第96話 SS:ゆいは小学生になりました

「おかえり!!」

「はい、ただいま帰りました」


 午後八時。いつものように結衣が部屋のドアを開けると、ゆいは全力で駆け寄って結衣に飛び付いた。


「あのねママ! がっこうでね! がっこうが、あのね! しょうがくせいなんだよ!」


 むふぅと鼻息荒く言うゆい。もちろん結衣に言葉の意味は伝わらなかったけれど、代わりに結衣には綺麗な色が見えた。嬉しい気持ちでいっぱいの眩しいくらい明るい色。それを見ただけで、結衣は仕事の疲れを忘れてしまう。


「それは良かったです。お友達は出来ましたか?」

「いっぱい!」


 シュバッと結衣から離れて、小さな両手を目いっぱい大きく広げるゆい。結衣は満足そうな表情を浮かべると、その場で屈んでゆいと目線の高さを合わせた。


「素晴らしいです。大切にしてくださいね」

「はい!」


 元気良く手を挙げたゆい。

 結衣が頭を撫でると、ふーと声を漏らして目を細めた。


「お友達、いっぱい作ってくださいね」

「はい! ママとおなじくらい、がんばります!」


 満面の笑顔で言うゆい。

 結衣は娘の言葉を聞いて、むっ、と眉をしかめた。


「目標が小さいですね。ママより沢山のお友達を作りましょう」

「えー!?」


 そんなの無理だよ!? という顔をするゆい。

 すると結衣は悪戯な表情を浮かべる。


「ゆい、ママと勝負しましょう」

「ええー!?」

「ママよりも沢山のお友達が出来れば、ゆいの勝ちです」

「い、いきなりラスボスです……」


 肩を抱いて青い顔をするゆい。

 結衣は口角を上げると、胸を張って腰に手を当てた。


「ふはははは、大魔王が現れました。世界を守る為に戦いますか?」

「……せかい?」

「そうです、世界です」


 ゆいの目に使命感という名の火が灯る。


「たたかう!」


 ここに幼き勇者が誕生した。

 勇者と対峙した魔王は不敵な笑みを浮かべ、頷く。


「では、お友達の名前を唱えてください。その度に私のヒットポイントが減ります。私のヒットポイントは、私が小学生の頃に作ったお友達の数と同じです」

「はい!」


 ごごごごご。

 二人の間に緊張が走る。


「とさきみさき!」

「残念、妹はノーカウントです」

「むむむ……」


 これは厳しい戦いになりそうです。ゆいは息を飲む。


「ななもりるみ!」

「ほほう、その子はどんな子ですか?」

「アイドルです!」

「いいでしょう。他には居ませんか?」


 余裕の表情を崩さない結衣を見て、ゆいは「ぜんぜんきいてない!?」と驚愕する。しかし、世界を守る為に諦めるわけにはいかない!


「いとうしずる!」

「ぐはっ、大魔王は倒れました。勇者ゆいの勝利です」

「ママぁ!?」


 うっ、と苦しそうに胸を抑えて床に膝をついた結衣。何を隠そう、彼女には友達が一人しか居なかった。しかも、ほんの僅かな期間である。そんなこと知る由も無いゆいは、ただただ目を丸くして、ぽかんと口を開けていた。




「いただきます!」

「はい、頂きます」


 時は進み、食事の時間。向かい合って座る二人の間には、カレーライスと唐揚げ、それからキャベツをベースとしたサラダが並べられていた。もちろん、ゆいの側にある料理は全て彼女の胃袋に合わせた大きさになっている。


「からあげ!」


 ゆいは唐揚げが好き。フォークに刺した一口サイズの唐揚げを恍惚とした表情で見つめた後、小さな口を大きく開けて、パクリと一口。


「沢山有るので、ゆっくり食べてくださいね」

「ふぁい!」


 時すでに遅し。ゆいは、いくつかの唐揚げを口に含んでハムスターみたいに頬を膨らませていた。結衣は娘のマナーの悪さを注意しつつ、自分の作った料理を美味しそうに食べる娘を見て嬉しく思う。


「ごくり。ママ!」

「はい、なんですか?」

「まおう、よわすぎませんかっ」


 何気無い言葉が結衣の胸に突き刺さる!


「ゆい、小学校はどうでしたか?」

「にゃわわわ!」


 フォークを握りしめたまま立ち上がったゆい。

 さらりと話題を変えられたことには気が付かない。


「あのね! たいいくかん、ひといっぱい! すっごくいっぱい! おまつりみたい! あとね、じこしょうかいした! あたしね、バッチリだったよ! バッチリ! あっ、せんせいはね! れいせんせいっていうの! それから――」


 ゆいの話は止まらない。そのキラキラ輝く目と色を見ながら、結衣は幸せな気持ちで相槌を打っていた。どうやら娘は、自分とは正反対らしい。それはきっと喜ぶべきことで、しかしそう思う度に、結衣は彼の事を思い出して少し気分が沈む。


 彼は、今どこで何をしているのだろう。


「ママ?」


 どうかしたの? 不安そうな目を見て、結衣はハッとする。


「……失礼しました。少し、お友達のことを思い出していました」

「りょーくん!」

「違います。違う人のことです」

「あたしのしってるひと?」

「いえ、ゆいの知らない人です」

「どんなひと!?」

「とても、とても素敵な人ですよ」

「すてきなひと!」


 机に手をついて前のめり。


「いちにんまえのレディですかっ?」

「いえ、彼は男性です」

「あー! ママうわき!」

「……はい?」


 予想外の言葉に思わず首を傾けた結衣。ゆいは間髪入れずに言葉を続けた。


「りょーくんとけっこんしてるのに! げんめつです!」

「していません」

「えー!? でも、みさきいもうとだよ!」

「それには深い理由があります」

「どんなりゆうですか!?」


 興味津々のゆい。みさきが妹になったという話をした際、ゆいは特に理由を問うことはしなかった。それについて結衣は、ゆいは妹が出来たという事実に頭がいっぱいで小難しい事情には興味が無いのだろうと勝手に思っていたが、どうやらとんでもない誤解をされていたらしい。


 あの人と、結婚……?


「ゆい、カレーが冷めてしまいますよ」

「はっ!? ノータッチ!」


 まだ一口も食べていなかったゆいは、慌ててスプーンをカレーに突っ込む。そして甘口のカレーを口に入れた途端、ふんわりとした表情になる。同時に、結婚がどうとかいう話も頭から消えてしまったようだ。


 見事に話題を逸らした結衣。しかし本人の頭の中からは、ゆいの言葉が消えない。

 確かに彼と似た色をしているけれど、二人は絶対に別人だ。では個人としての評価はどうなのかと問われれば、最低と評する他ない。女にしか見えない顔など外見はさておき、結衣は龍誠の為人が気に入らない。


 わりと頻繁に失礼な事を考えているし、考えが足りないのに行動的な所とか迷惑だけど、人の意見はちゃんと聞いて空気も読めるからギリギリ許せるかもしれなくて、だけど言い難いことも躊躇わず口にする性格は個人的に嫌いで、特に仕事のことなんて触れて欲しく無かったけれど結果的には問題がひとつ解決して、人形劇の時なんて多分あの人が居なければ上手くいかなかったけれど、それで彼への評価が良い方向に動いているかと問われれば……さておき、みさきちゃんの件で茫然自失していた時なんかは親として頼り無いを通り越してみっともなかったけれど、あれはあれで人間らしくて悪く――


 ああもう! なんで微妙に評価が高いんですか!? おかしくないですか!?


 結衣はムっと眉を寄せて、大人サイズの唐揚げをパクリと口に放り込む。そのまま行儀が悪い事を自覚しながらも、少し乱暴に咀嚼した。


 どこから見ても不機嫌な様子の結衣。

 そんな母親の姿を見て、しかしゆいは、むふふんと子供らしからぬ表情を浮かべた。


「ゆい、そういえば冷蔵庫にトマトが残っていました。サラダに加えるので少し待っていてください」

「サラダなんてありません!」


 サッとサラダを机の下に隠すゆい。

 結衣の前で隠し事は通じない。ゆいの考えは完全に筒抜けである。


 あの人の話はダメ、結衣は暗にそう言った。

 りょーくんの話をするとママが面白い、ゆいは再確認した。


 ゆいが小学生になった日の夜。

 戸崎家では、こんな会話が繰り広げられたのであった。

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