第6話 禁酒した日
事件はこの部屋で起きた。
目を覚ました俺の目に映ったのは、無残にも散らかった部屋と、俺の抱き枕にされていたみさき。
なぜ? 寝惚けた頭でみさきを見ていると、返事の代わりに柔らかい右ストレート。
なぜ? 説明を求めて視線を向け続けていると、みさきはサッと腕の中から脱出した。そして定位置である窓際に立って、サッと顔を逸らしてしまう。
そして三時間が経過した。
本日、みさきとのコミュニケーションは一度も行われていない。
……なんだ、何が起こりやがった。
まさか嫌われちまったのか? まだ育てるって決めてから一月も経ってねぇぞ。
俺は全身全霊で記憶に問い掛ける。
……チクショウほとんど思い出せねぇ!
ほとんど。
つまり、少しは覚えている。
昨日、口座から金を卸した俺は真っ直ぐパチンコに向かった。だが入り口が開いた瞬間に鼻を襲った煙草の臭いで正気を取り戻し、走って引き返した。その途中でスーパーに立ち寄り、せっかくだから、みさきが喜ぶものを買っていこうと思った。といっても、あいつの趣味なんて知らないわけで……。
結局、食い物なら間違い無いだろうと、諭吉一人分くらい買って帰宅した。
俺が両手に抱えた物を見て、みさきが目を輝かせたところまでは記憶がある。
そして現在。
部屋には、空き缶が散乱している。
……なんだよ、簡単じゃねぇか。
つまり酒に酔った俺がみさきに嫌われるような絡み方をしたってだけだ。
「すまねぇみさき! 酒に強くねぇの忘れちまってた!」
全力で土下座。
しかし、みさきの機嫌は直らない。
おそらく昨日起こった出来事は、こうだ。
→酔っぱらった俺がみさきに絡む
→みさき嫌がる
→俺は気付かない
→ホールドオン
→そのまま爆睡
→りょーくん酒臭い。嫌い。大っ嫌い。もう知らないっ!
……ああ、やっちまった。
「うぉぉぉぉぉおおおお!」
たまらなくなって、俺は部屋から飛び出した。ボロアパートを離れて、道路を走って、近所の公園で滑り台に上って――
「もう二度と酒は飲まねぇぇぇぇぇ――!」
こうして俺は酒を止めると誓った。
それはそうと、みさきの機嫌を直さねぇとな……。
というわけで、俺は枕を睨み付けている。
もちろん私物ではなく、商品としての枕だ。
ついでに布団なんかも買っていこうと思っている。
みさきの機嫌を取る方法なんて分からねぇが、何か喜ぶことをすれば許してくれるかもしれない。もちろん何をすれば喜ぶかは分からない。
俺は悩んだ。
すっげぇ悩んだ。
その結果、どうせガキだし、何かあげれば喜ぶんじゃね? という結論に至った。
果たして、俺が出した答えは「枕」だった。
人生の三分の一を占める睡眠グッツであれば、さらに不機嫌になることは無いだろう。そもそも、うちには寝具がねぇのである。最悪ゼロにゼロを足してもゼロだ。失うものは無い。
枕を買うと決めた時、俺は心の中で勝利を確信していた。
だが、いざ棚に並ぶ商品を見た俺は、思わずブルっちまった。
白、黒、桃、緑、青、動物、アニメ柄などなど。
……みさきが一番喜ぶのって、どれだ?
どれでもいい、そんな答えもあるかもしれない。
だが冷静に考えてみよう。
例えば白を選んだとする。
その後、みさきと共に買い物をする機会があったとして、枕を見たみさきが「……りょーくん、あの中から白を選んだの? ……ありえない」とか言い出したら死ねる自信がある。
……くそっ! どうする!? どうすりゃいいんだ!?
「えっとー、あのー、お悩みッスか?」
誰だよ馴れ馴れしい……と思ったら店員かよ。
化粧のせいでよく分かんねぇけど、ぱっと見た感じ高校生か?
「……まぁ、それなりに」
「枕で悩むとか、兄さん通ッスね。自分用ッスか?」
「いや、プレゼントだ」
「プ・レ・ゼ・ン・ト! 誰にッスか?」
マジでチャラいなこの店員。女じゃなかったら殴ってたかもしれない。
ともあれ、ここは下手に出ておこう。
何かアドバイスをくれるかもしれない。
「みさきに」
「
「ああ、そうだ」
みさきって名前の男の子が居たら驚きだけどな。
さておき、なんかテンション上がったなこの店員。なんでだ?
「いやぁ、いいッスねそういうの。憧れちゃいますよぉ」
「そうか?」
「そうッスよぉ。あ、ちなみに初めてッスか?」
「ああ、初めてのプレゼントだ」
「まじッスか? 初プレが枕とか、兄さんマジぱないッスね」
なんかバカにされてねぇか? 気のせいか?
「あのぉ、もしかして、何かの記念だったりするんッスか?」
「記念っつうか、機嫌っつうか……」
「あはは、よく分かんないけど面白いッスね」
「面白くねぇよ。あいつが何考えてるのか全然わからなくて、困ってるんだ」
「なるほどぉ……歳が離れてるとか?」
「そうだな。20歳くらい違う」
「え? 兄さん今何歳ッスか?」
「23だが?」
「パネェ! 兄さんメッチャやばいッスね!」
そうか?
まぁ、俺がみさきの本当の親だとしたら、あいつが生まれた時は18歳だし、そういう意味ではヤバイのかもしれない……いや、やっぱり良く分からん。
「えっとぉ、あたし、そういうの理解ある方なんで、応援してますね!」
なに言ってんのか全然わからんが、とりあえずお礼を言っておこう。
「ありがとよ」
「あはは、ちょっとはツッコンでくださいよぉ。娘なんですが? みたいに」
「あ? どういう意味だ?」
「ほら、あたしは彼女ってことで話進めてましたよぉ?」
「アウトってレベルじゃねぇだろソレ」
……そういえば俺、彼女の前に娘が出来たのか。
あれ、おかしいな。
ちょっと目が熱くなってきたぞ?
「まぁそういうわけだ。ガキが喜びそうな枕ってどれだ?」
「全然分かんないッス」
使えねぇなこの店員。
「ていうか、なんで枕なんすか?」
「枕だからだよ」
「なるほど、深いッスね」
店員は猫みたいな口をして、じっーと値踏みするようにして枕を眺める。
やがて、薄桃色の生地に黒い点が並ぶ枕を手にすると、俺に差し出した。
「これ、どうッスか?」
「それにしよう」
「即決ッスね」
「考えるの疲れたからな。まぁあんたのセンスなら間違いないだろ」
「おぉ、なんか信頼されてる感じ?」
「
「おぉぉ、あたしの人生で二番目くらいの高評価ッス」
どんな人生歩んできたんだよこいつ。
「ところで、ついでに布団も買ったら値引きしてくれたりしねぇのか?」
「しねぇッス」
「そうかよ……」
と、この店員のせいで無駄に疲れたが、無事に寝具(諭吉8人分)を購入できた。
布団なんかを送ってもらう手続きをした後、俺は二人分の枕と食料を抱えて家に戻った。ドアを開けると、真っ先にみさきが目に入った。朝と同じ部屋の隅で、膝を抱えて虚空を見つめている。
「……ただいま」
少し緊張しながら言うと、みさきは俺の持つ荷物に目を向けた。
「……これ、プレゼントだ」
恐る恐る近付いて、枕を差し出す。
みさきは――小さな手で枕を受け取ると、ギュッと抱きしめ、少しだけ頬を緩めた。
……よ、よかった。成功らしい。
「明日には布団も来るから、楽しみにしてやがれ」
「……ん」
喋ったァァァァァ!
ほぼ二十四時間ぶりに声きぃたぁぁぁぁぁ!
やったぁぁぁぁぁ!
……って、なに浮かれてんだ俺。頭大丈夫かよ。
ほっと息を吐いて床に座り込んだ俺の横で、みさきが買い物袋をあさる。
そこから食べ物や飲み物を取り出し、取り出し、全部取り出し、なぜかムッとした表情で袋を覗き込んだ。
「どうかしたのか?」
「……おさけは?」
おおおおぉ、みさきが、単語しか話さなかったみさきが……おさけ「は?」だってよ! って興奮してる場合じゃねぇ、今が謝るチャンスだ!
「みさき、昨日は本当にすまなかった。もう二度と酒は飲まねえ。だから許してくれ!」
「……おさけ、ない?」
「ああ、もう二度と飲まねぇ」
「……」
あ、あれ?
なんかまた不機嫌になった?
ぷいって顔逸らされたというか、頬が膨らんでて可愛い、じゃなくてツンツンしたい……でもなくて!
うぉぉぉぉぉ! とにかく不機嫌になった!?
なんでだ!?
チクショウ、よく分からねぇけど、何もかも酒のせいだ!
二度と飲まねぇからな!!
みさきは守備力が高くて、なかなか懐いてくれない。そう思っている龍誠には想像も出来ないことだろうが……昨日、酔っぱらった龍誠に抱きしめられたみさきは、そこそこ喜んでいた。
今朝の反応は、照れ隠しである。
りょーくんの傍にいると落ち着く。
というのは、みさきの本音。
彼が気付いていないだけで、彼女はそこそこ懐いている。
なんなら毎日くっついて寝たいとも思っている。
でも、りょーくんは傍に来てくれない。
かといって自分から近付くのは恥ずかしい。
果たして、お酒の力によって問題が解決した。
どうやらお酒を飲めば、りょーくんはくっついてくれるらしい。
楽しみがひとつ出来た。
そう思っていたのに――もう二度と飲まねぇ――と、りょーくん。
みさきは、断固として抗議するのであった。
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