第二章 仕事と子育て

第34話 出社した日

 4月1日。

 桜舞う季節。

 

 外に出れば彼方此方に桃色の風景が広がっていて、肌に伝わる熱はぽかぽかと暖かい。


 春は、新しい事が始まる季節。

 それを体現するかのように、みさきは年長組の「たぬきさんぐみ」に進級した。

 そして俺は、初出勤というものを経験する。


 みさきを保育園へ送り届けた後、俺は果てしない期待感に胸を躍らせながら約束の場所へ向かった。思わずスキップしちまうレベルでワクワクしていた。不審そうな目を向けるバカ共におはようございますこの野郎って挨拶をするくらい機嫌が良かった。


 だってそうだろ? 娘の為に就職して出勤するって、なんか親っぽいじゃねぇか。


 ロリコン、もとい和崎の会社は服装とかどうでもいいらしいから、俺は普段着で家を出た。

 そうして時間より15分も早く着いた目的地――駅で、ロリコンを待つこと15分。あいつは時間ピッタリに改札口から現れた。


「わりぃな! わざわざ迎えに来させちまって!」

「朝からテンション高いな天童龍誠。僕は低血圧だから朝は苦手なんだ、静かにしてくれ……」


 相変わらず俺をフルネームで呼ぶロリコン、和崎優斗はTシャツにジーパンという俺に負けず劣らずラフな格好で現れた。まるでこれから友達とゲーセンに行く高校生のような恰好をしたロリコン。その横をスーツを着た男達が通り抜けるものだから、俺は少しだけ不安になる。


「なぁ、マジで服装は自由なのか?」

「何度も説明しただろ天童龍誠。この仕事はパソコンをカタカタ弄って作った商品を販売することなんだ。パソコンを弄るのに適した服装ってなんだよ、逆に教えて欲しいね」


 と、欠伸混じりに言うロリコン。

 俺は眉をしかめながらも、そういうものかと無理矢理に納得した。

 世の中にはいろんな人が居て、それと同じくらい様々な仕事があるということだけは理解している。だからこれもその一部なのだと、この時は納得していた。


 ロリコンを追いかけ切符を購入して、電車に揺られること3駅。思ったよりも近くの駅で降りた後、またまたロリコンに続いてアスファルトの上を歩くこと数分。


「着いたぞ」


 と言ってロリコンが目を向けたのは……明らかに一戸建ての民家だった。


「待て待て、なんだこれは」

「僕の家だ」

「会社に向かうんじゃなかったのか?」

「僕の家であり会社でもある」

「ふざけてんのか?」

「大真面目だ。無駄な金は一円たりとも使いたくないんだよ。事務所とか金の無駄、ついでに移動時間の無駄。この世界から無駄を消滅させようとしている僕が無駄なことをするなんて滑稽過ぎるだろ」


 唖然としながら、俺は家に向かうロリコンの背中を見送った。


 ……おかしい、これは絶対におかしい。


 騙されてないか? そんな言葉が俺の頭の中で暴れまわる。


「早く来いよ、天童龍誠」


 ドアを開いて、和崎優斗が俺に眠そうな目で声をかける。

 

 この世界には様々な仕事があるということは理解している。俺が知っている仕事は肉体労働だけだから、こういう仕事もあるのかもしれない。無理矢理にでも納得しようとして、しかし失敗する。


 納得しないまま、俺は和崎優斗の家に――会社に、招かれた。


「いらっしゃ~い」


 和崎優斗のお母さんらしき人に、丁重にもてなされた。




 そして今、俺はロリコンの部屋に居る。

 部屋にはパソコンがいっぱいあった。

 壁では漫画のキャラ達が微笑んでいた。

 床でも漫画のキャラ達が微笑んでいた。

 机の上にも、直ぐそこにある棚の中にも、天井にも、あらゆる場所で漫画のキャラが微笑んでいた。

 髪の色も目の色もバラバラなキャラ達だが、どれも共通して幼い顔立ちをしている。


 部屋に入って直ぐの所で唖然としていると、ロリコンはつかつか部屋の奥に向かって、パソコンの前の椅子に座り、クルりと回転式の椅子を回して振り返る。


 部屋には既に二人の男性が居て、俺が部屋に入ってからもパソコンに向かっていた二人は、ロリコンが振り返ったのが合図であったかのように、同じく椅子を回して振り返った。


 ロリコンは自信に満ちた表情で左右の男達とアイコンタクトを取り、柔らかい動きで両手を広げて言う。


「ようこそ、我が社SDSへ」

 

 そして、妙に殴りたくなる笑顔を浮かべた。


「……エスディーエス?」

「表向きは Super Dear Service 非常に心のこもったサービスを提供する会社って意味だ」

「表向き……?」

「ああ。真の意味は『(S)世界から(D)どうでもいいものを(S)消滅させる』だ」


 あ、やっぱダメだこの会社。


「君が天童龍誠君だね。話は優斗から聞いているよ。よろしく」

「……ああ、よろしく」


 新しい会社を探そう。

 まったく、少し前までの苦労とあの達成感は何だったのだと絶望していると、ロリコンの右側に座っていた男が気持ち悪いくらい爽やかな笑みを浮かべながら握手を求めてきたので応じる。


「君の書いたソース見たよ。あの本を使って独学でアレを一週間で作っちゃうなんて、先が楽しみだ」

「……ああ、どうも」

「先輩として、ひとつアドバイス。この業界では常に心に余裕を持つことが大切だ。じゃないと毛根が深刻なダメージを受けてしまうからね」

「……ああ、そうか」

「あはっ、緊張しているのかい?」


 うざ。


「……いえ、驚いています」

「あははっ、だよね。普通は驚くと思うよ、これ」


 普通じゃないって自覚はあるのか。

 ロリコンと違って、こいつはまともなヤツなのかもしれない。

 うざいけどな。


「……ところで、君に聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「なんだ?」


 途端に握っていた手に強い力を込めて、そいつは言う。


「……君には、娘がいるそうじゃないか?」

「ああ、それがどうかしたか?」

「……へ、へぇ……そっか、そうなんだ……ははは、あははっはは」


 な、なんだこいつ。

 不気味に思っていると、彼は笑顔のまま俺に顔を近付けた。


「ねぇ、奥さんとはいったいどんなイチャラブプレイをしたんだい……?」

「……は?」

「は? じゃないよ。したんでしょ? したから娘さんが生まれたんでしょ? ……ふふ、ふふふふ。この僕の前に顔を出すとはいい度胸だなリア充。工学部の男女比を知っているかい? おおむね百対一だよ。そんな世界で必死に勉強してきた僕に春は訪れず、聞けば先月までニートをしていて、ついでに僕と同い年らしい君に既に娘が居て、そんなヤツが僕と同じ職場で仕事……? あああぁぁぁぁ! 憎い! リア充が憎い! 憎い! 憎い! 憎い!!」


 心の余裕どこいった!?

 ちくしょう一瞬でもまともなヤツだと思った自分を殴りたい!

 こいつ、ロリコンよりヤバイじゃねぇか!?


「おいロリコン! なんだこれ!?」


 助けを求めると、ロリコンは俯き、黙って首を振った。


「……もう、手遅れだ」

「はぁ!?」


 こうしている間も第二の変態の暴走は止まらない。俺の胸倉を掴んでグワングワン揺らしている。

 どうしたものかと考えていたら、不意に漫画のキャラみたいなキャピキャピした声が聞こえた。


『やぁ、僕の名前は坂本さかもと拓斗たくと。和崎君の左側に座っている男の子だよ』


 自己紹介!? このタイミングで!?


『ふふ、本当の僕はこんな可愛い声はしていないんだけどね……えっと、喋るのは苦手で、照れてしまうというか、だから、このシステムを作ったんだ。その際に、どうせなら可愛い声がいいと思ってね……どう? 結構なめらかでしょ? 自信作なんだ』

「自慢はいいからこいつをどうにかしてくれ!」

『諦めてほしいなっ☆』

「はぁ!?」


 この音声の発信源であるらしい男に目を向けると、彼はさっと目を逸らしてパソコンに向かった。

 もちろん、この間も俺の身体はグワングワン揺らされている。


 ふと、兄貴の言葉が脳裏を過った。

 一週間、一週間だ。


 何をするにも、まずは続ける事が大切だと、俺は学んだ。

 だから一週間は続けてやる……。


「ああぁぁぁぁ! どうしてなんだぁ! どうして僕はモテないんだよぉぉぉ!」


 一週間は……続けて……つづ、けて………………


「いい加減にしろよコラ! いつまで揺らしてんだ!?」

「あうぁっ……殴ったね。僕を……殴ったね……殴ったね!?」

「心の余裕がどうとか言ってた自分を思い出せよ!? ほんと、頼むから思い出せよ!?」


 一月前、俺はみさきの親になると決意した。

 それから様々なことがあって、例の人生ゲーム作りがあって、母親と話をして……こんなに濃密な時間は、もう二度と訪れないと思っていた。だけど違ったらしい。


 新しいことをするのは楽しくて、ワクワクする。まだ歩き始めたばかりの俺にとっては全てが新鮮で、何かしている限り薄い時間を過ごすなんてことは有り得ないのだろうと、そう思った。


 そのうえで。

 こんなのマジで望んでねぇ!!

 これならフリーターやってる方がマシだったよマジで!!




「と、いうことがあったんだ」

「……ん?」


 なんとか一日乗り切った俺に与えられたご褒美……もといみさきとの帰り道。

 今日のことを話したら、みさきは難しそうな表情をして首を傾けた。


「みさきはどうだった? 何か変わったことはあったか?」

「……ん」


 と頷くみさき。


「おたのしみかい、あった」

「お楽しみ会? へぇ、どうだった?」

「たのしかった」


 ほんのわずかに頬を緩めるみさき。


「ゆいちゃん、おどってた」

「踊る……?」

「おもしろかった」

「そうか。それは良かったな……よかった、のか?」

「……ん」


 良く分からないが、みさきが楽しそうだからいいか。


「さくら」

「ん? ああ、桜だな」


 みさきの目を追って、桃色の景気を視界に入れる。

 夕陽を背に舞い散る桜は、それなりに風情があって美しかった。


「すき」

「……そうか」


 それから暫く、みさきと二人で舞い散る桜を見つめていた。


「すき」


 なんで二回言ったんだ?


「……すき」


 返事をしなかったからか、みさきは俺のズボンをクイっと引っ張って、もう一度言った。


「ちゃんと聞こえてる。綺麗だよな、桜」

「……」


 え、あれ? なんか少し不機嫌になった? なんでだ!?


 立派な親になろうと決めてから一ヶ月。

 みさきには、まだまだ謎が多いのだった。

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