第98話 SS:授業参観(前)
授業が始まってから一週間と少しが経過した。
本日、一年生を対象とした授業参観が行われる。
この時期に行われる授業参観には、小学生になった自分の子供が気になって仕方ない親を安心させるという狙いがあり、逆に教師にとっては胃が痛い時間となる。
もちろん緊張しているのは教師だけではなく、親も同じだ。
私の息子はちゃんと授業を聞けているかしら。
教師はどんな人なのだろう。
とりあえず参加しよう。
とにもかくにも、親にとっては初めての学校イベント。何事も最初の一回というのは緊張するものだ。しかしながら、そんな繊細な心持は子供には分からない。
こらタケシ、ちゃんと授業を聞きなさい(鉄拳制裁)
お前の母ちゃん怖いな。
は、全然怖くねぇし(涙目)
こんな感じの思い出があったかもしれないし、無かったかもしれない。
実際問題、多くの人は初めての授業参観なんて覚えていない。それどころか当時の担任の名前すら覚えていない大人も沢山いるだろう。だからこそ、初めて授業参観に参加する大人は緊張するのだ。え、授業ってどうやって参観すればいいの? と錯乱するのだ。
もちろんそれは、戸崎結衣も同じだ。娘は保育園に通っていた頃、みさきちゃんと出会うまで友達が居なかった。つい先日、大魔王に変身した結衣はあっけなく敗北したが、果たしてゆいの新しい友達がどんな人間なのかということを確認するまでは安心できない。
ゆいには友達は大事にしろという話をしたが、無理に友達を作る必要は無いのだ。如何せん近年ではイジメが深刻な社会問題となっているし、悪い相手と関わってしまうのではないかという不安は少なからず有る。そういう意味で、相手をきちんと見極めなければならない。幼い子供を相手に
それから、結衣が緊張している理由がもうひとつ。
彼女は今、小学校の門の前に立っている。
門は彼女の身長と同じくらいの高さで、高学年の児童でも運動が苦手な子は乗り越えられないだろう。もちろん今は門が開かれていて、いくつかの重りで固定されていた。
彼女は門に手を伸ばして、錆び付いた表面を軽く撫でる。すると、不快な手触りと共にいくらかの塗装が崩れ落ちた。
「……やはり、懐かしいという感じはしませんね」
彼女の通っていた小学校では、このようなことは有り得なかった。有り余る資金を使って設けられた物は、どれも常に新品のようだった。それから門の近くには必ず警備員が居て、結衣は何度か挨拶したのを覚えている。しかし、今ここに警備員はいない。
周りに目を向けると、一目で子供が育てていると分かる花々や謎のオブジェ、それから砂だけの運動場に、いくつかの遊具が見えた。
きっとこれが、一般的な公立の小学校なのだろう。
結衣は目を閉じて、軽く唇を噛んだ。
やはり、あの人も連れてくるべきだっただろうか。
少し前、みさきちゃんからプリントを受け取った龍誠と結衣は話をした。
その際、あまりにも饒舌というか、過保護に過保護を重ねたような龍誠を煩わしく思い、結衣は言葉巧みに龍誠を欠席させたのだが、今になって連れてくるべきだったかもしれないと後悔している。
……いやいや、あんな人いても邪魔なだけですし。それに、ゆいとみさきちゃんは姉妹ということになっているのだから、アレと夫婦扱いされるなんて最悪ですしっ!
やはり連れてこなくて正解だ。なに、よくよく考えれば普段やっている商談の方がよっぽど大変だ、この程度はどうってことない。
結衣は自己暗示をかけて、よしと頷いた。ちょうどそこへ、一人の女性が通りかかった。少し髪が長くて、軽く猫背になって歩いている。雰囲気のせいで老けて見えるが、おそらく歳は二十代後半といったところだろう。
「こんにちは」
「……あ、こんにちは」
目が合った女性と軽い挨拶をした後、結衣は作り笑顔の下で少しだけ眉をしかめた。
……緊張、不安、哀愁。
「保護者の方ですか?」
「……ええ、これから一年生の教室に」
「私もです。良ければ同行しませんか?」
「……はい、よろしくおねがいします」
ワンテンポ遅れた反応。結衣は彼女の持つ色とそれを重ね合わせて、ひとつ確信した。この色は何度か見た事がある。これは、大切な何かを失った人が見せる色だ。
「なんだか緊張しますね」
「……ええ、そうですね」
歩きながら、結衣は隣に並んだ女性に声をかける。
「娘がちゃんと授業を聞けているのか、心配で心配で」
月並な言葉で、結衣は相手の反応を見る。
娘という言葉を聞いた直後、相手は少し色を変えた。
……負い目、昨日あたり娘とケンカでもしたのでしょうか?
「……あはは、私の所はしっかりした子なので、そういう心配はありまえんが……」
「そうなんですか。女の子ですか?」
「……はい、女の子です」
深入りするのは止めよう。
それからも、結衣は彼女と世間話をしながら教室へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます