第5話 昔のこと(1)
天童というのは、その筋では有名な資本家の名前だ。そんな家に生まれた俺は、金に物を言わせた英才教育を受けていた。
週に七回以上の習い事、一流の家庭教師。
小学校は資本家の子息令嬢が集まる名門私立。
記憶は曖昧だがクソみたいな学校だったことは覚えている。どいつもこいつも家柄がどうとか、低俗な価値観に支配されていた。
あの学校に、平等という言葉を知っているガキは何人いたのだろうか。
人の評価も、物事の結果も全て名前で決まる。表向きは平等な競争をしていても、大人も子供も一緒になって忖度をする。
なぜ? 大人が決めたからだ。
大人が決めれば、子供は従うしかない。
あの世界に自我なんて存在しなかった。
自分の生きる環境が異常だと気が付いたのは、あいつと仲良くなったのが原因だっただろうか。
あいつは、庶民の生まれだった。
なんでも優秀な能力があるとかで、特別に入学を許可されていたらしい。
あいつの話は興味深かった。
パパとママは、学費の為に一生懸命働いてくれてるの。だから、全力で頑張るの!
え、漫画を知らないの?
ええ!? うみゃい棒も知らないの!?
あいつには、自我があった。
とても目立っていた。
もちろん、悪い意味で。
なに調子に乗ってるんだよ。
貧乏人の癖に。
ヘラヘラしてんじゃねぇよ。
気持ち悪い。
くすくす、くすくす。
俺が怒りという感情を知ったのは、この頃だったと思う。俺には叱られた経験がなかった。もちろん自分が怒ったこともない。
それは天童という家に生まれ、ついでに親が俺に無関心だったからだ。
俺は怒りという感情を知らなかった。だから、言葉に出来ない感情を抱えて過ごしていた。
それが爆発したのは、あいつがニヤニヤした集団に囲まれていた時だ。
あいつは髪を引っ張られ、服を破られ、あちこちを蹴られていた。
初めて見る光景だった。
この時12歳だった俺は、しかし何が起きているのか理解出来なかった。
ただ、思った。
辛そうな顔をしているあいつを見て、全身が発熱した。許せなかった。
気が付いたら、周りには俺とあいつしかいなかった。俺の拳は血に染まっていた。床には誰のものか分からない歯が転がっていた。
あいつは大声で泣いていた。
泣きながら俺に謝っていた。
ごめんなさいと繰り返していた。
なぜ泣くのだろう。
理由を問うたら謝罪の言葉が返ってきた。
俺は困り果てて、苦し紛れにハンカチを取り出した。そして、あいつの涙を拭った。
あいつが泣き止むまで何か声をかけていたような気がする。あいつも何か言っていたような気がするが、覚えていない。
さて、ここで問題だ。
この出来事において、何が正しくて、何が間違っていたのか答えよ。
悪いが答えは知らない。
その代わり、結果だけは知っている。
俺が、こうして最底辺の世界に居ること。
だからきっと、間違っていたのだろう。
見捨てること、切り捨てることが正しいことだったのだろう。それが出来ないから惨めな今がある。
それでも俺は、みさきを見て思ったんだ。
何が正しくて、何が間違っているのかは、俺が決める。今度こそ、守ってみせる。
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