第33話 SS:父母の会
まずは父母の会について説明しておこう。
父母の会とは、保育園における最高権力者達(パパとママ)が集まって行う円卓会議のことである。
ぽんぽこ保育園では二月(ふたつき)に一度のペースで父母の会が企画したイベントを行うから、それについて話し合う為、保護者達が月に何度か集まる。それを父母の会と呼ぶ。
みさきが新しく所属する『新たぬきさんぐみ』には、みさきを含めて8人の園児が居る。
ひとつ下の『新ねこさんぐみ』は9人で、一番下の『新うさぎさんぐみ』は7人だから、みさきの世代は『ぽんぽこ保育園』という規模で見て平均的な人数であると言える。
「それでは時間ですね。ええ……欠席は戸崎さんだけですか」
新たぬきさんぐみによる父母の会は、旧ねこさんぐみでリーダーを務めた佐藤の声と共に始まった。
彼女の声に応じて、残る6人の保護者達がひとつの空席に目をやる。
「あの、いいかしら?」
「あら鈴木さん。どうかしましたか?」
「2月の終わりくらいに、新しい子が増えたらしいのですが、ご存知?」
「あー知ってます知ってます。なんだか可愛らしい顔をしたお父さんが迎えに来ているのを何度か見ました」
と答えたのは質問を受けた佐藤ではなく、佐藤の隣で話を聞いていた山田だった。
それを引き金にして、この場における年長者達が新人について好き勝手に話を始める。
この場において発言力があるのは、既に小学生以上の子供を持つ「熟練ママさん」達であり、初めて子供を育てる「新人ママさん」は、発言権すら与えられていないと言っても過言ではない。
出入口に近い椅子に並んで座る風見、黒川の二人は「……またか」と半ば諦めた様子で互いに目を合わせた。この辺りの奇妙な友情も、父母の会ではよくある事である。
このように気持ちを共有できる相手が居るならまだ良いのだが、オバチャンという獣が闊歩する空間に放り込まれた唯一の男性、名倉については、日々の仕事で身に着いた乾いた営業スマイルによって表情筋を凍らせる以外に出来ることが無いから残酷である。
早く終わってくれ。そんな思いとは裏腹に、熟練ママさん達の会話は続いていく。
「だいたい、皆様の都合を考えて土日に会議を催しているというのに、欠席だなんて……どう思います鈴木さん」
「あらあら佐藤さん、そんなことを言ってはいけませんよ。きっと何か都合があるのでしょうから」
「都合って何よ山田さん。私だって毎日家事をして、土日はパートで生活費を稼いで大変よ。それに比べて若い子は専業主婦なんてやっちゃってまぁぁ……いいよねぇ、旦那さんが養ってくれて。あぁ羨ましい羨ましい」
聞きたくもない愚痴、陰口、自慢話が延々と続いていく。
新人ママさんが呆れ果て、苦笑いに苦笑いを重ねても熟練ママさん達の話は終わらない。
果たして2時間が経過した頃、場を仕切る佐藤が声を出した。
「では、4月のお楽しみ会は例年通りということで」
実質的な会議は、その一言のみ。
時間にして3秒で終了した。
「天童さんについてはどうします? 佐藤さん」
「いい質問ですね鈴木さん。それなら私が責任を持って次の会までに声をかけておきます」
「まともな方だといいですね」
「あら、嫌味な言い方ですね山田さん」
「「「おほほほほほほほ」」」
お前らより酷い人なんて来ないに決まっている。
そんな意思は確かに共有されていて、だけど決して表に出ることは無い。
世の中には様々なコミュニティがある。
まるで誰かが作った創作のような優しい世界。
ドラマで行われている事が誇張でも何でもないと分かるようなモンスターハウス。
果たして、龍誠が新たに飛び込もうとしているコミュニティは後者のモンスターハウスだった。
コミュニティを日本語で表現すると、共同体となる。
人によっては「地域社会」という意味で覚えていたりするだろうが、もとより日本の言葉ではないのだから、ニュアンスで意味を捉えるのが正解だと思われる。
ニュアンス。
それはつまり、その人が持つ感覚のことだ。
共同体という言葉を辞書で引くと「利益、目的を同一にする人々の結合体」と出る。同様に地域社会は「ある一定の地域に、共通した社会的特徴をもって成立している生活共同体」と記されていた。
どちらにも共通するのは、同じ目的を持って活動する、という点である。
果たして、たったいま行われていた会議に「同じ目的」など存在していただろうか?
例えば子供の為。
貴方は子供の為に会議をしていましたか?
なるほど、この質問であれば全ての参加者が頷くであろう。
だが新人ママさんの一人に、熟練ママさんが子供の為に会議をしていたように思えますか? と尋ねたならば、きっと首を横に振る。
ならば、ここに存在しているのはコミュニティと呼べるのだろうか?
愚問だ。ここに存在しているのは、間違いなくコミュニティである。
その言葉を日本語で表現したらどうなるか、きっとそれは誰にも分からない。だけどもしも、無理矢理にでも言葉にするのなら……烏合の衆という言葉が、最も近しい意味を持っているに違いない。
烏合の衆、それは子供だけの集まりを見た時に大人が思うことである。
では逆に、そんな大人を見たら、大人になろうとしている子供はどう思うのか。
体だけ成長した子供達に混ざる大人は、いったいどうなるのか。
大人になろうとしている子供と、立派な大人が向き合ったら、いったいどうなるのか。
きっとこれは、そんな物語である。
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