさきギブミー!」
相当痛いのか意味不明なことを口走っているゆいを見て、岡本は我慢できずに失笑した。それと同時に、的確な処置を知っているみさきに関心した。それもそのはず、みさきは龍誠と毎日のように運動していて、三日に一度くらいのペースで仮病、ゲフン、筋肉さんを解してもらっているのである。
「キシャー!」
やがて我慢できなくなったゆいは、みさきから脚を引っこ抜いて跳び上がった。
「なにするー!?」
顔を真っ赤にして全身で怒りを表現するゆい。対して、みさきは満足そうに頷いた。
\たってるー!/
「へ?」
誰かの声を聞いて、ゆいはパチパチと瞬きをする。
次にゆっくり顔を下に向けて、痛がっていた方の脚を上げると、軽く前後に振った。
数秒の間。
「たってるー!」
\ほんとだー!/
\すごーい!/
\ゆいちゃんがたったぁ!/
\たってるー!/
\どあげだー!/
\どあげー?/
\なにそれー?/
\もちあげるんだよ!/
\おもしろそー!/
「え、なに? やめて、くすぐった、わっ、わっ、わっ、あああああぁぁぁ――――!」
\わーっしょい!/
\わーっしょい!/
\わーっしょい!/
悲鳴をあげる児童が笑顔の仲間達に胴上げされている。
それをぽかんとした表情で見ていた岡本は、暫く頭が真っ白だった。
……あっ、止めなきゃ。
「ほーら、みんな、危ないよー」
児童が脚を攣ったと思ったら、妹に応急処置されて、気が付いたら脚を攣った方の児童が胴上げされていた。この一連の流れが全く理解出来ないのは、年を取ったからでは無いと信じたい。
\わーっしょい!/
「いやぁぁぁあぁぁあぁ――――!」
\わーっしょい!/
「ああぁぁ――! あぁ……あれ?」
\わーっしょい!/
「あっ、あはは、わーっしょい! たのしー!」
このまま続けさせるのはもちろん危険だが、無理に止めるのはもっと危ない。もはや表情を引き攣らせて見守るしかない岡本は、大きな溜息を吐いた。と、そこで一人の児童と目が合う。
唯一胴上げに参加していなかったみさきは、岡本の目をじーっと見た後、コクリと頷いた。岡本は彼女が何を伝えたかったのか分からなかったけれど、とりあえず手を振ってみた。
みさきは岡本のマネをして手を振った後、胴上げしている児童達に目を移す。
\わーっしょい!/
\わーっしょい!/
\わーっしょい!/
初めての体育。
みさきは先生の隣に立って、わっしょいわっしょいされている姉の姿をじーっと見ていた。
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